第一話 紅い瞳の覚醒

「おはよう、母さん」


目を覚ましたリュウジは階段を降りるとダイニングキッチンに向かう。

単身赴任中の父がローンで建てた家は清潔で過ごしやすい、夢世界のアカツキのアパートとは何もかも違う。

髪を短くして、活動的なエプロンを着た母が迎えてくれる。

歳の割に若く見られるといつも自慢してくるのだ。


「ええおはようリュウジ。朝ご飯できてるわよ。」


パジャマのままリュウジはテーブルに座る。

その上には茶碗に盛られたご飯、目玉焼きにハムと味噌汁が温かい湯気をたてていた。

シンプルだけど、朝起きると食事が用意されてるのはとても素晴らしいことなんだとリュウジは知っていた。

母は台所仕事を終えたようだ、ソファに座るとテレビのリモコンを操作している。


「いただきます。」


リュウジは白米をかきこむ、夢世界では一般市民は大豆の加工食品しか食べることができない。

米など夢のまた夢だ。

うん、とても美味しい。


「いやねえ、また行方不明者ですって。最近物騒。」


母がテレビを見て顔をしかめる。

そこでは犬の散歩にでかけた男性が犬と一緒に行方不明になったニュースが流れていた。

違う県の話だが、どうも全国的に最近そんなニュースが流れている。


「人のいないところには行かないよう気をつけるよ。」

「そうしてちょうだい、犬まで消えたなんて変な事件よね、リュウイチにも電話しなきゃ。」


リュウイチはリュウジの兄で、東京の大学に通っている。

頭もよく活発的で、自慢の兄だ。

そういえばリュウイチがいなくなってから、あの夢を見るようになった気がする。


「食べたらちゃんと歯を磨きなさいよ。」

「はいはい、じゃあ準備するね。」


リュウジはそう言うと、いつも通りのルーティーンに入っていった。


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リュウジは自転車のペダルを漕ぎ、朝の住宅街を抜ける。

コンビニの看板は控えめで、夢のネオンサインとは別世界だ。

現実が、なぜか薄っぺらく感じた。

そのとき、後ろから自転車のベルが鳴り響いた。


「おーい、リュウジ!待てよー!」


ボブカットの少女が手を振り、泣きぼくろが笑顔に映える。

幼馴染で同級生のカナだ、声が大きすぎて少し恥ずかしい。

リュウジは自転車を降りて彼女を待った。


「よ!おはよ!まーた眠そうな顔してるね。」


カナも自転車を降りると、リュウジの隣に立って自転車を引いて歩き始める。

いつもの朝の風景だった。

カナは髪をかきあげると、リュウジの肩をばんと叩いた。


「まだ寝ぼけてるの?ちゃんと寝てる?」

「何回目だよこの会話、…まあ寝てるよ。」


カナが顔を寄せ、じっと見つめる。


「リュウジ最近目が遠いよ、やっぱりリュウイチ兄さんが家出たのが寂しいの?」

「そういうわけじゃないよ、兄さんとは連絡とってるし、子どもじゃないんだから寂しいなんてことはないさ。」


カナは納得してない様子だったが、笑顔に変わると決意したように宣言した。


「しょうーがない!じゃあリュウイチ兄さんの代わりにあたしがリュウジを満足させてあげるよ!」


リュウジはその言葉に慌てて顔を真っ赤にする。


「ちょ、おまえ…言い方。」

「へ?なにが…あっ!」


カナも顔を赤くした、幸運にも周囲にこの会話を聞いたものはいないようだが、二人で赤面しながらうつむいて歩いていく。

だが最初に元気を取り戻したのはカナだった。


「と、とにかく今度陸上部の大会が近いのよ、応援にきてよね!」

「ああ、わかった。必ず行くよ。」


こうして二人は学校に到着するのだった。


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黒板に書かれた年号と出来事をノートに板書する。

日本史の教師は正直やる気のない人だったが、生徒には人気があった。

ノートさえ取れば、余った時間は声を立ててうるさくしない限りスマホを見てようが別の科目の勉強をしようが文句を言わない。

リュウジはノートを取り終わるとなんとなく窓の外を眺めた、空は晴天で夢世界のような大気汚染もなく澄んでいる。


「はあ、つまんないなあ」


他人に聞こえないよう小さな小さな声で独りごちる。

前はそうでもなかった気がする、いつからそうなったのか。

外に見える町並みが、一瞬夢世界と猥雑なストリートとダブって見えた。


「リュウジ、卵焼き食べる?母さんの自信作!」


屋上でハンカチの上に弁当を広げたカナがほほえむ。

いつも教室で一人で弁当を食べるリュウジだが、今日はなぜかカナに引っ張ってこられた。

リュウジの今日の食事は購買のパンと牛乳だ。

母は弁当を作ってくれるのだが、毎日だと大変だろうとリュウジは弁当なしの日を母と話して決めていた。


「そういえばね、今日生徒会長のミサキ先輩とすれ違ったんだ。めっちゃ綺麗だよねえ、いつも目を閉じてるんだけどそこがミステリアスで…」

「ああ、僕も聞いたことあるよ。すごい頭が良くて、それにいいとこのお嬢様なんだっけ?なんでこの高校に来たんだろう、やっぱりスポーツかな?」


二人の高校は公立だが、部活動に熱心で全国大会にいくつもの部を送り出していた。

カナがボブカットを揺らし、目を輝かせる。


「うんそうらしいよ、テニス部。でもなんかやめちゃったとか…なんでだろうね?もったいないなあ。」

「そこらへんは個人の考えだからね、僕は興味ないかな。」


リュウジは入学式で挨拶をしていた、長い艷やかな黒髪をした先輩のことを思い出した。

あれ?でもそのときは普通に目を開いていたような。

その時リュウジは、夢世界の黒髪のバーチャルアイドルをなぜか思い出していた。


その時、


「何だお前ら、こんなところでおままごとか?」


突然、ソフトモヒカンで体格のいい上級生が絡んできた。

どことなく不良っぽい。

リュウジはこの高校にも不良がいるのかと内心驚いていた。


「え、私達は昼ごはんをたべてるだけで…。」

「いいよ、カナ。待ってて。」


リュウジは話そうとするカナを遮って立ち上がると彼と正対した。

威圧的な目を向ける。

彼は帰宅部だが自主的に体を鍛えていた、身長も高く体格はいいほうだ。

そして何よりも…夢の世界を知っていた。


「…なんか用か?」

「いや、それは…。」


不良学生はリュウジの眠そうな目を見て、なぜか冷や汗が出るのを感じた。

おかしい、なぜかこいつの目が紅く見える。


「ち、うぜえな!」


そう捨て台詞を吐くと、彼は立ち去っていく。

カナは息を吐くと怯えたようにリュウジの腕を取った。


「大丈夫?リュウジ…。」

「問題ないさ、さあ早く片付けて教室に戻ろう。」

「うん…。」


カナはそう言う眠そうな瞳のリュウジを見て、彼がどこか遠くへ行ってしまうような恐怖を覚えた。


「リュウジ、リュウジはどこにも…行かないよね?」


リュウジはカナのその言葉にすぐ答えることができなかった。


____________________


リュウジは正面玄関から出ると自転車置き場に向かう。

校庭のトラックでは陸上部が飽きないのかと心配になるほどぐるぐると走り続けていた。

その中に、ジャージ姿のカナを見つける。

すると目があったようだ、こちらに向かって手を振る。


「リュウジ!明日も一緒に登校な!」


周囲の視線がこちらに向かう。

カナには少しTPOを考えて欲しいものだ。

頬を紅潮させながらリュウジは自転車置場に向かう。

リュウジの自転車は兄のおふるだ、自分専用のもあるが兄の自転車のほうが彼を近くに感じられるような気がしてこれを使っていた。


「ドラムみたいには運転できないけど。安全運転で帰ろう。」


そう独りごちるとリュウジは自転車を漕ぎ、夕暮れの街を抜ける。

夢の中の鍔鳴りと銃声が、何故か耳の奥で響いた。

木々が夕日に染まっていく。


「あれって…。」


帰り道のショートカットに使っている寂れた公園に差し掛かったとき、リュウジはそこに珍しく人影があるのに気づいた。

同じ高校のブレザーの女子だ、あれはもしかしてミサキ先輩?

どうやらそのようだった、夕暮れの公園の中、ミサキが一人佇む。

黒髪が風に揺れ、閉じた瞳はいつものように開かない。


「生徒会があるだろうに、なぜここに?」


そう呟いたときだった、公園のミサキのいる前の地面がネオンブルーに光り、機械の唸りが響く。

ネオンだ!機械型でその大きさは普通自動車程度、ネオンの中では下級だが…。


「そんなバカな!なんでネオンがここに?」


ネオンの全部に備え付けられた2対のハサミ型のアームが夕日を反射し、ギラリと光る。

その継ぎ目からは、火花がチリチリと散っていた。

ミサキは動こうともしない、おそらく何が起きたのかわかっていないのだろう。


「先輩!逃げろ!」


リュウジは叫ぶと兄の自転車をネオンに向かって放り投げた。

だがおそらく何にもならない、彼の予想通りハサミのアームが自転車を弾き飛ばした。

自転車は歪んで地面に転がる。

そのとき、リュウジは不思議なことに気づいた。

ミサキの表情は恐怖に青ざめてるのでもなければ、茫然自失としているのでもない。

その開かれた紅い瞳には意思の力があった。


「お願い、帰って…ここはあなたの世界じゃない。」


その声は哀しげなのに命令のようだった。

リュウジは腰のカタナに手をやろうとするが、当然あるはずもない。


「くそっ!」


リュウジは叫ぶとネオンとミサキの間に立ちふさがった。

理屈ではなく体が勝手に動いてしまっていたのだ。


「あなた?何してるの!逃げなさい!」


後ろからかけられたミサキの声に、切迫さが混じった。

だが遅い、ネオンのアームの一つがリュウジの上に振り下ろされたのだ。

リュウジはとっさに腕でガードしようとするが、サイバーも魔法の援護もない生身の体がそんなもので防げるはずがない。


だが

ガシッ


「な、なんだコレ?」


リュウジはネオンのアームを受け止めていた。

ネオンが不満そうに不快な機械音を鳴らす。

そして受け止めたリュウジの腕が赤く光と熱を放っている、まるで世界すべてを照らすように。

光が満ち、次の瞬間そこにリュウジはいなかった。

そこにいたのは月のような銀の髪、血のように紅い瞳の少女アカツキだった。

服装もタンクトップとショートパンツに変わり、腰にはいつものカタナがある。


「はあ!」


アカツキはネオンのアームを腕で弾き返した。

彼女はカタナを抜き、紅い瞳を細める。


「でかいハサミだ、斬りがいがありそう!」


ネオンが再び獰猛な機械音を鳴り響かせ、ハサミアームを振り下ろす、アカツキは横に飛び、地面をスライディングで滑る。

ガキン!アカツキの銀髪があった地面に大穴があき、土が飛び散った。


「単調だよ!」


アカツキはネオンの足元に滑り込み、カタナを一閃させた。

ギィン!先日の複合装甲ほどではない、鋼が裂け機械油と血が混じった液体が噴き出す。

ネオンはカメラらしき目を点滅させ、再び咆哮する。


「うるさい!」


アカツキは跳躍し、頭部と見定めたそこを狙う。

空中で振り下ろされたアームを更に蹴って高く飛び上がると、首にカタナを深く突き刺した。

カタナの柄が彼女の小さな手のひらに食い込み、機械油と血の匂いが鼻をつく。


「はあっ!」


更に一閃、ネオンの頭部がちぎれ飛び、火花を散らして倒れる。

アカツキは息を整え、カタナを鞘に収める。


「…現実でも斬れるのは同じか。」


ネオンの死体は動かず、砕けた装甲が夕日に鈍く光る。

夢世界なら高く売れる、現実でもどうやら消えないようだ。

ミサキが呆然と呟く。


「あなたは、いったい何?」


その紅い瞳が戸惑ったように揺れていた。

そこでアカツキははたと気がついた、ここは現実世界なのだ。

彼女は自分の髪の毛と頬をひっぱり確かに自分がアカツキになってるのを確認する。


(うわ、僕今女の子になってる!?と、とにかく逃げなきゃ!)


アカツキは慌てて走り出す。


「ま、待って!」


ミサキが叫ぶがアカツキは人間が到底出せないスピードで、暗くなりつつある街の中に消えていった。


____________________


家の前では母が心配そうにリュウジ待っていた。

そういえばとスマホを見ると着信が何件も入っている。

アカツキはあのあと、街の中に潜んでいた。

なぜかわからないが、数時間もすれば元のリュウジにもどれるという感覚があったのだ。


「こんな時間までどこ行ってたの?それにお兄ちゃんの自転車は?」

「…いや、ちょっと壊れちゃって。」


リュウジは心配する母をなんとか納得させると自室に入り、汗を拭う。


「なんで…俺がアカツキに…。」


壁にかけた鏡にうつる自分の顔が、銀髪の少女と重なる。

リュウジは拳を握る、あの血と硝煙の世界が、すぐ身近に感じられた。

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侵蝕世界のネオンスレイヤー @holystock

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