おじいちゃんの影送り
南雲
第1話
「あっつ~」
セミの声が、街路樹のトンネルの中で、わんわん反響している。
丘全体に広がる墓地は、白い墓石が点々と並べられていて、丘のてっぺんからは、町が一望できるらしい。眺望がよく、喧騒から離れた場所は、故人にとってはよくても、お墓参りする側としては、骨が折れる。
やっぱりタクシーで来るんだった、と今更ながらに後悔した。花屋でさんざん迷って買った花束は、心なしかすでに萎びていた。そういえば、お母さんたちは墓石を洗うための水桶に、花束を差して歩いていたような気がする。
今までいかに何もしていなかったのかを、思い知る。次々と溢れ出す汗を拭いながら、ポケットに入れていたメモ用紙を取り出した。家を出る前、急いで書き記した地図は、汗でにじんでしまっていた。
仰ぐように空を見上げる。ちゃんとおじいちゃんのお墓を、みつけだすことができるのだろうか。折り重なる緑の隙間から透ける空は、雲ひとつなく真っ青で、影送りにうってつけの空だった。
小さいころ、里帰りするたび、おじいちゃんと散歩にでかけた。会話もないまま一定の距離感を保って歩く姿は、孫との散歩、というより犬の散歩のようだった。
何をするでもなく、近所にあった大きな庭園を一周して帰る。そんなお決まりのコースで、影送りを教えてくれたのは、おじいちゃんだ。
あの日も、こんな雲一つない晴天だった。影をみつめて、ゆっくり五秒数える。それから空を見上げると、白い影が空に浮かび上がると、おじいちゃんはやってみせた。
はじめてみる白い影は、ぼんやりとしていて、とても小さくみえた。横に並ぶおじいちゃんの影が、自分のよりもずっと大きくて、無性に悔しくなったのを覚えている。
その日は、おじいちゃんが再び歩き出すまで、自分の影はそっちのけで、大きな影を、空に写し続けた。
亭主関白で、短気、昭和の頑固親父を絵にしたようなおじいちゃんは、夫や父親としては、色々問題があったらしい。実際、おじいちゃんのおばあちゃんに対する言動は、横柄なものだった。それでも、私にとってのおじいちゃんは、みんながいうよりも、あたたかい人だった。
ちょうど三年前、親孝行ならぬ、祖父母孝行をしに、里帰りをした。
三人で旅館に泊まって、たらふく酒を飲んだおじいちゃんは、上機嫌だった。
「みせてやる」と張り切ったおじいちゃんに連れられ、古い旅館を二人で散歩した。
古くて狭い旅館は、おじいちゃんのたどたどしい歩みでも、あっという間にみてまわることができた。
部屋に戻ろうと、扉に手をかけた時だった。
「漫画家になるんか」と後ろから声がした。
振り返ると、おじいちゃんが赤ら顔のまま、こちらをじっとみていた。
幾度もされ、してきた問いだ。最近は気を遣われて、聞かれることも少なくなっていた。
「なりたいと思って、頑張ってる」何度も口にしたセリフは、酷く言い訳じみて聞こえた。
ぼん。
分厚い手のひらの感触が、背中全体を包むように広がる。
「君ならできる」
勢いよく放たれた、シンプルで、無責任な一言は、頭の中でとぐろを巻いていた、不安や自己不信を、一瞬にして吹き飛ばした。
私が一番聞きたかった、そして誰もが明言することを避けた言葉は、あのおじいちゃんだから、言えたのだろう。
「一、二、三……」
看板を目印に、同じ顔をした墓石を数えていく。
「あった」
小さく名前の掘られた白い石は、のっぺりと景色から浮いてみえた。いつも下駄を鳴らしていたおじいちゃんが、こんな近代的なお墓に入っているのかと思うと、なんだかおかしくなった。
少し花びらが減ってしまった花を供え、手を合わせる。
街路樹から離れたお墓は、蝉の声も遠く、ゆったり草が揺らいでいた。
「おじいちゃん。私、漫画家になったよ」
さわさわと風がさざめき、お線香の匂いが流れていく。
ゆっくり立ち上がり、芝生に落ちる影をみつめる。
「一、二、三、四、五」
真っ青な空に浮かぶ影は、あのころよりも、ずっと大きくなっていた。
おじいちゃんの影送り 南雲 @weiss-blau
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます