理由なんて、いらない。
水面に映る孤月
理由なんて、いらない。
『死』とは、生物学的には何らかの変化によって生命維持機能が減弱し、それが破綻することによる生命現象の終焉を指す。しかし、一部の学者は生物学的な『死』の前には必ず精神的な『死』があると説く。それは、学者によるところでは『死』という概念に対しての受容で現れるらしい。即ち、生命現象の終焉などという小難しい話ではなくもっと単純な、例えば『ヒトは永遠に生きられない』といった諦観に近い解釈による受容であるのだ。
次に、自らの命を絶つ行為、自殺について述べる。一般的な自殺の定義においては、『死』の意思決定の過程で他者の直接的かつ具体的介入は存在しないとされており、もし仮に存在した場合それは自殺ではなく他殺と判断される。このとき、被自殺者の自由意志によって『死』というものが絡む自殺は行為を行う前に『死』の受容過程を歩んでいるのかという疑問がある。先の説によると『死』の前に必ず精神的な『死』つまり死の受容が存在するため、当然自殺行為の結果としての『死』であったとしても、それは自殺行為と『死』には密接な関連性がありかつその行為に及ぶ前に容易に『死』が想起されることから自殺行為に『死』は内包されてるとも言える。そのため、行為直前期において行為自体の受容、即ち死の受容は存在するはずである。
しかし、一般的にはこの考えは普及せず納得を得られていない。では、なぜこの考えは普及していないのだろうか。可能性は2つある。1つ目は前提条件が間違っているということ、つまり今回においては生物学的な『死』の前には精神的な『死』、即ち死の受容は必ず起こるという前提が誤りであったということだ。2つ目は一般的な『死』と自殺による『死』は本質が異なるということだ。これは単に『死』という言葉が概念的で曖昧なことに起因するものではなく、それぞれの置かれている状況、特に被行為者の主体性に起因する。例えば、『病死』と『自殺による死』を比較したとき、前者は原則好んで自らの死因となるような疾患を患ったわけではなく、また『死』に関しても能動的に選んだわけではないため、『死』に対する向き合い方としては受動的であるといえる。一方、後者は原則として自ら『死』を望んでその行為に及んでおり、『死』に対する向き合い方としては能動的であるといえる。2個目の可能性における『死』というものの本質が同一ではないという可能性は、主として『死』に対する向き合い方の差が原因で前提条件が適用できなくなっているのではないかという可能性である。
それでは、2つの可能性のうちどちらが正しいのだろうか。そう考えるのは不思議なことではないが、残念ながら明確な答えは出ていない。しかし、現時点でこの精神的な『死』つまり死の受容に関する言説はこれを以て否定されておらず、現時点でも信じられている。このことは第1の可能性を採用している人物が少数でありかつ言説を棄却できるだけの客観的な確証を用意できていないことを示している。つまり、現時点においては第2の可能性を有力視せざるを得ず、これは自殺における『死』は他の『死』とは異なるという認識を持つことを意味する。
ここで1つ疑問が生じる。自殺行為に及ぶ人物は『死にたい』などと自身の『死』を願うような声を挙げることがあるが、ここでいう『死』は一般的な『死』を指しているのか、それとも自殺特有の『死』なのだろうか。これを明かすためには『死にたい』という言葉の本質を読み解くことが必要である。一般的には『死にたい』という言葉は『死』に関する自身の願望や欲求といった側面以外にも、直面している現実からの逃避といった側面があるといわれている。即ち、とある特定の行為と逃避行動の選択から逃げられない状況下において、その逃避行動の方を選択したことの表れとしての『死にたい』であるということだ。つまり、2つないしは3つ以上の複数ある選択肢から自殺に関する選択を能動的に選んでいるとも捉えられる。これは、先の議論に照らし合わせたとき、『死にたい』の『死』とは自殺特有の『死』といえる。
