屑たちの遊び場

玉置寿ん

屑たちの遊び場



――そうだよ、僕らクズなんだから。


すべり台の上で、高らかに君は言った。


――社会から諦められて、だから何になるんだよ。むしろ褒められるべき、称えられるべきなんだ。


俺はブランコにじっと座って君を見ていた。太陽はついさっき沈んでしまって、オレンジ色の公園には夜が忍び寄ってきていた。腕にとまった蚊を叩くと、誰のかもわからない血が手についた。


――わかるだろ? 僕らはまだ子どもなんだ。それなのに、そこらの大人どもにはできないこと、自分で生きる道を決めたんだよ。


そうか。これが君の選んだ道なんだね。引きとめてしまえば、そんなの、『大人ども』と同類だ。それだけはやだ。


だから、笑った。


うん、じゃあいってらっしゃい。俺は俺で、生きる方法探しとく。父さんの店は継ぎたくないから、田舎で農業でも始めようか、なんて。


――何言ってんだよ。


君はきょとんと、その丸い瞳で俺を捉えた。あたかも蛇の髪を持つ怪物のように。


――お前も一緒に来るだろ?


すべり台を駆け下りて君は、ブランコも漕がない親友に右手を差し出した。ああ、そうか。


君が本当に望むのはこっちなんだね。

俺は親友の手を握った。不安も嫌な予感も、不気味にぬるい風が吹いたことも知らないふりをして、その未来を選びとった。だって知ってる。


こうでもしなきゃ、君は笑ってくれない。




時は流れた。当たり前に流れた。ゆっくりだとか無慈悲にだとか、そんなのは管轄外だとでも言いたげに、時代は転がっていった。


どれだけ人混みに隠れても木枯らしは俺を探して吹きつける。冬は嫌いだ。


うるさいほど賑わう表通りを、前方を睨むように進む俺は、あの浮ついた恋人たちからどう見えているのだろう。未就学であろう子どもを二人連れて歩く女は、そのコートの袖口からナイフを取り出して俺に襲いかかるだろうか。あまりにも俗世と似合わない俺の目を見たなら。


くだらない空想を追い払って、あいつが指定した待ち合わせ場所に向かう。大通りを抜けて商店街がある道を左へ。細い路地に入れば、さっきまでのが嘘みたいに人の声が遠くなる。


聖なる夜の準備のために、街路樹に上って電飾をつける職人はここにはいない。あるのは山積みにされたごみ袋と、思い出したようにそれを一、二個運び出す婆さんくらいだ。


それにしても。


あいつが打ち合わせにここを選ぶのは何度目だろう。仕事柄、俺たちは同じ場所をうろつくべきじゃないというのに。


汚い裏路地を過ぎると、いくらかマシなしょうもないビルが並ぶ道路に出る。壊滅な郵便受けがなぎ倒された建物の裏手にあるのが、その店だ。


『play ground』


錆びた看板をくぐって、半地下の酒場に入る。


「おーい、だい。こっちだ」

奥のボックス席から涼次郎が手をふった。カウンターのマスターに「いつもの」と指で示し、やつの向かいに座る。


店長はこういうのが好きなんだろう。照明を落とした店内で、この席だけ裸の電球を吊るしている。涼次郎が気に入っているわけだ。


唇だけを微笑ませた給仕が、水滴のついたグラスと分厚いマグカップを運んできた。涼次郎はグラスと金属のマドラーを受け取って、いつものように氷をかき混ぜた。カチキンという音がやけに涼しげで、俺はホットジンジャーに口をつけた。


「十一月によく冷てェもん飲めるよな」

「橙こそ、酒も知らずによくいられるよ」

「アル中か?」

「紳士の嗜みだろ。あ、それより橙、次の仕事とったぞ」


涼次郎は傍らの鞄から紐で綴じた書類をいくつか取り出した。


「これが橙のな。これが僕ので、これは共通」

手に取って目を通していく。


「……無駄に高ェな。金払いのいいやつらめ」

「よく見ろよ。場所、港だぜ」


にやにやした口にグラスの酒を含ませる。ウィスキーだかなんだか知らないが、お前によく似合っている。


なあ浜口はまぐち涼次郎りょうじろう、お前は__君はあの日からなにも変わらない。その一言一句で俺の頭を占領し、一挙手一投足で俺の心を惑わせる。そうして悪戯っぽい目で笑うんだ。

ただそれだけで、俺が君を許してしまうことをよく理解している。


共依存なんて、生温いモンじゃない。


「まああれか。万一のときは潔く死のうっつうことだな」

「そーゆーこと。ま、お互い、落とされないよう祈っとこうぜ」


涼次郎は歯を見せて笑うと、また氷を鳴らした。カチキン、キン、カラン。暖房のこもった店内に響いている。


俺は親友の顔から書類に目を移した。



『僕らクズなんだから』。それを合言葉に、二人で生きてきた。君が言うから、それは信じる以前に存在する真実だった。善悪を考える理由なんてなかった。


ひとえに『君』だから。



三日後の深夜、俺たちは S 港の倉庫前で待ち合わせた。赤錆色のシャッターが潮風に煽られて吠える。大気の暴走に紛れるように、三台の黒い車が俺たちのもとへ近づいてきた。


