突然の夕立に追い立てられて、駆け込んだ駅の高架下。しばらく晴天が続いていたから油断していた。こんな短い雨じゃ、きっと彼女とタイミングが合うはずもない。


 僕は濡れたTシャツの裾を絞る。髪も顔もびしょ濡れで、前髪から雫がぽたぽたと落ちた。

 息を整えながら顔を拭う。湿気で曇った視界の向こうに、小さな影が浮かぶ。


「……傘、忘れたんですか」


 からかう声音とともに、悪戯な笑みを浮かべた真鍋さんが立っていた。制服ではなく、シンプルな水色のワンピース。私服姿を見るのは初めてだった。

 僕は思わず目を逸らして濡れた髪をかき上げた。よりによってこんな情けない姿を見られるなんて。


「ナンパですかあ?」

「ふふ、違います。今日は弟に会いに行ってたんです」


 そうか、夏休みだっけ。僕らは話をする為に通路の端に移動した。彼女はスカートの裾を正し、真っ直ぐに僕を見上げた。


「あの日、佐倉さんに言われて気づきました。私、ずっと我慢してたんだなって」


 僕は短く頷く。それから彼女は、ぽつぽつと経緯を語り始めた。


 あのあと電車に飛び乗って、前に住んでいた家に行ったこと。成長した弟の姿を遠くから見て、声もかけられなかったこと。


「私は母についていくと決めたけど、家族がバラバラになるって、あんなに苦しいものだと思わなかった。だから、ずっと、弟のことが心配で……」

 

 彼女はいったん言葉を途切れさせ、目元に手をやる。雨の日は無意識に癖が出てしまうほど、不安定な気持ちでいたこと。


「でもちゃんと母と話しました。父にも連絡したら、時々会うってことになって」


 離れるのも勇気がいるけど、近づくのも、きっと同じくらい勇気がいる。

 

「母はね、私まで取られてしまうんじゃないかって心配だったみたい。でも……私は、どっちも家族なんだってやっと言えた」


 その声は雑踏の音に消されそうなほど小さくても、確かな力があった。誰かに分かってもらいたかった想いを、やっと口にできたような、そんな響きだ。


「弟、抱っこしたらもうすっごく重くて。前みたいに"ゆらゆら"できなかった」


 彼女は俯いて小さな両手を見下ろした。少し寂しそうで、でも唇には自然な笑みが浮かんでいる。

 僕は、あの日、この場所で、誰にも言えない想いを抱えて揺れていた彼女を思い出していた。


「……ありがとう、話してくれて」

「ううん。こちらこそ、聞いてくれてありがとう」


 いつの間にか雨は止みかけていた。遠くの方にうっすら虹が見えている。切れ切れの雲間から金色の夕陽が差して、濡れたアスファルトを照らしていた。


「雨、止んだね」


 雨上がりの匂い、蝉の鳴き声が戻ってくる。僕たちは、どちらからともなく、高架の外に踏み出した。

 肩を並べて歩きながら、おずおずと切り出してみる。


「……連絡先、聞いてもいい?」

「ふふ、やっとですね」


 真鍋さんは口元を押さえて肩を震わせた。少し伸びた髪が風に揺れて、僕の心も揺れる。

 僕らの関係に、名前はなくてもいいのかもしれない。ただこのまま、隣にいたい。

 いつかきっと、二人の揺れが重なって、同じ風景を、同じ歩幅で歩いて行けたらいい。


 そんな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あめ、ゆらら 鳥尾巻 @toriokan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説