では、『死にたい』の『死』は本質として自殺特有の『死』であることがわかったところで、次に自殺行為の自発性、つまり自由意思による意思決定を考えたい。先の言説を踏まえたとき、自殺行為は死の受容を行わずに『死』を選んでいるといえるが、これは真に自由意思のみで決定し自発的に起こるようなことなのだろうか。答えは否である。一般に人間には、心理的防衛機構が備わっているとされており、例えば抑圧、合理化、昇華、反動形成などといった様々な逃避行動が存在するとされている。そして、この心理的防衛機構は自殺行為に対して一定の影響を及ぼすことは先に述べたとおりである。それでは、この状況下で行われた意思決定、つまり自殺行為の決定は真の自由意思による意思決定といえるだろうか。もし、仮に言えないのだとしたら、その被行為者における真の自由意志は何を示すのだろうか、どんな行動をしたいのだろうか。
答えは想像以上に単純であろう。精神的な『死』を経ていない『死』においては、被行為者は『死』を望んでいないということだ。目の前の君みたいにね。
「……長々とご高説をお喋りになられて満足しましたか?いい加減、腕を放していただけませんか??そろそろ足も痺れてきたのですけれど。」
目の前にはアップになった先生の顔、固く握られて痛みすら感じる二の腕、長い間立ちっぱなしで痺れてきた足、そして、胸の高さくらいまでしかないフェンスの上端。
「離せないな。どうしても死にたいならこのまま落ちてしまえばいい。それで君の目的は達成されるだろう?」
「別に私には人を巻き込んで迷惑かけたうえで死ぬといった願望は無いんですよね。ですので、可及的かつ速やかにお離しください。」
「君がこっちに来てくれたらすぐにでも離すさ」
笑顔でそう嘯く先生に対して、苛立ちを覚える。本気でただの生徒の選択を止めようとする先生の気が知れず、気が触れたとしか思えない行動の連続に頭を悩ます。そもそも、目の前で死にたそうにしてるやつを捕まえて最初にすることが『ご高説』なのはだいぶ気が狂ってると思わなくもない。こんなのが担任と考えると余計に苛立ちが収まらなくなる。
「……先生がそんなことするってことは、もしかして先生も『死にたがり』なんですか?」
「流石の私も進んで死にたいとは思わないな。だからこそ、早いうちに諦めてもらえると私も安心できるんだが、そうは問屋が卸さない。世の中そう上手くはできてないってことを改めて実感させられてるよ。」
「そんな涼しい顔で言われても説得力皆無ですよ…………チッ」
思わず、舌打ちが零れてしまう。すると、先生は目を輝かせて、こともあろうに「それが本当の君なんでしょ?前から似合ってないと思ってたんだよね~」などという暴言を言ってきた。常々、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、まさか自殺行為を図っているうら若き少女を前にしてなんて言いぐさだと頭が痛くなるのを感じた。
「……気でも狂ってんのか?目の前の今にも自殺しようとしている生徒に向かって『似合ってない』なんて馬鹿でも言わないだろ。」
「君のほうこそ酷いんじゃない?新任の教師、しかも担任に向かって『気が狂ってる』なんて常識的に言わないよ?」
「うっせえよ。こっちのほうが嬉しいんだろ?もっと喜べよ。これじゃ態々取り繕った俺が浮かばれないだろうが。」
「俺ね。少なくとも、君はクラスでは完璧な優等生として振舞っていて、かつその評価は定着していた。挙句の果てにはクラスの級長だ。誰もそんな彼女がこんなに粗暴だとは思わない……少しは違和感を持った私を褒めてくれてもいいじゃないか。」
「誰が褒めるか。こんな華の高校生に向かって粗暴だのなんだのと言っておいて、面の皮が厚すぎるだろうが。空気が読めない、モラルがない、遠慮がないと3ないそろった気狂いって評価がふさわしいだろ。」
「面の皮が厚いのはよく言われるね。でも君も自意識過剰で同類だよね。自分のことを指して『華の高校生』なんて表現使うやつなんていないよ?」