うち一台が、涼次郎の前に停まった。助手席の窓が開いて男が首だけ出した。

「貴様らが“涼心”か」

「はい。お待ち申し上げておりました」


涼次郎が丁寧に礼をする。俺は目深に被った帽子も脱がずに軽く会釈するだけだ。車の男は舌打ちを二回聞かせて、アタッシュケースを寄越した。

「そんな世辞はいらん。さっさと売れ」


気色悪いほど穏やかな笑みを貼り付けたまま、涼次郎はそれを受け取って俺に渡す。俺は持参したケースからご所望の商品を移す。それを相方に返すと、相方は蓋を開いたまま男に持っていった。


男は商品を手にとり、指を滑らせ、爪で弾き、引き金をカチカチと鳴らした。

「はっ、密造にしちゃ悪くないじゃないか。取引成立だ。金は置いていく」


男は分厚い封筒を俺たちの方に投げ、車の窓を閉めた。

「“リョウシン”とはよく言ったものだな」

なんて吐きながら。


車が全て行ってしまうと、俺はアスファルトに落ちた報酬に手をのばした。車が去る前に数人が闇に紛れて降りてきていたことはわかっていた。奴らがどこに潜んでいて、どこから撃ってくるかの予想もついていた。


何かの音がした。するべきではない音だった。黒い車の男たちではない。奴らには、こんな近くから撃つことはできない。


顔をあげた。目の前に影の塊が迫っていた。とっさに目を閉じて、開くと、涼次郎がのけぞっていた。俺の首から上はべっとりと濡れていた。鉄の味がした。


「りょう、じろ。……おい! 涼次郎!」

叫ぶに、涼次郎の身体は地面に落ちた。吹きさらしの波止場に血の匂いが満ちている。


赤だ。俺の顔にへばりついたそれも、今、涼次郎の頭からどくどくと溢れるこれも。


涼次郎の右手には商品が__俺が作った拳銃が握られていた。もぎ取ろうするが、その試みは堅固な指に阻まれた。


なぜ。


ひときわ強く吹いた風に雲はゆっくりと流されて、隠していたものを覗かせた。ほとんど丸い月。それが、涼次郎の身体を淡く照らした。


笑っていた。涼次郎の唇の端は上がっていた。いつもの悪戯っぽい瞳で、かすかに口を動かす。


「や、ぱ……ぼく」

「喋るな馬鹿!」

「橙」


月が消える。息は細くなる。カチカチと鳴る歯を食いしばって、涼次郎の口元に耳を近づけた。


「橙、ぼく……いま、が、しあわせだから」

「……りょう?」

「しあわせすぎて、不幸なん……だ……」


血まみれのその頭を抱きかかえた。額と額をくっつけて、歯の隙間から漏れる震えを精一杯に聞かせた。このぬるい雨は、涼次郎、お前のために降ってるんだ。俺が枯れ果ててもお前のためだけに流すんだ。だからまだ__。


「……だめだ」

「だ、い」

「お前がっ、いなくてどうやって……!」

「だい、ぼくは、クズだ」

「ああそうだ! 俺たちは__」

「おまえ、は、ちがう。ぼくだけが……」


ふいに腕が重くなった。涼次郎の首がごろんと傾く。薄く引いた唇から白い歯が覗いて、あの悪戯っぽい目は瞼の下に隠された。


「りょう」

両手で涼次郎の頬を覆う。

「君なしで生きろってか……」


空からのひと雫が君に落ちた。もうひと雫は俺を打った。俺はただ君の頭を膝にのせ、本物の雨が赤を流していく様子を見つめていた。


そうだ。あの日もこんな雨だった。土砂降りのなか、君と目論んであの街を出た。


シャツが肌に張り付いて気持ち悪いと笑いあった真夜中に、愛嬌だけが得意な君と、手先の器用さだけが取り柄の俺とで生きると決めた十五の夏。


盗んだのはバイクじゃなく自転車で、百円の缶コーヒーも二人で分け合った。どろどろと黒くて苦くて、ちっとも変わらない君のせいで俺ばっかりが成長して、明るい未来なんてない、そんな尊い青春だった。


君こそが俺の『善』だった。


雨粒がびしびしと帽子を打つ。俺は立ち上がった。かじかんだ手で冷たい君の身体を抱え上げ、桟橋の端まで歩いた。


「撃てよ」

港を背にして叫ぶ。


「口封じだか命令されてんだろ!? 殺せよ! 黒スーツなんかで隠れたつもりかよ。全部わかってんだよ俺には!!」


雨と荒波との美しい不協和音。そして、背後に人の気配。びしょ濡れのシャツ越しに冷酷な銃口が触れる。


「よかったな」

振り向かずに彼を祝福する。

タマひとつでも手間が省けて」


__ドン


皮膚を、肉を、食い千切られる心地がした。途端に、荒れ立った波が俺たちを飲み込んだ。


なあ涼次郎。俺たちはクズなんだ。だったらそれらしく、くだらねェ最期にしようじゃないか。あの暗くて陰気なPlay Ground遊び場じゃなく、深くて無慈悲な海の中へ。


ごめんな。あの店、俺は好きじゃなかった。酒は美味いかもしれねェが、コーヒーでも頼んだら吐くほど不味まじいんだ。君は知らなかっただろうけど。


ああ、馬鹿みたいだな。

思わず笑うと、酸素が口を出ていった。気泡は輪郭をなぞって、真っ暗な海面を目指して駆けのぼる。


巨大な時代に苛まれながら俺たちは生きてきた。巨大な波に揉まれながら俺は君の額に唇をつけた。


それから鉄の味のする水のなかに、君を抱いたまま沈んでいった。

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