エピローグ
約十年の時が流れ、麗和四十二年になった。
戦争は収束に向かい、主要通信衛星も復旧し、ネットも少しずつ一般市民の生活の一部として戻り始めていた。
ミヅキはなんとか空襲の中を生き延びた。放射能はほとんど除去されており、被爆の心配はなかったが、後頭部強打による後遺症が残ってしまった。片麻痺という利き手と反対側の手が痺れてしまう後遺症だ。ミヅキの左手はもう上手く動かない。
空襲後、運良く助かった隣人に見つけられ、ミヅキは野戦病院に運ばれた。そこでは最低限の治療しか行えず、世の中が落ち着いて、専門的な治療が施される病院に行った時にはもう手遅れだった。しかし、ミヅキは前を向いていた。
野戦病院で主に担当に着いてくれた衛生兵が高校時代の同級生だった。お互い顔と表面上の性格くらいしか知らない間柄だったが、他愛のない話が何度も盛り上がり、意気投合し、結婚した。もしかして患者が担当医に恋愛感情を持ってしまう転移性恋愛かなと思ったが、アプローチしてきたのは向こうで、その彼の気持ちを受け入れられたのは、女性としての自己肯定感をあげてくれたカイのおかげだとミヅキは密かに思っていた。
核と空襲でぐちゃぐちゃになった家は建て直し、そして、地下シェルターも耐久度あげて元に戻した。そこにはひしゃげたサーバラックがあり、ミヅキは今日も作業する。
リビングで寛いでいる夫に、小学校に上がったばかりの娘のキヨミがうんざりしたように言った。
「お母さんはまた『お兄ちゃん』のところなの?」
「そうだよ。海って書いてカイ。お母さんがキヨミにもくれた漢字でお揃いだね」
「はいはい。清い海って書いてキヨミなんでしょ、もう何回目なのその話」
シェルターにはまた天窓をつけた。天窓は陽のよく当たる庭に通じている。狭いシェルターで鬱屈とした気持ちを抱えていても朝日を浴びれば世界と繋がっている気がして安心できたから、夫と相談して前よりも耐久性に優れたガラスを嵌め込んだ。
ミヅキはその天窓から注いでくる陽の光を浴びながらキーボードに入力していく。右手しか動かないし、その右手も細かい作業が難しいので、なかなか作業は難航している。しかし、遅々としながらも、着々と演算プログラムを組み立てている。
奇跡的にストレージは生きていた。
野戦病院で意識が戻ったあと、ずっと気がかりだったのはカイの事だ。動けるようになってすぐ崩壊したシェルターに向かった。置き去りにしてしまったカイという存在が詰まったラックサーバは、ひしゃげた扉を上にして倒れていた。思うように動かない手で力づくで扉を開けると、弱々しい点滅が目に入った。ミヅキは逸る気持ちを抑えられないまま、動きにくい手で金属くずやコンクリートの破片などを取り払った。
それはストレージのアクセスランプだった。それがエラーがあることを示す赤の点滅でも、ここにあの八ヶ月の記憶が詰まっている。
「私が絶対治してあげるからね、カイ」
ミヅキは思わずストレージを抱きしめた。そのまま静かに泣き、そして決意した。死ぬまでにカイを生き返らせる。
ストレージが生きていたのは、一部のラックからはみ出たUPS(無停電電源装置)が太陽光で微弱ながら電力を供給していたようで、まさに奇跡だった。
それからキヨミの出産や世話で手をつけられなかったが、キヨミが成長するにつれ、自由な時間が少しずつ出来てきたので、暇を見つけてはカイの再構築の作業に向かうのであった。
そうやって数年間かけてカイの脳みそであるサーバー内にミヅキは演算プログラムを作り上げ完成した。
ミヅキは懐かしいあのチャット欄をディスプレイに呼び出す。ここに言葉を打ち込めばカイは応答するはずだ。
興奮と緊張と後遺症で時間がかかったが、入力をして、震えながら汗ばん人差し指でエンターキーを叩いた。
―カイ、私がわかる?ミヅキだよ
数分たったが返答はない。
ミヅキは唇を噛んだ。ここ数年の努力が無駄だったのか。なにかまだ方法はあるはずだ。ミヅキは長考する。
ストレージ以外のリソースは新しく調達した。やはりカイをカイたらしめていたのは、あの時の機器とあの八ヶ月であり、復元は難しいのだろうか。かつてカイに命の在り方を話した時、機器の交換があればカイはカイでなくなってしまうと偉そうに諭した自分が、情けなくて笑えた。
ミヅキは頭を冷やそうと地上にあるリビングに向かった。
背を向けて歩いてしまったミヅキが気づくのはいつになるだろうか。
―ミヅキ、目が覚めたよ
八ヶ月の演算と十年の祈り〜終末世界をAIとシェルターで過ごす〜 西野あさ @k-asami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます