たのしい音

藤泉都理

たのしい音




 情報収集。敵国潜入。破壊活動。暗殺。自国の警備。情報管理。人材育成。軍略の助言。

 己以外を騙し、己を騙し。

 信じるのは、主の言葉のみ。

 主の言葉だけが、己を形成していた。

 ならば、

 けれど、

 主の言葉だけが己を形成していたというならば、

 主の言葉だけが己を破壊できるという事でもある。

 己は破壊された。

 もう要らぬという主の言葉で破壊された。

 はずだった。






 戦が絶えない自国とは違い、平和な異国に何故か己は居た。

 片目を除き、全身に包帯を巻いた上での漆黒の忍び装束を身に着ける人間など、傍目から見たら怪しい人間だろうに、平和な異国の人間たちは己を呆気なく受け入れた。

 己の仮の名を呼んでは、見知らぬ食べ物を与え、見知らぬ寝台を与え、見知らぬ知識を与え、見知らぬ風景を与え、見知らぬ生活用具を与えた。与え続けている。

 己を新たに形成させようとしてくれているのだろうか。

 有難いとも、不要とも、思えなかった。

 与えられれば貰い続けた。

 けれどそれだけ。

 ただ増え続けるだけ。

 ただ、それだけ。

 己はもう死に体だった。

 死に体が甦る事はない。

 そう、思っていた。のに、

 日に一度、必ず足が向く場所があった。

 狐の嫁入りが生じる場所。

 晴れているのに優しい雨が降る場所。

 太陽と雨と虹が同時に発生する場所。

 額に鋭く丈夫な銀色の一本の角を生やす純白の馬が躍る場所。

 純白の馬の名前はユニコーンと言うらしい。

 砲撃のような不快な足音を立てるのではと想像していたのだが、それは裏切られる。

 あのような巨躯にも拘らず、何故このような震えを生じさせる事ができるのか。

 ユニコーンが躍る度に、震えが生じる。

 雨が震える。

 空気が震える。

 大地が震える。

 己の身体が震える。

 虹は、

 虹は笑んでいる。

 不快ではない。

 むしろ、






影臣かげおみ。いつの間にか消えていると思ったら、こんなところに居たのか?」


 緑色の瞳に緑色の髪の毛を両耳の上で結ぶ少女、双葉ふたばは、やわらかい黄緑の草の上で仰向けになる影臣を見下ろした。


「流石は目が高いな。私もここが好きだ。私の全部がのびのびできる」


 双葉は影臣の隣に並んで寝転ぶと目を瞑った。


「日に一度、ユニコーンがここに踊りに来るだろう。ユニコーンが躍ると、大気も大地も大水も大虹も楽しい音を奏でるんだ。私はその楽しい音を聞くと、とても元気になるんだ」

「………」

「影臣は今日もだんまりだな。いや。今日だけじゃない。か。ずっとずっと、この国に来てからずっとだんまりだ。よっぽど疲れているんだろうって、王様は言ってた。だからみんな、与え続けようって。いつかまた自分の国に戻れるようにって。あっ! 戻りたくないなら戻らなくていいんだ。戻りたくても疲れて戻れなくてここでいっぱい与えられて疲れがなくなったら戻りたいやつだけ戻ればいい。そうじゃなかったら、ずっとここに居ればいいんだ。うん。私は。私はどうだろう。まだ、分からない」

「………」

「うん。そうだな。ユニコーンや大気や大地や大水や大虹のように、楽しい音が奏でられるようになったら。もしかしたら、戻ってもいいって。思うのかも」

「………」

「ここに来たって事はおまえももしかしたらそうなのかもな」


 双葉は勢いよく起き上がると、またなと言って駆け走って行った。


「………そう、か。この音は、たのしい音、と、言うのか」


 久々に発した所為だろう。

 声音はしゃがれていた。


「たのしい、おと」


 しとしと。

 ぴちょぴちょ。

 とんとん。

 さあさあ。

 ぴっぴっ。

 さらさら。

 きらきら。

 ったったっ。

 しゃらららら。

 っとっとっ。

 ぷうぷう。

 ぷあぷあ。

 っとっととったとん。


「たのしいおと、か」


 高い熱が生じた喉と目頭から絶え間なく水分が溢れ出していく。


「これが、たのしい、おと」


 力なく起き上がった影臣はどこからか現れては踊り始めたユニコーンの元へと、いっぽ、またいっぽと近づき、そして、ユニコーンに一礼したのち、手を伸ばして、そっと触れた。

 片手、両手、片腕、両腕、胴体、片頬。

 やおら触れる部分を増やしていき、抱きしめる格好となった影臣。じっと動かずにいてくれるユニコーンに礼を述べて、暫くの間このままで居させてくれと願ったのであった。





















「お。兄ちゃん。ガタイのいい身体を包帯塗れにしている上に黒の服を着込むっつー不気味な格好をしている割に楽しい音を出すじゃねえか。なんつうんだっけ? えっと」

「タップダンスって言うんだよ。おじさん」

「お。そうそう。それ! タップダンスだ! いいぞ兄ちゃん。もっと踊れ! ついでに嬢ちゃんも踊れ踊れ!」

「おじさんも一緒に踊ろうよ。ねえ。お兄ちゃん」

「お? 何だおまえら兄妹か? うん。どおりで二人共不気味な格好してるはずだ。まあ。どうでもいいか。うし。俺も踊るぞ。楽しい音を出すぞっ」

「久しぶり。影臣お兄ちゃん」

「双葉。か」


 一人で陽気に踊り出す酔っ払いの男性を見つめながら、双葉は影臣を見上げて、にししと笑った。


「まさか同じ国に降りるなんて思いもしなかった」

「己は元に居た国に戻りたいと願ったはずだったのだがな。己と同じように死に体のみなに、楽しい音を届けたかった」

「まあまあ。いつかまた戻れるかもしれないよ。その時の為にも、楽しい音を届け続けようよ。ね。影臣お兄ちゃん」


 双葉はポケットからカスタネットを取り出すと、掌に乗せて、掌で叩いて、軽快な音を、楽しい音を出したのであった。


「ね?」

「ああ。じゃあ、共に」


 影臣は床を軽快に踏み鳴らして踊りながら、共に楽しい音を届けようと言ったのであった。











(2025.5.24)



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たのしい音 藤泉都理 @fujitori

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