世の中とは、「世の中」という組織があるのではなくて、人がそれぞれに働いたり騙したり助けたりする司令塔が存在しないもの。
ですから、世の中は捨てたものではないと言うとき、捨てたものでないのは抽象的な「世の中」ではなく生きる人達です。
最初に主人公が始めた行動を見て「世の中捨てたものでない」と思っても、その後に紆余曲折を経ます。小説として面白くするためとは思いません。世の中にはいろいろな人がいるからです。
世の中にはいろいろな人がいて、一方的に「悪」と決めつけることはできないでしょう。
それでも。飢えて死ぬことは他人であっても見過ごせません。
その一点を北極点として据えるが如くに物語は展開します。
誰かが言いました。娑婆は極楽じゃない。その通りです。
でも、まだ生きています。希望を育てることができると確信できます。
確信させてくれる小説です。
子どもたちへ、ほぼ無料で食事を提供することになった個人経営の飲食店亭主。本作は、彼の行いへの向けられた人々の反応と心情を描いた物語です。
人間とは人という種類の生き物ではありません。
人と人とが手を携える社会の中にある生き物を人間と呼ぶのです。
社会的に生活手段を持たない子どもを空腹にはさせない。
人間が作る社会なら、そうあるべきでしょう。
本編の主人公はそんな上っ面の理屈で動いたわけではないのです。
でもなぜか私は、物語を読み進むうちに、現代社会があるべき姿を考えてしまいました。
この物語を読む方は、何度か立ち止まり主人公の始めた事の成り行きに不安や怯れを持つことでしょう。
それは現代日本の現実を知っているからです。
善行が善行のまま続くことの難しさを
知っているからです。
忙しい日々を送る方こそ、ほんのひととき、本作の中で〝人の情け〟を感じてみてはいかがでしょうか。
きっと、ムダにはならないはずです。
まさに人情。人間っていう生き物もまだまだ捨てたものじゃない。そう感じられる作品でした。
食堂を営む主人公。彼の住む地域で「餓死者」が出たという話を聞き、彼はひどく驚かされる。
そんな彼の食堂に、日々の食事に困っているような貧困家庭の子供が姿を現す。
どうにかしてあげたい。そんな想いから彼は、子供たちのために食事を振る舞うことを決める。
代金は十円。そしてオムライスを提供する。
いわゆる「こども食堂」のようなものを始め、少しでも誰かを救いたいという想いを持つ。彼の善意に答え、寄付をしてくれる人々も現れ、食堂は順調に回って行くかに見えたが……。
いい人間もいれば、身勝手な人間もいる。善意は善意を呼びもするが、同時に憶測だけで人を謗るような悪意を呼び込むこともある。
本作の途中で起こる事態は、「現代ならでは」の人間の醜さを垣間見させられるものでした。SNSなどの社会が引き起こす、無自覚で無責任な悪意。それに傷つけられる無辜の人間。
ですが、本作はそれだけでは終わりません。世の中の汚さを強く提示した後は、また思わぬ事態も起こることに。
読み終えて、救われた気持ちになりました。これが「人間」というものであって欲しい。どうしようもない輩も少なからずいるけれど、みんながみんなそういう性根を持っているわけじゃない。
善意は基本、善意に繋がる。その想いは踏みにじられず、きっと成就されるものであって欲しい。そんな「あたたかさ」を感じさせられる作品でした。