48_外出3
ゲームセンターの喧騒を抜け出した途端、日常が戻ってきた感じがした。
耳に残る電子音も遠ざかり、解き放たれた空気に自然と肩の力が抜けていく。
翼としてはほとんど良い所を見せられなかった。
あらゆるゲームで格好がつかず、もしこれがデートだとしたら興覚めもいいところだろう。
けれど、隣を歩く心桜の足取りは軽やかで、浮き立つ気配を隠そうともしない。
肩を落とす翼の姿すら、彼女にとっては新鮮な思い出になっているかのように、上機嫌で歩いている。
その表情に安堵を覚えつつも、翼は次かける言葉に迷う。
目的は果たしたし、時間的にも頃合いだろうと、そう思った矢先。
「かわいこちゃん、はっけーん」
軽薄な声とともに、二人組の男が寄ってくるのが見えた。
心桜のまとう雰囲気が一瞬こわばったのを感じ、翼は無言で彼女を背後へ下がらせる。
この買い物の間、何度も視界の端に映っていた連中だ。
声をかける機会をうかがっているのは分かっていたため、道中ずっと彼らを睨み返して牽制してきた。
だが、帰り支度の雰囲気を察して、ついに声をかけてきたのだろう。
できる限り心桜のそばを離れまいと気を張っていた翼を、男の一人が露骨に睨みつけてくる。
「おい、ガキ。邪魔だ」
声色からして強引そのもの。
だが翼にとっては、これまで命を狙ってきた連中に比べれば取るに足らない。
数秒威圧され続けても、表情を変えず黙って立ちはだかり、心桜を背に庇う。
そんな翼を見て、何があってもどかないと悟ったのか、男の視線が心桜へと移った。
「チビが虚勢をはりやがって……ねえねえ、君もこんなちんちくりんじゃなくて俺らにしない?」
「……ちんちくりん?」
男の嘲るような声音を受けて、不安げだった心桜が小さく聞き返す。
翼へ向けた中傷を聞き返したことで気分を良くしたのか、男はさらに言葉を重ねる。
「そうそう。こんなチビより他にいい奴なんていくらでもいるっしょ?」
「身長なんてどうでもいいです」
「は?」
ふざけた調子の口調だった男が、突然顔を強張らせた。
そんな男に対して、心桜はまっすぐに言い返す。
「あなたとは比較するのが失礼なほど、頼りになる人です。今の侮辱を取り下げなさい」
振り返ると、男を真っ向からにらみ返す心桜の姿があった。
その視線の強さに、翼は息を呑む。
男性恐怖症で、いつも怯えがちだった彼女。
しかし今はその弱さを感じさせないほどの気迫を纏い、翼を押しのけて男に怒りをぶつけんばかりに視線が鋭い。
そんな彼女の様子に男の方が押され気味になり、苦笑いを浮かべて隣に目をやった。
「相当っすね、これ」
「……だな」
「じゃあ……このガキはっと!」
不意に伸びてきた腕が、翼の肩をがっしりと掴む。
そのまま体勢を崩そうと、男は勢いに任せて力を押し込んできた。
しかしいくら体重をかけても翼はびくともしない。
途端に表情が焦り始める男を見ながら、翼はゆっくりと男の手を掴んでみせる。
「ぐっ!? は、離せ!」
毎日木刀を振り込んで鍛え上げた翼の握力は、常人の比ではない。
手首にかかる圧だけで力量差を悟ったのか、男はすぐさま翼の肩から手を離した。
翼も深追いはせず、近距離で暴れられるのを避けるため、男の手を放す。
少ししか触れていないはずの男の手首には、くっきりと赤い跡が刻まれていた。
「これ以上暴れるなら、容赦はしない。それに周りの目も気にした方がいい」
痛みのはしる手首を押さえ、腰が引けた男に向かって、翼が淡々と忠告する。
すると、それまで控えていたマスクをした男が、間に割って入った。
「……おい」
「……分かりましたよ」
その短いやり取りだけで、彼らは踵を返す。
特にマスクの男は最初から気乗りしていない様子だったので、もう心配はいらないだろう。
ふぅ、と一つ息をついて、翼は背後にいる心桜へと振り返った。
「ごめん、後味悪い感じになっちゃって」
「翼くんのせいではありませんよ。それに……」
買い物の最後で心桜を嫌な思いにさせてしまったことを気にして、翼は小さく頭を下げる。
けれど、心桜はほんのり頬を染めながら、表情を崩した。
「いつも、守ってくれて……ありがとうございます」
「……役に立てたなら嬉しいよ」
改まった彼女からの感謝に、翼は思わず頬をかき視線を逸らす。
照れくささからなんとも居心地の悪い沈黙が流れ、心臓が妙にうるさい。
