ゾンビになりたい

@namakesaru

ゾンビになりたい

「俺はっ!!・・・俺は、死神だっ!!」


 ねずみ男みたいな恰好をした、さえない中年男性が叫んだ。


 え、ヤバい奴じゃん。

 なんで私の前に立ちふさがってるの?


 このような場合、もちろん避けて進むのだけど、視線は睨むかそらすか。この時は瞬間睨んでしまった、というより相手を確認した。

 しまった、目が合ってしまった。顔は紅潮し、目が血走っている。

 普通の女性はどのような態度になるのだろう。叫んで走って逃げる?それは踵を返すの?そのまま突っ切るの?それとも、挑発しないようにゆっくり後退するの?


 一瞥をくれた後、そのまま進む。身体はそのように動いた。


 全体がテーマパークみたいなこの街に、私は一人で来ていた。家族で、ペアで、仮想した人たちもちらほらみられる歩行者天国。さっきのねずみ男よりはまともだとは思うけど、20年も前に買ったシャツとパンツでフラフラと歩いている自分が場違いなことは良くわかっている。

 数年前までは絶対一人で来ようなんて思わなかったし、今日だってほぼ気の迷いだ。天気がいいからどこかに行きたい、よし、近場のイベント紹介サイトを開いて上から5番目のところに行ってみよう、そうやって決めた場所だ。

 何かを買う気もないしただ歩いているだけだけど、お天気のせいか気分は軽かった。

 なのに。なんだ、あいつは。イベントのエキストラ?だとしたら、あの形相はないでしょ。正直、身が竦んだし。子供連れだったら泣かれてもしょうがなかったと思う。仮想した参加者なら、かなり不審者に近い人物だ。通報した方が良かったかもしれない。


 気分転換にカフェにでも入ろうと身体を90度方向転換したとき、また、奴が視界に入った。

 なに?付いてきている?若干の恐怖を感じたけれど、見なかったことにしてカフェに入った。


「あの、相席させてもらえますか?」

 オーダーを済ませて何気なく店の外を眺めていたら、声を掛けられた。

 顔を向けるまでもなかった、あのねずみ男。

「困ります」

 答える前に、奴は目の前に座った。流石に恐怖を感じる。手先は冷たくなり、顔も背中もじっとりとしてきた。

「あ、大丈夫です。少しお話がしたいだけですから」

 いや、大丈夫じゃない。100歩譲って危険人物じゃないとしても、あなたのような人物と席を共にしたいとは思いません。そう思うのに、舌の根が乾く、とはこういうことだろう。何も言葉を発することができない。


「すみません。小汚い身なりで。先ほどは失礼しました。どうしてもあなたとお話ししなくてはいけなくて。緊張のあまり興奮して怖がらせてしまったこと、深くお詫びいたします」

 こちらが動けないことをいいことに、勝手に話をし始めた。

「先ほども申し上げましたが、私、死神なんです。あなた、希死念慮をお持ちですよね。それについて、お話しというか確認させていただきたく参った次第です」


 さっきは一瞥しただけだったが、対峙すると何とも気の弱そうな泣きそうな表情の中年男だ。目を血走らせて仁王立ちで現れた時とは打って変わった様子に、危害を加えられるかもしれない、という意識が薄れていく。


「あの、こちらであらかじめ調べさせていただいた内容としては、子ども時代からのいじめ。時代的な背景として、親御さんからの暴力もあったと。楽しそうな人のふるまいを真似てもうまくいかず、かえって孤立した。感情の暴発を抑えることができず、転職を繰り返していらっしゃる。そして現在も無職。」


 眼の奥が熱くなるのを感じた。なんというか、恥をかかされた、そのような気持ちになった。言葉が出てこない。


「発達障害を疑って、かなり以前から病院にかかっていますよね。医者の知識よりあなたの情報量の方が上回っていて、理解を得られなかったどころか険悪な状況にもなっていますね。知能テストの結果が出れば対応が変わると思っていたのに、IQが高く出てしまい発達障害は否定されている」


