結末
じゃあ、続きを話そうか。
毎晩毎晩、同じ夢を見て、俺はやつれてた。授業中も、全く頭が働かない。
寝るのが怖くて、夜更かしして、でも疲労には抗えない。結局寝てしまって、同じ夢を見る。
夢の中では、俺よりずっとやつれてる、女と子供。
顔中アザだらけ。女なんて、目がパンパンに腫れてた。それでも、俺を睨む目だけは、残酷なほどまっすぐ、そして力強かった。
それでも、人を助けたヒーローである俺は、自分の真面目っていう取り柄を捨てれなくて、毎日学校に通って、そして毎日同じ土手を歩いて家に帰る。
……これがまずかった。
その日は土砂降りの雨が降ってたんだ。傘をさしながら、いつもの土手を一人で帰ってた。
雨音と寝不足で全然気が付かなかった。
……背後から近づいてくる気配に。
頭に強い衝撃と、ゴツンッ!って鈍い音を聞いて、俺の意識は遠のいた。
まぁ、後ろから鈍器で殴られたんだな。
その時ようやく、背後に人が立ってることと、軽自動車が止まってることを、消えゆく視界に捉えることが出来た。
そりゃ、毎日1人で同じ道を歩いてるんだ。
俺に強い憎しみを持ったやつが居るとしたら、一人で能天気に歩いてるこのタイミングを狙うよなぁ。
あの夢を見続けた時点で気がつけばよかったんだ。
後悔しても、もう遅いんだけど。
それで、俺はそのまま気を失った。
目が覚めた時、どこかに居た。
目隠しをされていたから、どこだったか、その時はまだ分からなかった。
でも、雨が身を打つ感覚と、風の強さで、屋外にいることくらいは分かってた。
頭がものすごく痛い。グワグワする。
目隠しのせいで、平衡感覚も無い。気持ち悪い。
目隠しを取ろうとしたら、後ろから声がした。
「動かない方がいいよ。指示する前に動いたら殺すから。」
それはそれは冷たい女の声だったね。
それから女はこう続けた。
「その場から動かずに、目の前のものを思いっきり押して。出来ないなら殺すよ。」
従うしかないよな。俺の命完全に握られてるわけだし。
その時の俺は、今まで感じたことの無い恐怖に負けて、産まれたての羊くらい震えてた。情けないよな。
なんで、どうして、俺がこんな目に合わなきゃ行かないんだ。
確かに俺は価値のない人間だったかもしれないけど、人に恨まれるようなことはしてない。
なんなんだこの状況は。
なんで、なんでって、ずっとずっと心の中で繰り返した。頭の中がぐるぐるして、思考が纏まらない。
涙がボロボロ零れ落ちて
心臓が信じられないくらいバクバクしていた。
「はやくして。」
そんな俺を全く気にもとめず、ひたすら冷たく、女は言い放った。
もう、考えてる時間はなかった。
押せってどういうことだよ。って、半ばヤケクソに目の前に何があるかも知らず、思いっきり手のひらを前に押し出した。
冷たい物に触れて、重かったけど、すぐに手応えが無くなった。
……その瞬間だった。
「……ありがと。」
冷たい女の声に安堵の音が混じっていた。
1秒くらい立って、ゴシンッ!!!ってすげえ鈍くて重い音が"下の方"から聞こえた。
嫌な予感がして、すぐに目隠しを外す。
そこは古い雑居ビルの屋上だった。
手すりが古くなっていて、ところどころ無くなっている。
俺は手すりが無い部分の縁のすぐそこに立っていた。
下の方をのぞき込むと、赤黒い液体と、へしゃげたパイプ椅子、四肢が変な方向に曲がった、中肉中背の男が落ちてた。
ふてぶてしい顔がこっちを見上げてる。
もう確実に死んでいるはずなのに、目が合った。
渋沢栄一に似てるって思ってた、俺があの日助けた男だ。
強烈な吐き気がして、その場で全部吐いた。
俺がこの手で押したものは、パイプ椅子に座らされた渋沢だったんだ。
俺が……俺が殺したんだ。この手で。俺が助けた、あの男を。俺が、俺が……
胃液まで全て吐いて、ハッとして後ろを振り向く。
そこには夢で毎晩見る、一葉と福が立ってた。
一葉に似た女は、夢で見たとおり、顔や腕のそこらに痣が沢山あった。
夢で見るより、痩せこけて見えた。
俺と目が合って、女が口を開く
「あんたが殺したんだよ。あの男。私とこの子に、酷い虐待ばっかして、そのくせ浮気ばっかするクズ男。」
「だから川に突き落としたのに。あんたが、あんたが助けたりなんかするから、」
「警察に突き出さない代わりにって、毎日サンドバック代わりにされて……あんたが…あんたが…あんたのせいで……!!!」
俺は立ち尽くすことしか出来なかった。
女の声には、怒りと殺意が力強くこもっていた。
女の目には涙が浮かび、子供はただただ、生気のない目でこちらを見つめている。
あの夢は、この2人の強すぎる憎悪が見させたものなんだろうと、直感的にそう感じた。
女は涙を拭い、何かを決意したような目をした。
痣だらけの顔に滲んだ表情からは、今まであの男から受けてきた非情な仕打ちを思わせる凄みがあった。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「あんたが殺したんだよ。あの男も、"私も、この子"も。」
震える声でそう言うと、子供と手を繋いで歩き出す。向かう先は、柵のない屋上の縁だ。
止めたかった。でも、足がすくんで動けない。声も出せなかった。
俺はただ、"それ"を見届けることしか出来なかった。
子供を抱えて、背中から身を投げる女。
女の表情は、今でも忘れられない。
あの目。憎悪と、悲しみが詰まった、印象的な目だった。
そして、落ちていく瞬間、こう言った。
「殺してくれてありがとう。」って。
鈍く、重い音が響きわたった。
俺は、女が身を投げるのを止められなかった。
俺が殺したも同然だ。
俺が……殺したんだ。
今度はもう下を見ることが出来なかった。
落ちていく女と、子供の、
憎悪にも解放にも見えるあの表情。
死んだ男の呆気ない死に顔、あの死んだ目。
あれからずっと、脳裏に焼き付いて消えてくれない。
そうして、人の顔を見ることが怖くなった。
俺は今でも、3人を殺した自責の念に囚われている。
人を助けたヒーローのはずが、3人も殺した殺人鬼になってしまった。
ここまで聞いてくれてありがとう。長ったるくてつまんない話だったね。
まぁ、許してよ。最期なんだし。
最初に言ったよね。"決心"は着いたって。
俺はもう、こんな人生耐えられない。
今、あのビルの屋上に居るんだ。
これが、せめてもの償い。殺した人間の死に顔が脳裏に焼き付いて、人と関わることが出来なくなった、ただの引きこもりニートの結末。
あの顔、あの目、あの声。
死ぬ時くらい、忘れられたらいいのに。
*
*
さよなら。
終
結末 真代 @masiro131031
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