季節の巻紙

はてな

季節の巻紙


 高校を卒業してから直ぐに社会人として働き始めた俺の心は、23歳にして既にボロボロだった。


 田舎から上京して、建築関係の仕事から、電気工事士の仕事、庭師や土木。どこも一様に癖のある親方や職人と呼ばれる人種が存在している職業を点々としてきたが、運悪くどいつもこいつもクソだった。


 何がクソだったかは、まぁ想像にお任せするが、一時期はこの世からオサラバしようかと思っていた。仕事の最中は当然のこと、やっとこさ掴み取った休日ですら、頭の側ではどのように死んでやろうかなどと考えていた。まぁ、実際には実行する勇気なんてなかったんだけど。


 まぁ良い。こんなクソな生活ともこれで最後になる。死にたいながらも、せこせこと金を貯めといてよかったな。まぁ金以外何も得たものは無かったが。いや、あるにはあるな。二度とこんなクソな職を選択しないという確信が。


 俺は、上京してからずっと住み続けた、都内というのに家賃2万もしない汚いながらも思い出のあるアパートを後にして傷だらけのハイエースに乗り込んだ。


 キィ・キィ・・キィ・・・キュルルル・・・ブーン。


「やばいなぁ。流石にそろそろ車も替え時か?ずっと一緒に走って来たじゃねぇか。もうちょっとやれるよな?」


 上京してから、初めての就職先が建築業だったために、中古でこのハイエースを購入したが、流石に毎日運転する生活を五年も続けていればガタが来るのも無理はない。しかし、まだまだ現役で運転してくれなきゃ困る。なんせ引っ越しの費用で貯金はあんまりない。


「頼むぞ相棒」


 俺は願掛けするようにハンドルを思いっきりバシッ!と叩くと、遠慮なしにアクセルを全開に踏んだ。なーにこのくらいじゃどうってことないだろう?いや、寧ろ何かあったら辛抱たまらん。なんせこれから二百キロの長旅だ。


 今回、俺が引っ越しを決めたのは、名前は伏せるが〇〇県の〇〇町という、小さな田舎町だ。丁度一ヶ月前くらいに貴重な休日が取れた時に、日々の疲れを癒そうと、その田舎町にある温泉に入りに行ったんだ。別にその温泉が有名だとか珍しいとか、ましてや俺が温泉通だってこともない。ただの田舎町にある極々普通の温泉だった。どちらかといえば、温泉に引かれたというよりも、その田舎町の風景に引かれたという方がしっくり来る。


「いやー。それにしても一ヶ月前のことは今でも思い出すなぁ。あのクソジジイ。自分の作業が終わるまで帰るなっていうんだもんな。俺の仕事はとっくに終わってんのに。ありえねぇよ。帰って見たいテレビがあったって言うのによ。あークソ。こっちはそのせいで病んだっていうのになぁ?」


 思い出したら、イライラと病んでる時の心の独特な痛みが同時に襲ってきて、俺は紛らわすために、タバコを一服吸った。やはりタバコは偉大だ。いつも俺を落ち着かせてくれる。それでいて、このタバコは一級の品物だ。


「うえ!もう残り少ないじゃねぇか!チクショー。美味くてついつい吸いすぎちまうなぁ。あー、どうすっかなぁ。普通のタバコで我慢するか?いやーでもなぁ。これ吸ってから不味いんだよなぁ」


 この一級のタバコというのは、〇〇県の温泉を昼間っから堪能した後、その田舎町をぶらぶらと歩いている時に道ゆくおばあさんに貰ったものだった。そのおばさんが何者かも分からなかったし、話したこととすれば、どこから来たかとか、何歳だとか。ありきたりな会話だけだった。まぁ、あの時は俺もだいぶ病んでいたし、おばあさんから見たら酷い顔だったのかもしれない。


「いやーそれにしても。あの田舎町の風景は心にくるものがあったなぁ。まさしく極楽浄土の景色だったな。まさかあの時の俺も、その場所に引っ越すと思ってなかったろうなぁ。いやー感情ぶけぇわ」


 タバコを吸ってテンションの上がった俺は、カーラジオから流れる海外で有名なラッパーの音ノリを体で表現し、ガタガタとハイエースの車体が揺れて、今にもドアやサイドミラーやバンパーや後ろに積んである工具達が弾け飛んで空へ舞っていくのを想像し、筒抜けになったハイエースの間抜けさに笑いが止まらなくなった。


 *


 もう百キロは走っただろうか。気分は一転して、タバコの切れた俺の心は酷くマイナスだ。それに腹が減った。どこか店に入って食うのは面倒くさいし、コンビニに休憩がてら立ち寄って腹ごしらえでもしようかと、スピードを緩める。


 7のマークがデカデカと書かれたコンビニへと車を停車させ、ブラックコーヒーとからあげ棒と肉まん。それと一応、昔吸ってた銘柄のタバコを買った。昔と言っても一ヶ月前のことだが。


「うめぇ。沁みるぜ。やっぱりからあげ棒だよなぁ」


 俺は串に刺さった食い物が好きだ。それはきっと遠い昔の子供の時の記憶のせいだ。あの一度だけ親に連れて行ってもらった地元の小さな祭り。今向かってる〇〇県〇〇町も相当田舎だが、俺の田舎も負けちゃいない。親とは色々あって、もう会うことも出来ないし、祐逸の良い思い出がその祭りだけだが、あれは良かったなぁ。


「いや。いやいやいやいや。何で急に悲観的になってんだよ。あークソ。一気に飯が不味くなったじゃねぇか」


 涙こそ出ないものの、やはり都会での生活は俺の心を確実に蝕んでいるらしく、せっかく買ったからあげ棒の残りや、新品ホカホカの肉まんの味は全くしなかった。仕方なく一気にブラックコーヒーで流し込み、苦い思いでと感情をさらに苦いブラックコーヒーで流し込んだ。


「うえ。何で飲めねぇのに買ったんだか。ちっとも大人になってねぇじゃねぇか」


 やはりタバコが切れていては、どうもネガティブ思考になってしまうらしい。一級品のタバコは残り4本。俺は仕方なく飯と一緒に買ったメビウスを開封し、カチッと慣れた手つきで火をつけた。


「まじぃ。クソまじぃ。こんなん吸ってたのかよ」


 昔の自分だったら絶対にしないが、火をつけたばかりのタバコを直ぐに片付け、暫く一級品のタバコと向き合った挙句、やっぱり吸ってしまった。


「残り3本か。このペースで吸ってたら、直ぐになくなっちまうじゃねぇか。はぁ。にしてもうめぇな」


 俺はその貴重な一本を、なるべく長く吸うことに決め、少しでも目的地へと近付く為に再びボケかかったハイエースのエンジンを動かし、アクセルを踏んだ。


 *


 その田舎町に着いたのは、夕方ごろだった。


 途中休憩や、激しい緩急をつけた心のバランスを保ちつつ、それでも懸命にアクセルを踏み続けた俺の足は悲鳴を上げるどころか、取り替えたのかと勘違いするほどに疲れが吹き飛んでいた。


「あー生きてて良かった」


 相棒であるハイエースと背中を合わせながら、少しこんもりした丘で路駐をしながら最後の一本である一級品のタバコを吸い終えた。


 目の前の景色は、どこもかしこも黄金色で染まっていて、穂田に赤蜻蛉たちが集まり何やら談笑している風景が流れている。東京とは違い、道ゆく人は誰一人いない。ただ、サラサラとこの美しい景色と秋のひんやりとした風と時間だけが今この一瞬を作り上げている。


「すー、はー」


 俺はそんな神秘的な時間を体の隅々まで堪能したくて、息が続くまで空気を目一杯吸い込んだ。


「あ」


 その空気の中に、もう残り香のようになっていた一級品のタバコの匂いが感じられ、ドンドンと匂いが増していく。


「な、なんだよこれ。すげぇ良い匂い。流石現地なだけあるな」


 俺が呼吸も忘れて、その匂いを満喫していると後ろ方から聞き覚えのある声が響いた。


「おい!お前さんまた会ったな」


 振り返ると、そこには一級品のタバコをくれたおばあちゃんがいた。


「え!お久しぶりです!どうも!ご無沙汰してます!」


 俺は命の恩人とも取れるおばあちゃんとの再会に所々声が裏返りながらも、今まで培ってきた「〇〇ッス!」という舐め腐った態度の口調を表には出さず、なるべく失礼に当たらないように尊敬語で答えた。


