片翼の天使とおちたい

日向桜莉

ダーツ勝負

 スマホを見るのに疲れて、顔を上げれば、目の前でダーツボードと向かい合う金髪が目に入る。なんとなくずっと考えていた疑問を背中にぶつけてみた。

「ミチルさんって寿命どれくらいあるんですか?」

「さぁ、どうだ、かっ」

 言葉の最後でスナップをきかせて放たれたダーツは、ボードの中心を外れて左下、七のトリプルリングに刺さった。

「おおー、二十一点」

 的に刺さった事に拍手が出る。観客ひとりに対し、ミチルさんは眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。真一文字。微妙な顔をしてる。

「私は凄いと思いましたよ」

「……そりゃどーも」

 青い瞳が細くなって、真一文字の終わりが少し上を向いた。彼の表情は意外と豊かだ。

 頭を掻きながら刺さったダーツを回収しに行くミチルさんの背中を眺める。左にだけ生えている翼は、肩甲骨から腰まであり、ミチルさんが片腕を真直ぐ横に伸ばして肘くらいまでの横幅があるらしい。本人曰く――ボクは天使、だそうだ。

 天使の象徴ともいえる翼は、出会った頃からたたまれていて、広がっているところは見たことがなかった。ただひとつ変化しているところと言えば、周りをも輝かすくらい真っ白だった翼が、段々とホコリを被ったグレーになった。ちなみに、これまた象徴の頭上の輪は、ずっと変わらず彼の頭に浮かんでいる。

「一応、まだ天使だし、人間って枠は外れてると思う」

「?はい」

 ダーツを抜いて、こちらを振り返るミチルさんの晴れた空みたいな澄んだ青が、私を見つめる。

「さっきの、ボクの寿命がどれくらいかって話。寿命はキミたち人間に比べたら何倍もあるし、最低でもキミが死んでしまってもボクは生きてるかな」

 満足?と言うように、肩を竦めるミチルさんの金髪が揺れる。窓から差し込む日差しを浴び、煌めく。目が離せない。見る人を魅了する彼は、翼が汚れてもやはり天使なのだ。人間である自分が同じ場所には立てない。

「どうしたら、天使じゃなくなるんですか?」

「…………それ、聞いてどうするの」

 一本しかないダーツを手で遊びながらミチルさんが帰ってくる。 六本はあったはずだけど、残りは遊んでいるうちに何処かへ行った。

「うーん。もし、私が死んだらミチルさんが、寂しいかと思いまして」

「ボクが?寂しい?」

 乱暴な動作で隣に座るミチルさんが私を覗き込んでくるから、思わず体を後ろへ引いてしまった。美人の急接近は心臓に悪い。

「キミ、ボクをそんな寂しがり屋だと思ってるんだ」

「はい」

「即答」

「だから、天使じゃなくなれば私と同じ運命を辿れる、なんて考えがよぎったんです」

 元々、人では無い天使が、天使の名を捨てたからと言って、人間の枠に入るかは分からないが、ミチルさんから手放してもらうのが手っ取り早いと思った。私は、彼を残すのが嫌だ。私が死んだ後、その先どれくらいミチルさんの生が続いても彼に忘れられるのが嫌だ。一緒に過ごしていく間にそんなことを考えるようになった。人間が天使になれないのならば、天使の方から堕ちてきてもらえばいい。

 呆気に取られたように、ミチルさんは口をOの形に開けて私を見つめた。徐々に赤くなっていく頬は白い肌によく映える。

「ミチルさん?」

「えっ、あぁ、うーん、そうだな……。ボクが読んだ本には翼をおとすとあった」

「翼を……」

視線が灰色の左翼にいく。

「翼が無ければ飛べない。飛べなければ上には帰れない」

 そういうものなのだろうか。ミチルさんが上に向かって指した人差し指につられて上を見る。木目の天井で蛍光灯が輝いているだけだった。

 それならば頭上の輪っかはどうなる?引っ掴んで折るなり、割るなりすればいいのだろうか。

 疑問符が留まらない私の手を取り、私の手にダーツを握らせるように包み込ませる。そして、ミチルさんは天使に似合う笑みを浮かべる。

「そうだ。ひとつ、ゲームをしよう。さっきのボクの点数よりキミの方が高かったら、ボクの手で翼をおとそう」

「本当に?」

「ボクは約束を守る主義だ」

 甘美な言葉に手のひらに汗が滲んでくる。ミチルさんは二十一点。勝率は高い。やらないという選択肢は無かった。

「やる?」

「やります」

「うん、頑張って」

 勝負の相手からの応援を受け、投げる位置に立つ。ミチルさんとは今までカウントアップで競って勝率は五分五分程の戦歴はある。それに、ダーツを教えた彼の先生は私の先生でもある。

 深呼吸をひとつ。集中しろ。三本指で持ち、ダーツボードを正面に見据える。何度か投げる素振りをして、力の加減の調整と狙いを定める。そして、勝利を信じて腕を振った。

「キミと同じ時を共有できるのも楽しそうだ」

 ダーツを投げる瞬間、ミチルさんの声に意識が持っていかれ、変な力が加わる。放たれたダーツは狙いを大きく外れて、真ん中よりかなり下に刺さった。三のトリプルリング。九点。

「あーあ、残念。キミと同じ運命を辿るのはまだまだ先になりそうだね」

 楽しくて仕方ないと言うように、弧を描いた唇と細くなった青がふたつ。 ああ、かなわない。

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片翼の天使とおちたい 日向桜莉 @smktrrs

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