第17話 結論と呼出

 八月二十八日。十七時頃。

 俺は剣術を習いに望月の家へ訪れていた。

「遅れてすみません、望月もちづきさん」

 先に庭へ出ていた望月が振り返る。

 陽の傾いた空を背に、いつものように涼しげな表情で立っていた。

「いや、ちょうど良い時間だ」

 シャツの袖をまくった望月は、木製のベンチに座っていたが、俺を見ると立ち上がり、数歩近づいてくる。

 目は俺の背に向けられていた。

「持ってきたんだろう?君の刀を」

「……はい。少し、特殊なものですが⋯」

「構わない。癖のある刀の方が、教える側も面白いからな」

 望月はそう言って、口元に小さな笑みを浮かべた。

「では――」

 俺は背負っていたケースに手をかけ、留め具を外す。

 ゆっくりと、それを開き、刀を取り出す。

「これです」

 俺は刀を望月に差し出す。

 望月は刀を受け取ると、その表情に少し驚きが浮き出てきた。

「これは⋯⋯⋯血吸ちすいか!」

「は、はい」

「⋯⋯家の中に入ろう」

 俺は静かに頷き、望月のあとに続いて屋敷の中へ入る。

 廊下を抜け、応接室のような部屋に通された。柔らかなソファと小さなテーブル。窓からは夕陽の光が差し込み、室内の空気を淡い橙に染めている。

 望月は血吸をそっとテーブルの上に置き、椅子に腰かけた。その眼差しは鋭く、それでいて、どこか懐かしさすら帯びていた。

「……まさか、実物を目にする日が来るとは」

 低く呟いたその声に、俺は息を飲む。

「これを何処で手に入れた?」

「シールドの仕事で乗り込んだ施設の戦利品です」

「なるほど。バロールが私に剣術指南を頼んできた理由が分かったぞ」

 望月は少し笑いながら言った。

「え?」

「知ってるかどうか知らないが、この刀は自らに使い手を選ぶ。つまり今は君しか使えないのだ。抜いてみてくれないか?」

「はい」

 俺は血吸を鞘から抜く。

 望月は血吸の刀身に目を落とす。

 刃は漆黒に近い深紅。見る者の内面を映すように、艶やかで、どこか不気味な光を湛えている。

「君は、天下五剣てんかごけんというのを聞いたことはあるかね」

「い、いえ。なんですか?それは」

「天下五剣とはこの国の歴史上でも特に名高い五振の刀のことだ。その五振というのは鬼丸おにまる三日月みかずき大典太おおでんた数珠丸じゅずまる、そして血吸」

 俺は目を見開いた。

「天下五剣にはそれぞれに特殊な能力が備わっている。分類上は異能武具サイコウェポンということになっている。その内、血吸は斬った相手の血を吸い、持ち主の力を底上げする」

「血を……吸う?」

 俺は思わず繰り返していた。

 それは比喩的な表現ではなく、本当に、血を取り込むという意味なのだろう。

「その刃が敵の血液に触れれば、自動的に吸収を始める。吸った血は刃の奥にある“核”に蓄積されていき、それに比例して刀の持ち主に肉体的な強化を与える。筋力、反応速度、回復力、時には異能の力すら跳ね上げる」

 望月は淡々と話しながら部屋の隅にある刀を手に取った。

「これは三日月、私の愛刀だ。此奴にも勿論能力がある」

 望月は刀を机に置き、もう一度ソファに腰を下ろす。

「この刀たちには厄介な特性がある」

「特性?」

「持ち主が欲に溺れると持ち主を見限り、自らの糧とする。つまり、殺すのだ」

 俺は唾を飲んだ。

「これから剣術を教えていく中で君は強くなっていくだろう。それで自信をつけるのはいい、しかし傲慢になってはならない。いつの時代も、自身の力を見誤った者に訪れるのは破滅だ」

 望月の言葉は静かだったが、その一語一語が胸に重く響いた。

「……気をつけます」

 俺は背筋を伸ばし、言葉に力を込めた。望月はそれに満足したように一度頷き、再び血吸を見下ろす。

 俺は血吸をケースに収める。

「では、稽古に戻ろう。月輪がちりん宵祭よいまつり習得の続きだ」

「……はい。まだまともに形になっていませんが、よろしくお願いします」

 俺が軽く頭を下げると、望月はわずかに口角を上げてから歩き出した。俺もその背に続く。廊下を進み、玄関の前まで来たとき、ふと思い立ったように俺は足を止めた。

「……あの、望月さん」

「ん?」

 望月が振り返る。柔らかい夕陽が窓から射し込んで、彼の横顔を静かに照らしていた。

「その、訊いておきたいことがあって……バロールさんとは、どういう関係なんですか?」

 一瞬、望月の瞳が細くなった。けれど、それは敵意でも警戒でもなかった。ただ、何かを思い出すような静けさと、少しだけ懐かしむような色が滲んでいた。

「……あいつとは、昔からの腐れ縁だよ」

「腐れ縁……?」

「ああ。初めて出会ったのは、中等部の頃だ。中学生で統一教会の登録魔術を全て習得した天才魔術師がいると聞いてな、気になっていってみれば、まぁなんというかな。優等生とはほど遠い奴が出てきてな」