とはいえ、道の真ん中で立ち止まっているのも不自然だ。
空気を変えるように、翼は提案を持ちかける。
「このまま終わるのもアレだし、最後に寄り道でもする?」
「どこに行きますか?」
「ちょっと一息つけるところ……とか?」
曖昧な返事をする翼に、心桜は一瞬だけ考えるように視線を下げる。
すると何か思い当たる節があったのか、顔を上げてぱっと表情を輝かせた。
「あ……それなら、あそこに行ってみたいです」
心桜についていくと、上階にある半屋外のテラスへとたどり着いた。
夏の夕刻を過ぎた空気は、昼間の熱気をまだ少し残しつつも心地よい涼しさを帯びている。
帰る前に一息つくには、ちょうどいい時間と場所だった。
二人で飲み物を買い、空いている席に並んで腰を下ろす。
「……不思議ですね。少し前のわたしでは見れなかった光景です」
心桜は夕日に染まる空を見上げ、ぽつりとつぶやいた。
特別なものがあるわけでもない、ただのテラスからの景色。
周りに人がいるわけでもなく、ただ閑散としたテラスには、二人だけの穏やかな息遣いが流れている。
けれど、このなんてことのない日常こそが、心桜が求めていたもの。
ただ普通に生活をして、普通に笑って、普通に生きていく。
誰かに狙われ続け、身辺を警護で固めたり、危険のない場所に縮こまってばかりだった。
そんな日々からは想像もできなかった穏やかな空気に、思わず感慨深い声が漏れる。
「今日だって、当たり前のように守ってもらいましたけど……本当はそう簡単にできることじゃないですよね」
そう振り返るように言葉を紡ぎ、心桜はそっと翼へ向き直った。
その瞳は真剣でありながら、言葉にはし尽くせない万感の思いを秘めていた。
「全部、翼くんのおかげです」
「そんなことないよ」
「え?」
もう一度感謝を告げようとする心桜の言葉を、翼は遮るように返す。
「心桜さんが一歩踏み出したからこそ、今がある」
彼女を真っ直ぐ見返しながら、本心を告げる。
「それに、おれがこうやって何かしたいと思えたのも……心桜さんの優しさがあってこそだから」
不器用ながらも真摯な言葉に、心桜の目が見開かれる。
何度も突き放しても、それでも翼を気にかけ続けた彼女へ――最後に柔らかく微笑みかける。
「君の努力が報われるべくして報われた。おれはそう思うよ」
本当なら、ここまで関わるつもりはなかった。
護衛と主人の距離を保ち、あくまで替えの利く護衛でありたかった。
その一線を踏み越えてしまったのは、他でもない、彼女の優しさがあったからだ。
夕暮れの赤に照らされて、心桜の頬がさらに赤を帯びる。
きゅっと胸をつかむ彼女の仕草。
その表情を直視するのはなぜか憚られて、翼は視線を眼下の緑へ逸らした。
彼女が感情を整理しているのを待ちながら、気恥ずかしさに翼は小さく笑みをこぼす。
「今日はおれもいい経験になったな。心桜さんのおかげだよ。ありがとう」
「……お礼を言うのは、わたしの方ですよ」
心桜がそう感謝を返すと、翼は思わず視線を戻す。
すると彼女は「先に言われてしまった」とでも言うように、困ったような笑みを浮かべていた。
互いに笑い合い、肩の力が抜けたところで、心桜が切り出す。
「さて、晩ご飯はどうしますか? 特別に美味しいものを食べに行くのもいいかと思いますが」
「外食か……」
満ち足りた気分の翼は、どちらかといえば家で落ち着きたい。
また少し思うところもあり、心桜へ提案する。
「できれば、心桜さんの料理が食べたいかな」
「うっ……油断してました」
翼の提案を受けて、ぷくっと頬をふくらませる心桜。
けれどすぐに気合を入れるように手を握りしめる。
「……わかりました。今日は気合を入れて作ります」
「楽しみにしてる。それと……」
翼は改まった表情で、心桜へ告げた。
「いつも、美味しいご飯をありがとう」
先ほど彼女から言われたように、日々の感謝をきちんと口にする。
これでお互い貸し借りなし――そんな気持ちを込めながら。
心桜は一瞬ぽかんと口を開けたが、すぐにぷいっとそっぽを向く。
その横顔は見えなかったけれど、耳までほんのり赤く染まっていた気がした。
学園の姫君と騎士の青春は御法度です @roca0412
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