「何なの?」

 ようやく一言を発することができた。


 そう、勧められるままカウンセリングを受けたけど、自分をさらけ出すなんて医療機関であってもできないから。ただの世間話にいくら使ったのだろう。バカだった。ただ病院を変わればよかったのに、初診料のことだとか、また知能テストにお金がかかるんじゃないかとかいろいろ心配して無駄に通い続けてしまった。


「いえ、お気持ちお察しします。しかし、先天性か後天性かに固執されているようですが。失礼ですが、どちらであっても今となっては、変わりはないのではないでしょうか。」


 おどおどした表情のクセに、こちらの心を抉ることばかり羅列するこの男に、怒りがわいてきた。


「もしかして就活エージェントのスタッフですか?そんな個人情報をどこから仕入れたんですか?不愉快です!!」

「情報の仕入れ先は神様です」

「さっきは急に目の前に現れて、怒鳴ったくせに!何すました顔してわけのわからないことを言ってるのよ!イベントのエキストラ?主催者に報告するから名前教えて!」


「あ、すみません。名乗ったと思うのですが、死神なんです。あなたの希死念慮はどの程度か確認するためにここにおります。単刀直入に伺いますが、いま、死にたいですか?」


 本人を目の前にして、死にたいか、だと?

「もし、あなたが本当に死神なら、もうちょっとタイミングを考えてくれませんか?先日までは本当に死にたかったですよ!ようやく打ち込める仕事に付けて私なりに周りに配慮して頑張ってきたのに、2か月も入院していたよその部署の課長からなにも手伝っていないなんて罵倒されて、パートさんから命令ばかりされると文句言われて!いや、こっちは社員!指示は当たり前でしょ!直属の上司はに残業の増えている私に向かって残業するな、サービス残業も絶対NGだとかわけのわからないこと言ってくるし!自分の仕事をするだけで邪魔者扱いされて!反論したら大人げない我儘だって嘲笑されるし!!」


 口火を切ったら、止まらなくなってしまった。

「いつもいつもいつもいつも、わたしはうまくいかない!!あれだけの仕打ちを受けて黙ってその場にいることは出来なかった!なのに社会人失格だなんて言われて。何年も相談してきたのに、お互いに協力してくださいしか言ってこなかったくせに、あんたの方が管理職失格だとずっと思ってた!

 仕事は好きなのに。好きだけど、もう頭を下げてまで行く気はない。けど、私を軽蔑している旦那にただ食べさせてもらうのも嫌。だいたい、家事なんてできない!本気で仕事探しているのに、転職の多さや年齢が邪魔して見つからない。なのに、あんたのその態度は何なの!!

 死にたいよ!自分に原因があることだってわかっている!家族にもうっとうしがられて生きている価値なんてないし、どれだけ辛いかあんたにわかるの⁉」


 こんなに、自分の感情を素直にぶつけたのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。いつの間にか、周囲は闇に囲まれ視界の中にはその男だけになっていた。だから、思い切り人目を気にせずに叫べたのだろう。


 そんな私に、死神だという男は言った。

「いま、タイミング、とおっしゃったじゃないですか?そこがこちらとしても引っかかるところなのですよ。

 どのようなタイミングで、どのように死亡することを想定されていますか?」


 肩で息をしながら、少し間を置く。

「まず、今日みたいに、少しでも楽しもうって気持ちになっているときは違う。職場を飛び出した日から数日間はただ息をしているだけだった、あのタイミングとか?私を励ますことに疲れてしまった娘が家出をしたタイミングとか」

 今日は、一人で外出を実行している。楽しもうと思ったわけではないけれど、もともと出不精な私が外出しているなんて前向きこの上ない状態だ。


「どのように死亡したいのか、それがすごく問題なのよ。線路に飛び出すのは経済的に家族に迷惑かけるし、車道に飛び出すのも運転手さんにご迷惑かけてしまうでしょ?高いところから飛び降りるとか車でどこかにぶつかるなんて、怖くてできないし。そもそも痛いのは嫌。だからと言って、オーバードーズなんて苦しいだけだし?」