「あはは!無理しなくていいよ。にしても、随分と顔色が良くなったじゃないか」


「いえ、とんでもないです!おねぇさんがくれたタバコのお陰です!!」


「へぇ!?おねぇさん!?あははははは!!やだね!もうおねぇさんて言われる歳じゃないよ!あーおかし!」


 自分でもおねぇさんと言った時に多少の違和感はあったが、それでも50代かギリ60代に見えるおばあさんは年齢より若く見える。


「そうですよね。あはは。えっと・・・何とお呼びすれば?」


「そうですよね!?あんたは受け入れるんじゃないよ全く!私は小町ていう苗字さ。好きに呼んでくれ。それで?あんたの名前は?また旅行に来たのかい?」


「自分は小林です。いえ、今回は旅行ではなくて、この町に引っ越してきました」


 俺がそう言うと、小町さんは何やら真剣な面持ちになって、俺の身なりや靴。側にある相棒のハイエースを観察するように覗き込んでいる。


「小林くんでええか?呼び方。小林くんさ、自殺しにきたんじゃないだろうね?車を確認したが、あまり物が乗ってないようにも見える。それに、そういえば。前にやったタバコはどうしたよ?もう全部吸っちまったのかい?」


「いや、なんて言うか・・・自殺しにきたわけじゃないんですけど。もう都会や仕事はウンザリで。そうなるとタバコも進んじゃって。直ぐに無くなっちゃいました」


 俺はなんだか自分が情けなくなってきて、ついつい顔を下に向けた。それまで全く気が付かなかったが、履いているスニーカーは至る所に穴が空き、泥が付着して、見るに耐えなかった。


「何だい。今更気がついたのかい?まぁ、前にあった時よりかはマシになったもんだよ。仕事を辞めて正解だったんだじゃないかね」


「えっ。前はもっとやばかったんですか?」


「ああ。それはもう見るに耐えなかったよ。靴や服だけじゃなく、顔までもが醜くてね。凡そ生きている人間には見えなかったよ。お風呂を堪能した後の人間には思えなかったね。てっきり嘘をつかれているのかと思ったよ。それかその日に命を経ってしまうんじゃないかとも思ったね。だから少しでも生きて欲しくてタバコをくれてやったのさ」


 そうだったんのか。あの時は確かにお風呂が気持ち良くって、もう心なんて立ち直って、すっかり元気になっていたと思っていたのにな。そんな酷かったのか。


「で?死ぬんじゃないなら。仕事をしなきゃならんだろう?何処から行く宛はあるのか?」


「いや、まだそこまでは考えてなくてですね。あー、まぁ適当にやろうかなと思ってます。」


 俺はまだ小町さんの顔がまともに見れなくて、地面に生える雑草や大小様々な小石をただ見つめてそう言った。


「そうかい。まぁ、他人の人生にこれ以上介入するわけにも行かんけどな、それでもこの町に引っ越してきた人間を放っておくわけにもいかん。行く宛に困ったら私に連絡してきな」


 小町さんはそう言うと、ズボンのポケットから何やら紙らしき物を取り出し、俺に「ほら」と手渡した。


「ありがとうございます。め、名刺ですか?小町さんって社長さんだったんですね・・・」


「ああ。そうさ。まぁ、社長と言ってもここら一体の農家を取り仕切っとるだけじゃがな」


「ここら一体って。今見えてる景色殆どって事ですか?」


 この極楽浄土と思わしき風光明媚な景色の中には、広大な田畑が広がっている。


「そうさ。私はこの町で季節を作っとる」


「季節ですか。てっきり野菜とかお米かと思ってました」


「いや。それであっとるよ。野菜を作ることは、季節を作るのと同じことだからな。ほら、吸ったんじゃろ?タバコ。あれの中身はここで作った野菜達が詰まっとったんよ。丁度あんたが初めてきたのが夏頃だったから。夏野菜達だな」


 小町さんは飄々と当たり前の事のように語っているが、俺には理解が出来なくて、頭がこんがらがった。


「えっと。つまり俺が吸ったのは夏に収穫した野菜達って事ですか?」


「そうさ。正確には出来は良いが、市場に出回る事の無かった夏野菜たちだがな」


「つまり、ニコチンとかは全く入ってなくて、ただの野菜達だって事ですか?」


「その通り。どうだ?美味かったろ?ウチは完全に自然に任せて、無農薬で栽培しとるからな。あれを吸ったら普通のタバコには戻れんよ」


「確かに、あれ以降、普通のタバコは辞めましたね」


「そうだろ?そーゆー仕事を私はこの町でしとる。もちろん今の時代、無農薬で野菜を育てることなんて至難の業だがな、この町は気候も気温も安定しとるし、環境も良い。この景色が何よりの証だよ」


「そう言われるとそうですね。この町の景色は祐逸無二です」


 小町さんはまるで我が子を愛でるような表情で、町を見渡し、俺の言葉に頷ずいて、それからは何も言わなかった。


「あの、二つ聞いても良いですか?」


「ああ。構わんよ」


「小町さんは、どうして野菜をタバコにしようと思ったんですか?それとあの時に何でそのタバコを俺にくれたんですか?」


「まず、野菜をタバコにした理由は、私がベビースモーカーだったからだよ。ただ数年前に肺を悪くしちゃってね。ドクターストップていうやつさ。ただ、どうしてもタバコを辞めることができなくって、それで何とか紛らわすために、野菜を吸ったのがキッカケだね。もちろん、市場に出回ることのなかった野菜たちだけど」


「なるほど。小町さんがベビースモーカーだったとは思いませんでした」


「だろ?野菜吸とったら、気がついたら肌もプリプリで若く見えるようになったんよ。んで、小林くんにタバコを上げた理由だけどね。さっきも言ったけど、もう少し生きてほしかっただけなんだよ。死にそうな顔してたから。きっとこの季節を一杯に詰め込んだ野菜達で出来たタバコを吸えば、考えも変わると思ったんだ」


 俺はあの時、確かに日帰りの温泉旅行を楽しんでいたし、心も随分と癒されていたが、もっと奥底では寧ろこの旅を最後の晩餐に、死んでしまっても構わないと思っていた。


「小町さんは命の恩人だったんですね」


 俺は何だか自然と涙が溢れてきて、その場で蹲って泣いた。思えば、社会人になってからと言う物、どんなに辛くても一度も泣くことはできなかった。


「何だい。男が泣くんじゃないよ」


 そう言いながらも小町さんは俺の背中を優しく撫でながら、「やっぱり小林くんは、ウチに来な。涙が出せるってことは、生きている証拠だし、小林が生きたいって望んでる証さ」と優しい口調で言った。


 俺が泣き止む頃には、もう黄金色に輝く風景は、サッパリとした冷たい闇を下ろしていて、空に浮かぶ星が、小さいながらも懸命に煌めいていた。


「東京じゃ、こんな綺麗な星は見れないッス」


 俺はついつい〇〇ッスと言ってしまい、直ぐに「見れないです」と言い直したが、小町さんは「治さなくていいよ。それに、所々標準語おかしかったからさ、そっちの方が違和感なくて良い」と言ってくれた。


「そろそろ、帰るか。小林くん今日はウチに泊まってきな」


「え、流石にそれは申し訳ないっス」


「なに涙晒した相手に遠慮してんのさ。それにどうせ引っ越しに来たって言っても、家も契約してないんだろう?その荷物の少なさ見ればわかるよ」


 どうやら、小町さんは俺の事を全て見透かしているようだ。


「あはは。そうっスね。ないっス。本当は今日で最後にする気だったんですけどね・・・」


「まぁ、そうだろうね。最初から分かってたよ。そうじゃなきゃ声かけてないよ」


「あはは。それじゃ、お邪魔してもいいッスか?」


「ああ。勿論。腹も減ってるだろ?」


「はい」


「私の野菜を食わしてやる。まぁ、その代わりと言っちゃなんだが、ウチで働きな」


「俺なんかが良いんスか?」


「当然さ!若い子が来たってなったら皆喜ぶよ。さぁ、そろそろ帰るよ」


「はい」


 俺は久しぶりに人の温かさをひしひしと感じ、ふと地元の町を思い出し、両親の事を思い出した。

 

 サッパリとした闇を落とし、小さく光っていた星のいくつかがキラリと一瞬大きく光ったような気がした。


 

 

 


 

 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

季節の巻紙 はてな @sitogami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