福地ジュリカのスキンシップが強すぎる!

辰巳しずく

福地ジュリカのスキンシップが強すぎる!

 目が覚めたら、ブラをつけていた。


「……は?」


 自分の声が、妙に高い。寝ぼけているのかと思ったが胸元に感じる違和感がそれを否定する。というか、ここはどこだ? なんかどっかの学校の教室っぽいぞ?

 ぎこちなく首を右に左にと回せば、見たことがない制服姿の高校生たちがあちこちにたむろしている。どうみても学校の教室です、本当にありがとうございました。


「……マジ?」


 思わず目をこすり、正面にある黒板と教壇が消えないかと試す。

 けれど消えない。むしろ目元がヒリヒリしてきた。諦めて手を下ろした時、ふと膨らんだ布地が目に飛び込んでくる――しかもセーラー服というおまけつき。


「……!」


 さすがにもう無理だった。大きな音を立てて椅子から立ち上がる。周りにいた学生たちが驚いたように顔を向けるが、こっちはそれどころじゃない。

 全身を突き動かす衝動に任せて教室を飛び出す。嘘だ、嘘だ! 俺は男で、40歳手前の独身サラリーマンで、ソシャゲの課金兵だったはず!


「はあ、はあ、はあ……」


 とっさにトイレに――ちゃんと女子トイレに!――駆け込めたのは今にして思えば多分、体が覚えていたからだろう。おかげで恥をさらさずに済んだ。

 でも当時はそう思う余裕なんてなかったな。なにせ指が白くなるまでトイレの洗面台のふちをしっかりと掴み、顔をうつむかせていたから。

 

 それでも、と思っておそるおそる顔を上げた鏡に映ったのは――


「うそだろ……」


 ぱっちり二重に透けるような白い肌。

 サラサラした黒髪にちょっと直視できない、ふっくらした唇。

 それこそ地雷系ファッションがよく似合いそうな可愛い子がびっくりした顔で鏡を見つめていた。


「俺、女の子になってる……!?」


 これが私の再スタート――とりあえず前世の記憶を抱えたまま、生きることになった女子高生・根古林ねこばやしありすの始まりだった。



 ――それから2週間後。


「はぁ……」


 昼休み、私は自分の席で頬杖をついていた。まだ心の整理はつかないけど、なんとか女子高生ライフが送れている。まぁ、送っているというよりは元男だとはバレずに過ごしていると言ったほうが正しいかも。


 だってこのシチュエーションってあれよ、転生よ?

 なのに剣とか魔法とかある異世界じゃなくて現代日本ってどういうことだよ!? しかも時代は平成の真っ只中! 当然スマホなんてまだないし、世界を震撼させたアレコレはまだ起きてもいねぇ!


 そもそもスカート穿かなきゃいけないし、胸は重いし、男子から妙な視線を向けられるし、周囲の女子とは馴染めなくて気まずくなるし――正直、生きにくい。


 そんなわけで私は絶賛、クラスで浮く存在になってしまった。


(我ながらどうかとは思うけど……)


 努力はした。したんだよ。

 でも女の子らしく愛想よくふるまえない。笑い方はぎこちない。女子グループにも男子グループにも壁を感じてうまく混ざれない。


 まさにないない尽くしの女子高生ライフ。

 事実、周囲はあの日のように仲良し同士で群れているのに。私だけぼっちなのだから。


「ねこちゃーん! 今日もお昼、どう?」


 ……いや、1人だけ変わり者がいたな。

 長い髪に整った顔立ち。大きな瞳はぱっちりしていて、リップはほんのりとしたピンク色。モデル並みに均整が取れたスタイルが堂々とした立ち振る舞いをすれば、それだけで人目を惹く。


 10人中10人に聞けばきっと学年カーストの頂点だと認めるだろう彼女――福地ジュリカになぜか、ここ数日、私は絡まれていた。

 ちなみに彼女のいう『ねこちゃん』とは根古林の略称である。


「……懲りないね、福地さんも。なんでそんなに私に話しかけるの?」

「うーん、なんか放っとけないっていうか? ねこちゃんって、ひとりでいること多いし」

「……そ、そんなことないけど」

「ウソ。目、泳いでるし。てか、わたし、ねこちゃんの最初の友達でしょ?」


 うっ、と息を呑む。図星だった。

 根古林ありすとして過ごした2週間。私は記憶を取り戻す前の彼女について調べたのだが……根古林ありすはマジで地雷系女子だったらしい。


 自室のクローゼットにはいかにもふわふわしたピンク色の服が敷き詰められていたし、毎日書いていた日記には彼女の情緒の不安定さがひしひしと伝わってきた。

 ぶっちゃけ、私がクラスに浮いているのは高校入学してからこの2か月における根古林ありすの存在も大きい……どうせTS転生するなら清純派美少女がよかったよ、チクショウ!