 そうなのだ、どのようにしたら死ねるか考えるのだが、うまく死ぬのはかなり難しい。そして失敗でもしようものなら目も当てられない。


「あのさ、あなたが本当に死神で私が本気で死ぬ気なら、苦しむことなく楽に死なせてくれる?」

「いや、寿命を頂くだけですから。そういったことは管轄外です」

「え?それはちょっと無責任じゃない?みんな業務を越えた要求や要望にもどうやって応えるか、そうやって仕事しているはずでしょ?」

「そういう気持ちが過ぎるから、裏切られたなどと無駄に傷ついてしまわれるのではないですか?」

「そうなんだよね。頼んでない、あなたが勝手に判断したことだ、なんて言いやがったからね。嫌われないように、好かれるようにそうやって先回りしてきたことを簡単に否定しやがったからな」


 怒りと相手の低姿勢からか、持ち前の居丈高さが首をもたげてくる。こういうところなのだ。相手を見ているつもりはないのだけれど、上からの物言いをするらしい。自分ではわからない。指摘されて、素直に理解し行動を変える能力に欠けている。


「お話を伺っていると、やはり、いますぐ残り全ての寿命を頂くのは難しそうですね。お話しするトーンもかなり勢いがありますし。それに、ご家族とも一緒に外出していたりお食事をされていたり、あなたの主張と一致しないところもありますから」

「ちょっと待ってよ。勝手に現れて、まさかこれで終わりなんてことはないよね?」

「いえ、死神ですからね。寿命を頂けないなら正直なところ、用はございませんので」

「いや、こっちに用ができたから。死んだあとはどうなるの?死神がいるならあの世もあるんだろうけど、どんなところなのよ」

「それは企業秘密に該当する内容になりますのでお答えできかねます」

「うっとうしいわね。あの世の存在を、こうしてしっかり知らしめておいて答えないなんて。じゃあ、死に損なって意識不明になったらどんな感じなの?辛かったことは忘れてただ寝ている感じ?」

「いえ、それもちょっとお答えできません」

「じゃあ、死なずに解放される方法を教えなさいよ!何のために私の前に現れたのよ!」

 なぜだか、目の前の死神にどんどん腹が立ってくる。


「死なずに解放されたい、ということであれば。そうですね、ちょっとお住まいと宗教を変えていただく必要がありますが、方法としてはあります」

「え?マジで」

「ええ、ゾンビ。あれ、完全に死んでいるわけではないので死神としてはうれしくないのですが、あの世についてではないのでお答えは可能です。現世からの解放という目的は確実に達成できます」


「ゾンビ?あの、半分腐ったみたいな体で人間を襲う、あのゾンビ?いや、怖いんだけど。高いところから落ちるとか線路に飛び込むとか、同じ意味合いで怖いんだけど。襲われる人間、みんな逃げてるじゃない」

「いえ、大丈夫ですよ?とりあえず、ひと噛みされれば良いだけですから怖れていらっしゃるほどの痛みではないです。それに、襲われた人間は確かに逃げていますが、ゾンビになってしまえば逆に襲う方ですから。あれ、なぜあんなに逃げ惑うのでしょうか?わたくしは死神なので人間の気持ちもゾンビの気持ちもわかりかねますが」


 うん、なるほど。言われてみれば、人間はなぜゾンビから逃げているのだろう。さっさとゾンビになれば逃げる必要も、恐怖すらなくなるのに。もっと言えば周りは仲間でいっぱいだ。ひと嚙みされるだけで現世の苦悩とおさらばできる。


 なんでいままで気が付かなかったのだろう。

 死神さん、Good job。

 そうだ、ゾンビだ。私はゾンビになればよいのか。

 希死念慮、確かにあったけれど。これからは死にたい、でなくゾンビになりたい。


 その願いが叶うよう、希望をもって過ごすのだ。







 





 


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