 望月はふっと笑った。

「君も知っていると思うが、魔術師というのは基本、属性を除いた全属性の基本魔術を習得したあと得意な属性を重点的にやる。それでやっと中学卒業辺りに一属性を習得マスターする。しかし奴は中二の夏までに全属性を習得マスターしてみせた」

「全属性って……八つ、ですよね。ほのおみずかぜかみなり光闇こうあん時空じくう、そして……」

 俺は思わず確認するように口にする。八属性をすべて習得マスターするというのは、少なくとも俺が知る限り、数十年に一人現れるかどうかの規格外だ。

「そうだ。しかも“無”属性は未だその本質は判明していない。そのため学園でも必修科目にはなっていない」

 望月は窓の外へと視線を向けた。視線の先には、朱に染まりつつある洋館の庭と、その奥に沈みかけた陽の輪郭が浮かんでいた。

「……さあ、外へ出よう。陽が落ちきる前に、昨日の続きだ」

「はい!」

 俺はケースを背負い直し、望月のあとに続いて応接室を出た。夕暮れの空は、いつの間にか紫の気配を帯び始めていた。


 望月・ヴラド・ヴェルナ自宅、庭

「君の能力は身体強化系と聞いているが、他に出来ることはあるか?」

 望月が訊いてきた。

「はい。まず、血液の操作、硬化。身体強化は体内血液を操作することで行っています。それと―」

 俺は少し間を置いて話した。

「―相手の能力を模倣コピーすることが出来ます。⋯発動条件に確証はないんですが、相手の血を摂取することだと思います」

「ふむ⋯⋯」

 望月は手をあて、少し考える。

「⋯よし。試すとしよう、実験だ」

「⋯実験⋯って、なんです?」

 俺は少し身構えた。

 望月はわずかに笑みを浮かべ、こちらを見つめる。

「簡単なことだ。君のその模倣能力コピーの発動条件が血液の摂取だとするならば――」

 望月は刀を鞘から抜き、腕に軽い切り傷を付ける。

 傷口から血が垂れ始める。

「――これを飲んで実際に確かめればいい。⋯⋯躊躇ためらう必要はない。ただの実験。私の血を飲み、能力が発動するかどうか試すだけだ」

「わ、わかりました⋯」

 望月の白い肌から滴る血液が紅玉ルビーのように鮮やかだった。

 俺はゆっくりと望月に近づき、そっとその血を指先で掬い取った。

「……い、いただきます」

 俺はそのまま、指に乗せた血を口に含んだ。

 鉄の味が口に広がり、喉を通る。

 何か変わった感じはしない。

「それで模倣コピーができたのなら、体をコウモリに出来るはずだ」

 俺は言われた通りやってみる。

 能力は人としての身体機能の一部のようなもの。手足を動かすために脳で考える必要がないように、能力発動にも脳で一々考える必要はない。

 そのため能力者は感覚で能力発動が可能。

 俺の右腕にコウモリの羽のような出っ張りがいくつかできた。

 腕が七、八匹程度のコウモリに変身した。

 今、右腕は無く。本来右腕がある場所にはコウモリがいる。

「これ⋯⋯ですか?」

「ああ、本当に能力を模倣コピー出来るようだね。ま、発動条件が限定的なうえ、君には模倣以外にも出来ることがある。無理に使う必要はないな」

「っていうか、これ、飛んでったりしないんですか?」

 コウモリは元々俺の右腕のあった場所から動いていない。

「それは能力制御の話になってしまうからな。このコウモリたちは意思があるわけではなく、体の一部が変化してできたもの。だから⋯このように――」

 望月の右腕がコウモリとなり、望月の周りを飛び回る。

「――自分の意思で自由に操ることができる。まぁ能力制御は普通、小学校六年間をかけて身につけるもの。一朝一夕でできるものではない」

 望月の周りを回っていたコウモリたちは望月の右腕に固まり、元の腕へと戻った。

 俺は能力を解除し、元の腕へと戻した。

「君の能力の概要は、分かった。血液操作と血液摂取による能力の模倣。⋯なるほど⋯複合型か」

 最後の言葉はよく聞き取れなかった。


 翌日。八月二十九日。

 朝の澄んだ空気の中、俺はいつものように綾乃あやのと一緒に家を出た。

「ねえ、お兄ちゃん。学校にはもう慣れた?」

 俺は少し考えてから答える。

「まぁ、少しずつ馴染んできてるよ」

「そうなんだ。よかった」