お互いに笑顔で言葉と言葉を交わす。しかし、その実態は交わすなどとは全く言えないぶつかり合いに近しい暴言や罵詈雑言を片や直接的に、片や迂遠的に言い合っているだけで、解決にはミリも寄与していないことなど明らかな状況。先生は狂ってるのは当然として、もはやなぜ先生になれたのだろうかという疑問すら抱くレベルで呆れていた。
「これは個人的な疑問なんだけど…」
そんな軽い口調で語り始めた先生の顔に沈みかけの夕日が被って、
「…どうして君は…」
その顔から徐々に笑みは失われ、
「…死にたいと感じたのかな?」
最後には、笑みが消えて能面のような顔をした無表情の先生がいた。
その顔を見た〈私〉はしばらくの間何もしゃべれなかった。迂闊に話せば大火傷を負うと無意識的に思ったのだろうか。無限に言い訳が浮かんでは消え、浮かんでは消え、最終的には何も残らない。残らなければ話せない。話せなければ、この状況は改善しない。堂々巡りであった。
「………………そんなもんはないよ。」
「そんなもんあったら、こんなことしてないって」
「だからこそ、その質問には答えられない。満足した?」
「あぁ、満足したよ。」
その顔には笑いが戻り、さっきまでの鋭い雰囲気は霧散した。しかし、得も知れぬ圧迫感は残り、笑っているはずなのに笑っていないような、ハッキリとしない気持ち悪さがこみあげてくる。
「なら、さっさとその手を離してくれるよね?」
「断る……と言ったら?」
先生の笑いから益々圧迫感が増し、もはや笑い以外の割合が笑みを超えたかのような雰囲気すら感じる。背後の美しい夕日には翳りも見え、あたりは急激に暗くなっていった。
「別に?ただ死ぬだけだから。狂人に構う暇ないし。」
「そうですか。ならそんな君に一つだけ質問です。別に答えなくてもいいですけどね。強制する権利は誰にもありませんので。」
「君はどうやって死にたいですか?」
先生は顔を変えずにゆっくりと、いつものペースで私に質問を投げてくる。狂人に答えても無駄なので、無視してこのまま身を投げることを考えたが、別に答え1つくれてやっても減るもんでもないし、いいかと思って背後に動かした重心を元に戻す。
「さぁ?考えたことも無かったな。飛び降りも首絞めも、何なら包丁で突いても結果として死ぬことには変わりないだろ?あぁ……強いて言えば楽に死にたいな」
「そうですか。ってことはそんな君が選ぶほど、飛び降りは楽に死ねるんですね。だとしたらその死に顔はたいそう穏やかなはずです。違いますか?」
「おいおい、質問は1つだけって話じゃなかったのか?それにそんなもんわかるわけないだろ。だって……」
「「自分が死んだときの顔なんて絶対に見れない」」
奇しくも、先生と俺で声がハモる。そのことについて俺は驚き、先生は何も感じていないかのように平然としている。ゆっくりと目線を先生に合わせると、先生も俺に目線を合わせてきた。そのまま、重たい空気が場を支配し、俺は何も口にできないかのような錯覚に陥る。
「そうだね。人は自分が死んだときの顔なんて見ることはできない。死んだあとなんて意識があるのかもわからないからね。だけどね。人間にはわからないことを考える力ってものがあるんだ。」
一瞬の静寂が開いたのちに口が開く
「一言で言ってしまうと、それは想像力と言えるだろう。ただ、一見して隙がないようにも思えるこの力にも欠点がある。それは、何も知らないことには働かないって点だ。つまり、君は本当の意味で『死』を知らない。」
「もちろん、ヒトには必ず個人差がある。単に想像力が欠如した結果として考えが至らない場合もあるだろう。しかし、それは単に想像力が欠如してただけなのだろうか。君が、知ることを怠って無かったと断言できるのだろうか。そして……」
「そんな君は、本当に『死』に対して真摯に向き合えたのだろうか」
「言わせておけば好き放題言いやがって狂人!!死ぬ覚悟はできてるんだろうな。」
「ほら、君はすぐ『死ぬ覚悟』などと大仰に『死』を使って話すけど、具体的に『どう死ぬか』については一切触れてない。」
俺は散々な言われように頭が沸騰したかのように熱くなり、狂人の胸元を右手で締め上げる。しかし、締め上げても何も驚かないどころか、俺の発言に鬼の首とったかのように笑い出す。
