耳を持たぬ街にて
もち
第1話
風が来るとき
ビルの谷間を、風がすり抜ける。
アスファルトの匂いと、排気ガスと、どこか遠くの音楽。
誰も気づかない。
スマートフォンを見つめる目、イヤホンで塞がれた耳。
昔は、違ったのに――
風は、小さく身をすぼめて通りすぎる。
あの頃――まだ神様たちが空を歩き、草木がものを言ったあの頃――
風が吹けば、子どもが空を見上げ、大人は手を止めた。
「こんにちは」と声をかけ、
「きょうはどこから来たの?」と笑った。
草も、木も、岩さえも、風に言葉をかけた。
今では、忘れられたあの言葉。
けれど確かに、そこにあった。
自動ドアが、無言で開いては閉じる。
窓は二重ガラス、風の気配を一つも通さない。
子どもは風をただの空気と思い、
大人は、風に心を向ける暇もない。
草も木も岩も言葉を取り上げられてしまった。
神様たちも人間に忘れられ妖になっていった。
風は、もう人間たちに話しかけることさえやめていた。
路地の奥で、幼い姿をした誰かが立ち止まった。
年の割に静かな目をしていた。
「おかえり、風」
風は思わず、足を止めた。
――神様だった。
子供の姿をした神様。
けれどもう、神ではなくなりかけている。
祀る者もいなくなり、忘れられ、名も奪われ、
あと少しで、妖へと堕ちてしまう。
それでも、あの言葉で風の名を呼んでくれる。
風に向けて小さな手を伸ばしてくれる。
風は、その子の髪をそっと撫で、
小さく、うなずいた。
人は変わる。街も変わる。
けれど――忘れられていない場所が、まだここにある。
耳を持たぬ街にて もち @kitty0118
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