第16話 普段と生活

 八月二十八日。朝。

 転校して二日目。

「お兄ちゃん。昨日はどこに行ってたの?」

 綾乃あやのがそう訊いてくる。

「ああ、実は剣を習うことになってな。統一戦までには―」

「ちょちょ、ちょっと待って!剣習い始めたの!?ってか、統一戦出るの!?」

「ああ、バロールさんからの頼みでな、交換留学狙いだ」

「はぁ、まためんどくさそうなことに。で、もう一つの剣の方は?」

「この前持って帰ってきたあれ、あるだろ」

血吸ちすいだったけ?」

「ああ、あれ、どうやらだいぶ気難しい刀だようで選ばれないとだめらしい。だからって渡されたんだよ」

「え!なにそれ!なんか主人公みたい!」

「いや、そんなもんじゃないだろ」

「えぇ~、けどなんか伝説の剣みたいじゃん」

「けど、それで強くなったわけじゃないし。ごちそうさま」

 俺は食器を持ち、シンクまで持っていき洗い桶に浸けておく。

「む〜。納得いかないなぁ」


 俺は玄関で制服の襟を直す。

「お兄ちゃん、リボン曲がってる」

「あ、ほんとだ。ありがと」

 横にいる綾乃がひょいと手を伸ばして襟元を整えてくれる。

 家を出ると、夏も終わりだというのに熱気が路地にこもっていた。空は高く晴れ、蝉の声がまだしぶとく響いている。

 電車に揺られる。背には昨日望月から貰った刀ケースを担いでいた。中には血吸ちすいを入れ、持ち運んでいた。

「お兄ちゃん、それどうするの?」

 綾乃が小声で訊いてきた。

「いや、剣の先生が持ってこいって言ってて…」

 俺も小声で答える。

「けど、危なくない?それ」

「家に取りに帰るの面倒くさいし…」

「はぁ、学校とかで目立っちゃうよ、それ」

「けどな〜」

「そういう面倒くさがりなとこ、直したほうが良いよ」

 ッく、妹に苦言を呈されてしまった。

「よし、今日の昼さ一緒に食べようよ。高等部玄関で待ってるから。そのときに学校での話を聴くとしよう」

「えぇ~。なんでそんな事を」

「だってクラスでうまくやれてるか心配なんだもーん。それにこんな可愛い妹と一緒に食べれるんだから喜びなよ」

「はぁ」

 俺はため息をついた。


 電車から降りてスマホを見ると、着信が一つあった。

 夏澄かすみからだった。

 折り返しの電話をかける。

「あっ、夏澄?久しぶ―」

『綾斗。』

「は、はい」

『転校したのよね』

「あ、」

 そういえば夏澄にも陽向ひゅうがにも他のやつにも一切連絡してなかった。

「その〜。これには深い事情が〜」

『それは何となくわかるわよ。アンタ、仲の良かった下舞しもまいとか鍵谷かぎやにも言ってないんでしょ?』

「うっ」

『声変わってるから電話できないのはしょうがないとしても、メッセージくらい送っときなさいよ!!昨日下舞が一日廃人になってたわよ』

「皆にはごめんって伝えといて」

『はぁ、しっかりしなさいよ。新しい学校はどう?』

「まだ二日目だからよくわかんないけど大丈夫だよ」

『そ、それならいいけど』

 そこで電話は切れた。

 夏澄と久しぶりに話したな。あいつら元気にしてるかな。

「誰から?」

 綾乃が訊いてくる。

「夏澄から」

「えっ!すーちゃんから?最近会ってなかったから会いたいんだよね〜。けど学校も違うから会うタイミングが見つからないんだよね」

「じゃあ、私から夏澄に伝えとこうか?」

「ホント!」

「ああ」

「ありがと!おに‥お姉ちゃん!」

「うおっ!お姉ちゃんってなんかむず痒いな」

「そんなこと言ったらお姉ちゃんの“私”って一人称とかもなんかむずむずするからね」

「はは……」

 少し苦笑いをしたとき、スマホが震えた。しかも何回も。

 メッセージアプリの通知を見ると。

 エグい数になっていた。

 中を見ると陽向がメンヘラ化してた。

 まさかこの数分でこの量を送ってくるとは…。

 俺は今も更新され続けるトーク画面を見ながら、苦笑いしかできなかった。


 駅を出て、少し歩き翠嶺すいれい学園へと足を進める。今日も制服のスカートは風を受けて揺れる。もう慣れたとはいえ、やっぱスカートって防御力が低い気がする。

 校舎の門をくぐり、道中で綾乃と別れる。

 クラスの中で話したのは颯也くらい。

 教室のドアを開ける。何人かがこちらを見たがすぐ視線をそらす。

 昨日と同じ席に座り、カバンを置く。刀ケースは椅子の横に立てかけておいた。それが妙に存在感を放っている気がした。

 静寂の中、斜め前の席の女子がこちらを一瞬だけちらりと見てから、すぐ前を向いた。

 なんだ?