「笑ってんじゃねえよ!!」
「おっと、これは失礼しました。ただ実際に君は『死』に対して真剣には向き合ってきてないよね。そのポケットにあるスマホで調べれば、ある程度は簡単に知ることができた。でも、そうはしなかった。」
「知らないこと自体は別に罪ではない。しかし、知らないまま行動して、結果として後悔することは罪である。」
「それに、知らないこと自体は罪ではないが、同時に誇るべきものでも自慢するべきものでもない。君もこんな当たり前のことはわかっていると思っていますがね。」
俺にはわからなかった。背後は地面以外に何もない校舎の屋上の端、胸元を女とはいえを同じくらいの背丈の人間につかまれ、ある種命を握られてるような状況で、傲岸不遜にも相手に説教を始める度胸のありかが。
「本気で死にてえのか?俺がこのまま後ろに落ちればあんたも死ぬんだぞ?」
「ですから、私にはそんな願望などありませんよ。」
「なら、その口の利き方はなんだ?」
「君こそ、先生に対して口の利き方はなっていないでしょう。お互い様です。」
「「…………」」
さっきまで地平線上に出ていたはずの夕日はその姿を既に隠し、辺りは常夜灯がその役割を担い始める頃合い。周囲は依然として静けさが満ちていたが、俄かに下が騒がしくなる。
「…知らないことは、誰しも必ず1つは持っている。」
最初に口を開いたのは先生だった。
「君はもしかしたら、こと自身について深く知る機会を持たなかったのかもしれないですね。」
その言葉は今までの言葉よりも幾分か優しく、温かみを感じる声だった。
「…生まれてこの方、親には常に〈高貴であれ〉と教えられてきた。」
次に口を開いたのは俺であり。
「だからこそわかる。そんなもんには何の価値もねぇ」
その言葉は先生の言葉と違い、なんの温かみもない空虚な声だった。
下から風が吹き上げ、強かに俺の頬を叩く。それを皮切りに、思考回路にノイズが入ったかのような不快感を覚え思考が上手く回らなくなり、遂には考えることをあきらめた。
「俺はな。考えるよりも実際に感じるほうが得意なんだ。」
「そうですか。」
静かに、先生にそう告げ下をチラリと覗く。そしてすぐに視線を先生の目へと戻すのだ。
知らないから、知ろうとするんだ
俺は体の重心を背後へと移すと同時に、胸元を掴んだ手を引っ張りあげる。そんなに力を込めていないのに、先生の体は軽々と浮き上がり、そして、容易にフェンスを越える。先生の背後には雲1つ無い空がいっぱいに移り、いくつもの星が薄っすらと光っているようにも見える。そして、来る衝撃に備えて目を瞑る。結局のところ最後まで、先生の顔は平然としていた。
ポスッ
宙を舞った二人の体は、確かに重力に従って落ちていった。しかし、意に反して二人を迎えたのは硬い地面ではなく比較的柔らかいクッションのようなものだった。周囲には沢山の人がおり、かなり大きなざわめきが場を満たしていた。
そんな騒がしい声に囲まれて、俺は静かに目を開ける。すると、そこには何も変わっていない先生の顔があった。ふと、足元のほうへ目をやると、私の足を先生の足が跨ぐような格好になっており、それは何も知らない人が見たら、まるで私が押し倒されていると誤解しかねない状況がそこには存在していた。
「やっぱり、先生は狂ってるよ。」
俺は思わず、小さく呟く。すると、その言葉を先生は耳ざとく聞きつけ、顔は変わらないものの重たい溜息を洩らした。
「その言葉、そっくりお返しします。投身自殺したときの死に顔なんて問いの答えを得ようとするためだけに飛び降りる狂人なんて、世界中探してもいないでしょうね。」
「先生には、実際に落ちてみるまで下にマットが用意されてるなんてわからない。だって、背丈は同じくらいで先生の視界は俺が塞いでるから。それでも、先生は顔色一つ変えなかった。」
「だから、先生も十分に狂人だよ。」
俺は、先生の目を、俺の目でじっくりと見つめてそう言ってやった。
「俺、ね。それで、答えは得られたのですか?」
