ヒントは情熱の丘

もぐらねこ

ヒントは情熱の丘

 刑事の如月が慎一と最後に取り調べを行ったのは、午後5時を少し過ぎた頃だった。


「……彼女を殺したのは君か」

 如月が問いかけると、慎一は一度だけ瞬きをし、首を横にも縦にも振らなかった。

 その仕草は曖昧だったが、否定の意志はそこになかった。


「遺体はどこだ。教えてくれ」

 如月の声は穏やかだった。

 慎一は目を伏せ、小さく口を開いた。


「……ヒントは、情熱の丘です」


 その名を聞いた瞬間、刑事としての直感が、すでに真実に触れていた。


 


 ――5年前の夏。


 高校のグラウンドで部活を終えた慎一は、疲れた足を引きずりながら、いつもより少し遠回りの帰り道を選んだ。

 丘へ続く坂道の途中で、一人の少女が自転車を押しながら歩いていた。


「綺麗な夕焼け。まるで……情熱みたい」 


 彼女は振り返りざまにそう言って、無邪気に笑った。


「ぷっ、なんだよそれ」


 その笑顔が、風景よりも強く、慎一の胸に焼きついた。


 彼女の名は遥。転校してきたばかりの一学年上の先輩で、放課後になるとよくその丘で空を眺めていた。

 二人は自然と、毎日のように顔を合わせるようになった。


 本を貸し合い、缶ジュースを分け合い、将来の夢を語り合った。

 遥はいつも明るく振る舞っていたが、その瞳の奥には、微かな翳りがあった。

 慎一にとって彼女は、世界に差し込んだ最初の光だった。


 

 それから季節は流れ、二人の距離もゆっくりと縮まっていった。

 時に言葉より沈黙が多くなり、見つめ合うだけで心が通うようになっていた。

 やがて、手をつなぎ、唇を重ねることに、何のためらいもいらなくなった。


 けれど、幸せな時間は長くは続かなかった。遥が突然いなくなった。

 その日からずっと慎一は彼女を探し続けた。


 ようやく再会したのは、それから3年後。

 街の片隅で見かけた遥は、帽子を深くかぶり、どこか曇った表情をしていた。


「……病気なんだ」と遥は笑った。

 胸に見つかった腫瘍は、すでに転移しており、完治する望みはほとんどないという。

 そのことを聞いたとき、慎一の胸に走ったのは、悲しみよりも、どうしようもない悔しさだった。


 日を追うごとに、遥の身体は目に見えて痩せ細っていった。

 笑顔は変わらなくても、目の奥に浮かぶ痛みと恐れは隠せなかった。


 慎一は何も言えず、ただ黙って彼女のそばに寄り添った。

 彼女が眠るまで手を握り、目が覚めたときに隣にいるようにした。


「お願いがあるの。最後は、あの丘で……夕焼けを見ながら眠りたい」


 その声は、かつての笑顔と同じくらい、まっすぐだった。


 


 その夕、慎一は密かに遥を背負い、あの丘へと登った。

 季節はいつの間にか夏から秋へと差し掛かり、もう半袖のシャツ一枚だけでは肌寒く感じられた。

 背中に感じる遥の体はあまりにも軽く、病がどれほど深く蝕んでいるかを語っていた。


 ふたりは丘の上に腰を下ろし、夕焼けを見つめた。


「ありがとう。あなたに出会えて、本当によかった」


 遥はそう言って微笑み、彼の手をそっと握った。

 その手の冷たさに、もう戻れないのだと悟った。


 慎一は、静かにその首に手を添えた。

 考えることをやめ、ただ彼女の願いだけに身を委ねた。

 涙が、頬を伝って止まらなかった。


 遥は一度だけ深く息を吐き、そして、目を閉じた。

 彼女の最期は、静かで、穏やかだった。

 


 埋葬は、丘の裏手。ふたりだけの秘密の場所。

 夜半に雨が降り出し、土は重くなり、手がかじかんだ。

 慎一は黙々と穴を掘り、最後に、彼女が好きだった赤いスカーフを枝に結んだ。

 再会の目印として――またこの場所で、出会えるように。

 


 如月の問いかけにも、慎一は終始無言を貫いた。

 だが、その眼差しには、一片の後悔もなかった。


 


 夜が明けても、眠れなかった。

 遥のいない世界は、こんなにも静かで、こんなにも冷たかった。

 天井の灯りを見つめながら、慎一は自分に問いかけ続けた。

 ――これで、本当によかったのか。


 だが、揺るがなかった。

 遥の願いを叶えた。それだけは確かだった。


 もう、自分の役目は終わった。

 罰を受け、生き続けることが、彼女の笑顔を裏切るように思えた。


 「また、あの丘で」

 その約束を果たすために、自らも旅立つことを決めた。

 これが、自分の最後の意志だと、慎一は確信していた。


 


 ――三日後、慎一は留置所の中で命を絶った。

 舌を噛み切っての死。

 発見されたとき、彼の顔は穏やかだったという。


 血で書かれた文字のような跡が、床に残されていた。


 《またあの茜さす情熱の丘で会いましょう》


 


 その日の夕暮れ、如月は車を走らせ、夕日が綺麗に見える丘へ向かった。

 情熱の丘の目星はついていた。秋風が吹き、ススキの穂が揺れていた。


 丘にたどり着くと、如月は静かに腰を下ろし、遠くの空を見上げた。

 赤く燃える空が、ふたりの選んだ最後の舞台を包んでいた。


 彼はぽつりと、空に向かってつぶやいた。


 「情熱の丘、か……。きっと、今頃ふたりはそこにいるんだろうな」


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