「お、おはよう、北条さん」

 正面の席から声がかかった。見れば、昨日挨拶だけ交わした記憶のある男子が、少し緊張した笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「……あっ、おはよう」

 咄嗟に女子口調で返す。反射的に、口角を少しだけ上げて笑顔も作る。

「えっと…」

 彼は何かを言いたそうにしつつも、それ以上は何も話さず、前を向き、視線を落とした。

 ……なんだったんだ?

 内心疑問に思うも、声に出すことはしない。俺は背面に書かれているスケジュール表をみて今日の時間割を確認し、授業の準備をする。

「おはよ。」

 声のした方に目を向けると陽菜ひながいた。

「おはよう、えっと、その、陽菜」

「よしよし、ちゃんと名前で読んでくれた」

 陽菜は何故か俺の頭を撫でながら言った。

「綾斗ってさ、出身どこ?」

「えっと……関東のほう……」

「へー、都会っ子なんだ?」

「いや、そんなことないよ」

「ふーん?ところで、その後ろのは何?」

「え……あ、えっと……一応、剣を習い始めてて」

「え!かっこいいなぁ~」

 またちょっと大げさに身を乗り出してきた陽菜に、俺は思わず少しのけぞった。

「……いや、そんな大層なもんじゃ……」

「そういう謙遜がな〜。あ、もしかしてさ、転校前でもモテてた?綾斗可愛いしさ」

「えっ!?全然そんなことなかったよ!」

「えぇ~、ホント?私そういう勘は当たるのに〜」

 ……こいつ、どこまで本気なんだろう。冗談半分なのか、本気なのか、いまいち掴めない。でも、悪い気はしない。こうやって自然に話しかけてくれるの、正直ありがたい。

「ていうかさ、綾斗、めっちゃ可愛いのに近寄りがたいって思われてるかもよ?」

「……別にそんなことないと思うんんだけどな〜」

「えぇ~?だって、さっき男子たちめっちゃそわそわしてたもん。“話しかけていいのかな~”って感じで」

 陽菜がまたにこにこと笑って、今度は俺の机の端にちょこんと腰かける。

「今日さ、昼ごはん。一緒に食べようよ」

「ごっ、ごめん。今日は妹と食べる約束してるから」

「えっ!綾斗、妹いるの?」

「う、うん」

「私は弟がいるよ〜」

「へぇ~」

「でもね、最近ちょっと生意気なんだ〜。スマホばっかいじって全然口きいてくれないし。ご飯だって『あとで食べる』とか言うしさ〜」

「へぇ……反抗期かな」

「そうそう!たぶんそれ!前までは『ひなねー、ひなねー』って後ろからくっついてきたのに、今じゃ『お前』とか『おい』よ?……もう、寂しいったらないよぉ」

「ふふっ。うちは逆に、妹がずっと元気すぎて大変だけどね」

「えっ、どんな子なの?」

「うーん……元気で、よくしゃべって、ちょっとズバズバ言うところあるかも。けど、しっかり者で助けられてるよ」

「え〜、いいなー。今日のお昼は妹ちゃんと食べるんでしょ?でもまた今度、私とも食べようね!妹ちゃんも一緒に!」

「え、あ、うん……わかった、訊いておく」

「よーし、決まり!じゃ、またあとでね!」

 陽菜はそう言い残して、ぱたぱたと自分の席のほうへ戻っていった。


 二時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。先生が教科書を閉じ、号令をしたあと教室を出ていく。

 次の授業まで、十分ほどの休み時間。

 俺は小さく息をついて椅子に背を預ける。ふぅ……なんか、ずっと視線を感じるけど、誰も話しかけてこないな。

 と思った矢先だった。

「あの、北条さん」

 声をかけてきたのは、朝、あいさつだけしてきた男子だった。確か名前は……覚えてない。

 俺がそっちを向くと、彼はちらちらと俺の足元に目をやった。

 ……ああ、刀ケースか。

「それさ、もしかして、剣道とかやってるの?」

「えっ、ああ、これ?うん、ちょっと習い始めたばかりなの」

 女子っぽい口調を意識しながら、俺は微笑む。自然に笑えてる……と思いたい。

「へえ、すごいね。なんか、かっこいいなって思って……その、似合ってると思う」

 うわ、なんだこの気まずい空気。たぶん本人は褒めてるつもりなんだろうけど、こっちが居たたまれない。

 でも、無下にもしづらいし。

「ありがと。まだ全然下手だけど、頑張るね」

 適当に合わせて返すと、彼はちょっとうれしそうな顔をした。

「北条さんって、転校してきたばかりだから購買部、もう行ってないよね?すぐ混むから、昼休み早めに行ったほうがいいよ」

 柔らかい声音で、でもどこか緊張したような口調だった。

 見た目は普通っぽい子だ。気弱そうだけど悪い感じじゃない。

「あ、まだ行ってないの。ありがと、教えてくれて」

 女子っぽい口調を意識して、軽く微笑んで返す。

「もし良かったら、一緒に──」

「あ、えっと……今日は…その…妹と食べる予定があるから……その、ごめんね」

 すぐに、やんわりと断った。事実、綾乃と昼ごはんの約束があるし。

「あ……そっか。ううん、こっちこそ、急に誘ってごめん」

 彼は気まずそうに笑って、自分の席に向き直る。

 特に周りがざわついたり冷やかしたりする空気もない。なんとなく、見てるやつはいるっぽいけど、誰も声には出さない。……多分、皆、少し距離を測ってるんだろう。

 まぁ、俺自身もそこまで愛想を振りまいてるわけじゃないし。

 というか、なんで元々いた奴らそっちのほうがソワソワしてるんだか……。転校生って、普通は逆だと思うんだけどな。


 キンコーンカーンコーン。

 四時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。先生が「じゃあ、今日はここまで」と言って教室を出ていくと、途端に周囲がざわつき始める。

 俺は筆記用具を片づけてカバンにしまいながら、椅子から立ち上がった。刀ケースを背負う。……やっぱこれ、目立つなぁ。

 制服のスカートを直しつつ、鞄を肩に掛けて教室を出る。

 人混みに紛れて下足室を抜け、昇降口前へ。人の流れがごった返していたけれど、その中で一人、じっと待っている人影があった。

「あ、お姉ちゃん~!」

 遠目からでもわかる明るい声で、綾乃が手を振ってくる。

 俺も小さく手を上げて応えながら、彼女のもとへと歩いていく。

「ちゃんと来てくれてえらいね、お姉ちゃん」

「その呼び方、慣れるかな……」

 苦笑いを返しながら、購買部のある別棟の方へと並んで歩き出す。

「でも、スカート姿も板についてきたじゃん?最初の頃より全然自然」

「そんなこと言われてもなぁ……慣れって怖いな」

「うんうん、似合ってる似合ってる」

「話を聞け……」

 購買部に到着すると、既に何人かの生徒が列を作っていた。とはいえ、昼休みに入った直後だったおかげで、まだそこまで混雑していない。

 俺は焼きそばパンと、見た目がふわふわしたカスタード入りのクリームパンを手に取る。甘いものは……やっぱり落ち着く。

「綾乃は何買ったの?」

「私はピザパンとコロッケパンだよ。定番! それと、ミルクティー!」

「ほんと好きだなそれ……」

 そんな他愛もないやり取りをしながら、二人で購買部を出る。

 陽射しは強いが、日陰に入ると風が少し涼しい。校舎脇に設置されたベンチを見つけ、俺たちはそこに腰を下ろした。

 カバンを横に置いて、俺はパンの袋を開ける。

「……さて、食べようか」

「「いただきます」」

 まずは焼きそばパンから手をつけた。ふかふかのパンに包まれたソース焼きそばの香りが、ふっと鼻をくすぐる。かじると、ほどよく濃いソースとパンの柔らかさが口いっぱいに広がって……うん、やっぱり定番は間違いない。

「ところでさ、」

 綾乃が話しかけてきた。

「うん」

「クラスで新しく友達、出来た?」

「一人は出来たかな」

「そうなの!良かった〜」

「けど、男子は何故か話しかけてくる人が少なくて⋯」

 俺がそう漏らすと、綾乃は焼きたてのピザパンをもぐもぐしながら、ちょっとだけ眉をひそめた。

「そりゃそうだよ〜。思い出してみて、今のお姉ちゃんの性別は女の子だよ。前のお姉ちゃんに転校生の女子に話しかけに行く勇気、あった?」

「な、なるほど~」

 納得してしまった。確かに男の頃の俺にそんな度胸はなかったな。

「まあ、そう言われると確かに……男子は声かけにくいよな」


 昼休みが終わる頃には、陽射しもほんの少しだけ和らいできていた。綾乃と昼食を食べた後は教室に戻り、午後の授業をこなす。どの授業でも特別話しかけられることはなかったが、陽菜は何度かこちらを見て、目が合うとにこっと笑ってきた。

 最後の授業が終わるチャイムが鳴った。教室のざわめきが一段と大きくなり、生徒たちが次々に帰り支度を始める。俺も机の中を整え、カバンに教科書やノートをしまう。刀ケースは見えないように再び背負った。

 スカートの裾を軽く直しながら立ち上がると、後ろから声がかかった。

「綾斗、今日はどこか帰り寄ってく?」

 陽菜だった。いつの間にかすぐ後ろにいて、興味津々といった表情でこちらを見ている。

「今日はこのあと、剣術があるから」

「あ、そうなの、頑張ってね。また明日」

「うん。また明日」

 俺は教室を出た。

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