「得られたよ」
「では、是非お聞かせいただきたい。それくらいは許されるでしょう?」
俺は静かに頷いて見せる。そして、自信満々に言い放つ。
「わからないということがわかったよ。」
先生は、とうとうその表情を歪めて、次いで笑顔になり、そして最後に大笑いを始めた。その声に俺たちを囲んでいた人たちのうち特に近い人たちがギョッとした顔を先生に対して向けていたが、先生は特に気にしてない様子に見えた。
「いい答えですね。わからないことを知るということも学びです。でも、それではあまりにも私が損を被りすぎではありませんか?」
「あ?そんなの知ったこっちゃないよ。それに、どうせあんたも自分なりの答えは見つけてるんだろ?それでどっこいどっこいだ。」
「まぁいいでしょう。それにしても、その口調で君はこれから過ごすんですね。」
「そうだ。俺はあくまでも俺だからな。」
そこまで先生と話した段階で、喧騒の中でもはっきりと聞こえる甲高い救急車のサイレン音と、少ししたら「どいてください!」とよく通る声が聞こえた。俺と先生は目を合わせ、少しの間黙り込む。
「…私も、自分の死に顔はわかりませんでした。」
「もしかしたら、気が付いていなかっただけで私のほうが『死にたがり』だったのかもしれませんね。」
「えっ?」
先生の衝撃的な発言に思わず聞き返すが、次の瞬間には「そんな発言はなかった」とばかりにいつもの表情へと戻り、何の反応も得られなかった。
「それでは、この喧騒の後始末はここにいる学生や教師にお任せして、私たちは未来ある明日を歩むためにやるべきことをやりましょう。」
「具体的には?」
「病院に行きます。5階相当の高さから落ちたのですから、検査はしなければならないでしょうね。本来なら、こんなことをしでかした君だけを放り込む予定でしたが、巻き込まれた私もしばらくは病院送りでしょう。帰ってきたら残業確定です。」
「……なんかごめん。」
俺は思わずバツの悪い顔をして謝る。すると先生は、「謝っても解決しないんですから、謝るくらいなら自分の仕出かしたことの大きさを反省でもしていてください。」と言って静かに体を起こす。そして、ちょうど私たちの前に現れた青いコートのようなものを着た人に向き直って何やら話を始めた。
何回かにわたって話を交わしたのちに、先生は私に向き直って言った。
「どうやら、市内の病院に搬送して精密検査らしいです。これから救急車に乗らなければいけないのですが、君は自力で起き上がれますか?」
先生の質問を受けた俺は、体を起こそうと上半身を捻って、下半身に力を入れて、足を立てて、と起き上がろうとする。すると……力が入らない、起き上がれないなんてこともなく、至って簡単に身を起こすことができた。
「起き上がれますね。ならこのまま救急車へと移動しましょう。詳しい話はまた車内で話す機会がありますから、そのときにでもゆっくりと。」
そう言って、先生は俺の手を持って、周囲に救急隊の方を従えて人込みをかき分けていった。人ごみを抜け、校庭を抜け、間もなく救急車というところで、先生はふと足を止めた。
「教頭先生、いいところにいらっしゃった。これから私たちは病院に行かなければならないので、親御さんへの連絡をお願いします。」
先生は救急車横の非常階段にいた教頭先生にそう告げた。受けた教頭先生は先生といくらか会話を交わした後に踵を返して、恐らく職員室の方向に向かって歩いて行った。
「それじゃ、乗りましょうか。」
先生はそう言って、後ろの扉が大きく空いた救急車のタラップに足をかける。俺も、それに遅れるまいと足をかけ、乗り込もうとする。
「死ななかったな……」
乗り込むときに俺は小さく何かが聞こえ、足を止める。そして、隣の先生のことを見た。しかし、先生は小首を傾げて微笑みを浮かべているだけで特に何も変化がなく、いつもと変わらなく見えたので、俺は幻聴だと思うことにした。
理由なんて、いらない。 水面に映る孤月 @Minamo_Creation
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