「待合室」だけの世界
にとはるいち
「待合室」だけの世界
遠い遠い未来。文明は崩壊していた。
戦争か、環境破壊か、それとも別の理由か、もはや誰も原因を知らない。
生き残った人々は、移送プログラムによって、ある施設に集められた。
その施設とは――
◆◆◆
コトリが目を覚ますと、そこは白い待合室だった。
そこは、あらゆる装飾が排除されており、窓はない。
部屋の中には、無数のイス、ディスプレイ、スピーカー、無音の空調が設置されている。
そして部屋の奥には、誰もいない受付カウンターと、唯一の扉があった。
コトリは目を覚ました時、番号札を持っていた。それ以外の持ち物はない。
番号札には、「M-000」と記載されている。
彼女の記憶はあいまいで、過去のことを思い出そうとすると、頭の中にもやがかかるような感覚があった。
コトリという名前でさえも、どこか借り物のような響きだった。
周囲には、コトリと同様、番号札だけを持った人々がいた。彼らもまた、断片的な記憶しかもっていなかった。
人々は次第に、名前ではなく番号で呼び合うようになった。
「M-385さん、あの扉の向こうには何があるのでしょうか」
コトリは年配の男性に尋ねた。
「さあね。でも、きっと素晴らしい場所に違いないよ。だから待ち続けるのさ……」
男性はぼんやりと遠くを見ながら答えた。
人々は、「いつか呼ばれる」という希望を胸に抱いて、ただ待ち続けていた。
ある日、館内放送が初めて響いた。
「次の番号は、『M-261』です。お進みください」
M-261は無言で立ち上がり、扉の奥へと消えた。
その後、M-261が戻ってくることはなかった。
同様に、何度かアナウンスが流れるごとに番号が呼ばれた。
M-261と同じく、扉の奥へ進んだ者は、誰一人として戻ってくることはなかった。
一方で、待合室の中では、不思議な変化が訪れていた。
何もないところから自販機が現れ、音楽が流れ、いつの間にかエンタメ機器が設置されるようになった。
それはまるで、「待合室が待つことに適した空間」へと最適化されていくようだった。
そして、さらに奇妙なことが起こった。そうした退屈しのぎの機器に夢中になる者たちは、次第に、植物のように動かなくなっていくのだ。
さらに、そのように動かなくなった者たちは、身体が装置と一体化していった。
「あの、M-109さん……」
コトリは何度か会話したことのあるM-109に呼びかけた。しかし、何も返事はない。
M-109は自販機に抱き着いたまま離れない。自販機と接している体の部位は、まるで粘土のように溶けて機械と一体化しはじめている。
そのように装置の一部になっていった者たちに対して、他の者は「端末のバッテリー供給源になったのだろう」と推測していた。
装置に吸収されていった者たちを尻目に、コトリは待ち続けていた。
他の人々が三桁以上の番号であるのに、彼女の番号は「000」である。
他の誰よりも早い番号であるのにもかかわらず、一向に番号が呼ばれない。
「自分は選ばれない存在なのだろうか?」と疑問に思い、周囲の人々に尋ねてみるも、「あなたは『優先外』なのだろう」という曖昧な回答しか返ってこなかった。
なぜ? と問うも、誰もはっきりとは答えず、ただ遠くをぼんやり見るばかりだった。
(きっと私は、他の人よりも特別なのかもしれない)
コトリはいつしかからそう思うようになった。中々選ばれないのも、何か意味があってのことだと考えた。
しかし、何日経ってもコトリの番号が呼ばれることはなかった。
そしてある日、ついに彼女は我慢できなくなり、出口の扉を無理やりこじ開けてしまった。
扉の向こうには、暗闇に包まれた通路が続いている。
コトリは迷わず飛び込み、通路を進んだ。
しばらく進むと、奥にぼんやりとした光が見えた。
光の向こうは、工場のような施設の内部だった。
「ここは一体どういう場所なんだろう……?」コトリは呟いた。
施設内では、大きなベルトコンベアが縦横無尽に稼働していた。
「あっ!」
コトリは驚いた。
ベルトコンベアに並べられていたのは、自分と全く同じ姿の人間たちだった。
コトリの姿をした人間たちは、目を閉じて眠っており、まるで商品のようにどこかへと運ばれていく……。
その時、施設内にアナウンスが鳴った。
「『M-000』。第1041回目の試験を開始……。……試験結果、不合格」
それを聞いて、コトリは気づいた。
呼ばれるはずの自分は、すでにここで何度も試されていた。そして、何度も落ちていた――
「待合室」は、救済を待つための施設ではない。そんなものは幻想だった。
この場所は、不適合者を再評価し続ける「選別システム」の中枢だった。
「そ、そんな……ありえない……」
コトリは呆然とした。自分は選ばれた存在だと思っていたが、そうではなかった。
何度も何度も「テスト」され、落ち続けた、不適合者の中の不適合者だった。
彼女はフラフラとした足取りで、その場所を後にし、真っ白な待合室に戻った。
その時、ディスプレイに番号が表示され、館内アナウンスが響いた。
「次の番号は、『M-000』です。お進みください」
しかしコトリは、動かなかった。
壁際を見ると、いつのまにか生成されたソファーがあった。
彼女はソファーに座り。目を閉じた。
「次の番号は、『M-000』です。お進みください」
再びアナウンス。それでもコトリは動かない。
「『M-000』、応答なし。次、『M-001』。お進みください」
コトリは目を閉じてソファーに深く沈んだまま、その時を待ち続けた。
やがて、天井から黒い何かがだらりと落ちてきて、コトリの体を貫いた。痛みはない。むしろ暖かくて安心する。
彼女の体を貫いた何かは、そのままコトリとソファーを結びつけた。
「システムの言いなりにはならない」それが、彼女の決心だった。
そうして、コトリは徐々に溶け始め、ソファーと一体化していった。
やがて、また新しい番号が呼ばれるようになり、誰かがそのソファーに座る。
「待合室」は、今日も静かに運営を続けている。
「待合室」だけの世界 にとはるいち @nitoharuichi
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