(根古林ありすの家族は変わった私を受け入れてくれたけど……)


 かといって家族に本当のことを打ち明けることもできず、ネットを頼りに解決策を探すこともできず、ずっと1人だった。


「……ありがと」


 気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。たった一言なのに胸の奥がくすぐったい。


「わ、照れてる? かわいい~」

「か、かわいくないって!」

「あるある~、自分のかわいさに気づいていない系女子♡」

「ちょ、ちょっと! さすがに近いって!」

「え~、いいじゃん。ねこちゃんってさ、お肌すべすべで気持ちいいんだもん」


 ……あのなぁ! こっちは忘れがちになるけど中身おっさんなんだぞ!? そんなに無防備にスキンシップされたら意識しちゃうだろ!?

 だというのにジュリカはぐいぐいと迫り、完全にペースを持っていってしまう。今だってそう、頬が触れそうなくらい顔を近づけてくる。


 場所が場所ならセクハラとして訴えられてもおかしくない。

 なのに。


(なんでだろ……悪くないかも)


 明るくて、かわいくて、いつもクラスの中心にいるジュリカ。

 そんな彼女が自分に笑いかけてくれると、どこかほっとする。体は女でも心は男なのに、ジュリカの言葉に日に日に揺らいでしまう。


(ドキドキするけど安心するっていうか……男だった頃にこんな美少女に迫られたら勘違いしていただろうけど、それとこのドキドキとは違うっていうか)


 心臓が変に跳ねる。けど心は逆に落ち着いていく。


「それでどうする? お昼、いっしょに食べよ?」

「……うん、食べる」


 私は完全に福地ジュリカに戸惑っていた。



 それは午後の授業中、突然起こった。


(なんか……苦しい)


 私はそれとなく胸を撫でる。男だった頃にはなかった胸の張り。

 胸だけがむくんでいるというか、腹にガスがたまって膨張した時に感じる圧迫感が胸に集中しているというか……そんな変な感覚がむずむずとこみ上げてきた。


 これが生理前の症状ってやつだろうか? それとも単純にブラのサイズが合わなくなってしまったのか――よく分からないが、座っているだけなのに妙に息苦しい。


「ねこちゃん? 顔色悪いよ? 大丈夫?」


 なんとか授業を乗り越え、短い休憩時間になるや否や、ジュリカが不思議そうに覗き込んできた。近い。こっちは余裕がないっていうのに。


「なんていうか……ちょっと胸が、苦しいだけ」


 言って後悔した。『胸が苦しい』なんて女の子っぽい言い回しを自然に使ってしまった、そんな自分に。


「えっ、胸? えっ、それ、やばくない? とりあえず保健室行こ! ほら!」

「い、いいって、大丈夫だから!」

「いーからいーから。こういうときに無理したらますまずやばくなるんだよ?」


 ジュリカは有無を言わさず、私の手を取って引っ張っていく。

 指、細くてひんやりしている。でも手の力は意外と力強くて――頼む。やめてくれ。そんな当然のように手をつながないでくれ。


 不意に心の底からあふれ出すみじめさを噛みしめていると、あっという間に保健室に到着した。どうやら先生は留守で不在。ついでに言うとベッドで休んでいる子もいない。

 ジュリカは慣れた様子でベッドに私を座らせ、保健室のドアの鍵を閉めた。そしてベッドのそばにあったカーテンも閉めてしまう。


「え、ちょ、なに」

「誰にも見られないようにしたほうがいいかなって。ねこちゃん、ブラが邪魔になってるっぽいし。ちょっと脱がすよ?」

「脱がすって……ま、待って待って、それは――っ!」


 抵抗する間もなく、するりと制服のスカーフが滑り落ちた。

 思わず硬直する私をよそにジュリカの指はV字型の前襟に隠されたボタンをぶちぶちと取り外し、横開きのファスナーを上げてしまう。


 女の子になるまでは知らなかったけどセーラー服といっても、素材とか襟とか1つ1つによって色んな種類があるらしい。

 たとえばセーラー服の上着は大きくかぶり型と前割り型に分けられる。

 意味はそのまんま。かぶり型はセーターやTシャツのように頭からかぶるタイプで、前割り型は前にファスナーがあるタイプ。

 私の学校はかぶり型で、少し着づらいんだけど見栄えはいいんだよね――って、今はそれどころじゃない!


「はい、ばんざーい」

「や、やめっ……勝手に脱がせないでよ!」

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから。多分ブラを外して少し休めば楽になれるよ」

「うう……っ!」


 こうなってしまえば仕方がない。

 私は頬に熱が集まるのを感じながら覚悟を決めた。袖のカフスを外し、セーラー服の上着を脱ぐ――とたん下着で隠されていない肌が空気にさらされ、ジュリカの視線が突き刺さった。


「……えーっと。んじゃまぁ、失礼するよーっと」

「え、まっ」


 向き合ったまま、ジュリカの手が私の背中に回る。

 待って、ほんとに待って!? こんな女子高生にブラを外させるとか……こちとらおっさんなんだぞ!?


(これ以上は男としての尊厳とか中高年の意地とかが死んでしまう!?)


 そう思っても焦るあまり、口も体もスムーズに動いてくれない。

 その間に彼女の指がキャミソールの中にもぐりこみ、そっと私の肌に触れた。

 瞬間、


(――やば)


 体が、ビクッと引きつる。

 それはジュリカにもダイレクトに伝わったらしく、指がピタリと止まった。


「……ごめん、痛かった?」

「ち、違う……そうじゃない、そうじゃなくて……えっと」


 私は目を伏せて小さな声で言った。


「ドキッとして、しまって……」


 痛かったんじゃない――感じてしまったんだ。 

 ジュリカの指が“私”に触れた。それだけのことなのに、この体が過敏に反応してしまったのだ。


(やだな……なに、これ)


 混乱と羞恥がじわじわとせり上がってくる。

 こんな自分に混乱しているが、それ以上に恥ずかしい。

 だってこんな体はもう“男”じゃない。私の意識に男がいたとしても、体も感覚も女の子なのだ。その現実を容赦なく突きつけられたようで――


(情けない……)


 こんなことで私の中の“俺”が削られていく。

 そのまま黙り込んだ私に対し、ジュリカは「あー」と何とも気の抜けた声を発したあと、こう呟いた。


「そっか、そっか……ドキッと、したんだ」


 どこか嬉しそうな声と微笑み。

 予想していた軽蔑とか嫌悪とかは含まれていないけど、あまりにもまんざらでもないといった口調だから余計にこっちは恥ずかしくなってしまう。

 そんな私をどこか困ったように見下ろしながら、彼女はキャミソールにもぐらせた指を引っ込めた。かわりにポケットから錠剤を取り出す。


「これは?」

「生理前の症状を緩和してくれる市販薬。こういうのって個人差が大きいけど、気休めになると思うから」

「え、いいよ。これ、福地さんのものでしょ?」

「いいからいいから~。変な空気にしちゃったお詫びとして受け取ってよ~」

「なんで、そこまで……」

「最近、ねこちゃんってまるで別人になったみたいに変わったじゃん? ……前は正直、関わり合いたくなかったけど、今はなんか守ってあげたくなるっていうか……放っておけない、ってカンジ」


 少しだけジュリカの声のトーンが上がった気がする。

 が、私はそれどころではなかった。ジュリカの言葉にギクリとしていたから。

 自分のことで精いっぱいで頭が回らなかったが、根古林ありすの変化は見ている人には露骨だったらしい。


(さすがに転生のことは分からないと思うけど……)


 まさか自分が元・男だとバレてしまっただろうか?

 とっさに身構えたものの、ゆるゆると笑うジュリカの様子からはその気配は感じられなかった。


「とにかくねこちゃんはもっと自分のこと大事にしなよ? かわいいオンナノコなんだし。で、困っているなら私に頼ってほしいな」


 ――かわいいオンナノコ。

 それは他人事みたいな響きだったはずなのに、今は妙に胸に刺さった。

 私はもう“男”じゃない。目の前の彼女みたいな“女の子”になって、見られて、触れられて、戸惑って――


 そんなのは自分じゃないと訴える声がたしかに頭の中にもあるが、だけど、今はもう……


「……分かった。ちょっとだけになるかもだけど。頼ってもいい?」

「っ、もちろん!」


 ジュリカの顔が笑顔ではじけた。

 まるで太陽みたいなまぶしい笑顔。

 その笑顔にドキドキしてしまうけど、少しだけ胸の苦しさが和らいだ気もした。


 この先、“私”はどうなっちゃうんだろう?

 そんな不安も、転生も本当の性別も、今の自分もどうでもよくなってしまう。だって彼女の笑顔だけが私の真ん中にあるのだから。


(了)

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