 綾乃は嬉しそうに微笑んだ。

「クラスの友達はできた?」

「うん、颯也そうや陽菜ひなと話すことが多いかな」

「⋯ん、ああ、影山さん?この学校だったんだ」

「ああ、そうみたいだな」

「仕事とかが大事なのはわかるし、私はバイトも部活もしてないからあんまり口は出せないけど、無理しないでね」

「わかってるよ」

 綾乃はクスリと笑った。

 朝の陽射しが柔らかい、まだ暑さは残る。夏休みが終わってもまだ夏は終わってくれない。

 俺たちは校門をくぐり、それぞれの校舎へ向かった。

 歩きながらも、綾乃は時折楽しそうに笑い、俺も自然と表情が和らぐ。

 教室に入ると、既に席についていた颯也がいた。

「おはよう、颯也」

「⋯ん、ああ、おはよう」

 颯也は小さく返した。

 教室の隅の席に座り、鞄を下ろすと、陽菜がこっちを見て微笑みかけてくる。

「おはよう、綾斗あやと

「おはよう、陽菜。今日も暑くなりそうだね」

「本当ね。昼は食堂で一緒に食べる?妹ちゃんとも会ってみたいし」

「あ⋯⋯ごめん⋯妹に訊くの忘れてた⋯」

「じゃあ、妹ちゃんはまた今度にしよ!今日は二人で食べよ!」

「うん⋯ごめんね」

 俺は少しずつクラスに馴染んできていることを感じた。

 ホームルームをおえ、授業が始まった。

 黒板に先生の文字が踊り、生徒たちは積極的に授業に参加している。

 俺も教科書を開き、時折筆を動かしながら聞き入る。まだ新しい環境に慣れていないせいか、少し緊張もある。

 窓の外では夏の青空が広がり、遠くで蝉の声が響いていた。


 昼休み、俺は陽菜と食堂へ向かった。

 混み合う中、二人分の席を確保し、弁当を広げる。

「昨日の剣術の話、もっと聞かせてよ」

 陽菜が興味深そうに話しかけてくる。俺は照れくさそうに、しかし楽しそうに少しずつ話をする。習い出した経緯などは伏せつつ、話す。

 颯也は別のテーブルで一人、飯を食べていた。たまにこっちを見てくる。

「――ってな感じのことをしてて」

「へぇ、剣術っていうと、剣道の方を想像してたけど戦闘用剣術なんだ」

「まぁ、自分の身は自分で守れた方が良いし⋯」

「しっかりしてるなぁ〜。⋯あ、そういえば統一戦とかって出るの?」

「うん、剣術習い始めたし確認しときたいな〜って。陽菜は出るの?」

「うん、一応その予定」

「へぇ、能力が戦闘向きだったりするの?」

「うん、まぁそれもあるんだけど⋯」

「ふ~ん。そんな能力か訊いてもいい?」

「うん。私の能力は“分体兵衛ドッペルゲンガー”自分自身の分身を作れる。全員が本体と同じ能力を持っていて身につけているもの、装備品も複製される。ただ、自分で増やせるのは一人だけだから、もっと増やしたいときは分身に能力を使わせなきゃいけないの。まぁ、数の暴力で行く感じかな」

「なるほど。確かにそれは戦い方の幅が広がりそうだね」

「でしょ?でも分身は頑丈さが増やした子の半分になっちゃうし、回数を重ねるごとに自我がだんだん強くなるんだよね」

「まぁ、ゲームじゃないんだから無限に増やせるわけじゃないよな」

「そうそう。あと、本来である私の痛みは分身全員に共有されるから」

「だから、統一戦ではあまり数を増やしすぎず、状況に合わせて動かす感じかな」

 ピー、ピー。

 俺の方の呼び出しベルが鳴った。

 俺は席を立ち、注文していた天丼を受け取りに行った。


 昼食を終え、俺たちは教室へ戻る。

 戻ると、俺たちの教室前に一人の男が立っていた。

 背は高く、鋭い眼光が印象的だ。同じクラスではない。何故か、生徒たちが距離を取っている。

「このクラスに転校してきた北条さんって人、いるか?」

 俺は男に近づいた。

 男が気配に気づいたのかこちらを見る。

「あの、北条は私ですけど⋯」

 男がこちらを見る。

 男は周りを見る。

「ここじゃ、話しづらい。話がある。ちょっと来い」

 俺は断ることもできず、男について行った。

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偽りの楽園に咲く 錦紫蘇 @coleus

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