白ワイン、赤ワイン

加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】

認知限界を認知する

 今、世間ではとある豪雨のニュースで持ちきりである、と仮定する。

 その豪雨の程度というのは、街のありとあらゆるものがさらわれ、死者、行方不明者がいないはずはない、という激甚げきじんである。そこで、ある架空の二つのメディアが、気象情報のコーナーにて、その激甚災害を取り上げる。


 一つ目のメディア——〈白ワイン放送局〉は、AI生成のお天気キャスターの動画と音声を流す。

 AI生成お天気キャスターの表情は、どこか無機質で、動的であるはずなのにどこか固定的で、それは時折、学習した虚偽的な眉間の皺や口角の皺を見せる。加えて心理学的セオリー通りの身振り手振りを振り付けるが、見る側がそれをAIだと認識しているせいなのか、どこか本気っぽさがないのである。そして読み上げるは次のよう。「ゴウウヒガイノアッタ〇〇チホウデハ、ゲンザイ、1234コガヒナンヲヨギナクナクサレテイマス。モッカ、キュウジョタイハ、ニゲオクレタヒトビトノケンメイナキュウジョカツドウニアタッテイマス」と。


 もう一方のメディア——〈赤ワイン放送局〉は、生身の人間のお天気キャスターに、語らせている。

 滝の雨と氾濫の濁流蔓延る被災地の凄惨な映像を受け、被害の状況を深刻そうな表情で報告する。最後に、「明日朝まで大雨は続く予想ですが、被災地の皆様が、一刻も早く、一人でも多く、救助されることを願います」と締めくくると——


 ——微笑んだ。


 微かな、笑み。それは、これから少しでも前向きな続報が舞い込んでくるように、と祈ってなされた微笑みだろうか。ひょっとすると、内心は、豪雨など、被災者など、まるきり他人事に思っているかもしれない。なんなら、この後お天気キャスターに待っている飲み会——遠い土地の水のざわめきとは正反対の属性を持つ騒ぎが、楽しみで仕方ないのかもしれない。この一文を言い放てば労働を終えるのだという、不意に溢れただけの、気の緩みの笑みなのかもしれない。もちろん、それを非難することはできないが。


 ワインには白と赤がある。

 葡萄を果汁のみで発酵させるのか、それとも皮ごと醗酵させるのか。赤ワインには、当然皮の渋みが含まれる。また別な酒の比喩をするならば、こんな違いもある。焼酎——蒸留酒を飲むのか、日本酒——醸造酒を飲むのか。真偽は不明だが、アルコール以外の(ここではそう呼ばせていただく)を含む醸造酒の方が悪酔いしやすい、二日酔いしやすい、なんていう噂もあある。


 情報伝達において、血の通った生身の人間を介するというのは、当然人間のの存在を意味する。その赤ワインの渋みのようなものは、今年葡萄ヌヴォーの皮なのか、単なる人間の冷えきった血栓なのか、誰も知る由はない。


 紅白なら見分けやすいかもしれないが、薄紅深紅鮮血赤褐色の境界は、非常に曖昧である。


 つまりは、媒体たるメディアは、溶質を運搬する溶媒であると同時にそれ自体が溶質なのであり、結局のところ溶なのである。


 よほどの化学者か、よほどの執念深き者でなければ、溶液の成分を詳細把握できない。

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白ワイン、赤ワイン 加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】 @sousakukagakura

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