第2話


 メリクの為にいちいち王宮の方へ駆り出されることに、はっきりとリュティスが拒否を示したので、魔術の勉強がある時はメリクがリュティスのいる奥館を訪ねることになった。


 奥館の扉の前に立つとすぐに中から初老の老人が現われて、殿下の元にご案内いたしますと中に入れてくれた。

 王宮の外れに建てられた奥館は意外に広かった。

 次回からはお一人で部屋に向かわれますようにと言われて、メリクは螺旋階段を昇りながら迷わないよう入り口からの道を一生懸命頭の中に入れる。


 リュティスの部屋は三階にあった。

 だが他にも部屋はいっぱいある。


「あの……ここにはリュティス様の他にはどなたが住んでいるのですか?」

 執事らしい老人は事務的に答えた。

「この奥館にはリュティス殿下の他には召使いが数名いるだけです。召使いは皆一階に、二階はほとんど使われておりません」

「リュティス様は、幼い頃からこちらに?」

「左様にございます」

 こんな広い所に一人なんて自分だったら怖いな、とメリクは考えていた。

 執事は三階の一番奥にある部屋の扉を開いた。

「こちらが勉強部屋になります。殿下ももうすぐ参られます故、しばらくお待ち下さい」

 彼は丁寧にお辞儀をするとゆっくりと去って行った。


 メリクは部屋の中に入る。


 王宮にある魔術部屋という感じではなく、本当に普通の客間の様な家具などが置いてある部屋だった。

 部屋の隅にはソファと小さい机、中央には大きなテーブルがありそこには魔術書が重ねて置いてある。

 壁にかけてある古い時計、鳥のいない鳥籠……メリクはゆっくりと部屋の中を歩いた。


 リュティスがこの館で過ごして来た、その時間の欠片が少しある様な気がしてメリクはドキドキした。


 リュティスに会った時、その背景も彼の抱えるものも知らずただ惹かれたのである。


 修道院にいる二年のうちにサンゴール王家のこと、【魔眼まがん】の話、そういうことを知った。

 リュティス【魔眼】を隠すようになった理由――、サンゴール城内で出た死者のこと、心を失った母親のこと。

 決して公に口に出してはなりませんよ、と言いつつも修道院長が教えてくれたのだ。

 サンゴールの人間は皆リュティスの【魔眼】を恐れているのだということを。


 リュティスと初めて礼拝堂で会った時、彼の瞳に感じたのは魔力だったのだ。


(あんなに綺麗な眼なのに)


 メリクは不思議に思う。

(どうしてリュティス様のお母上様は遠ざけられたんだろう)


 この二年間迷った時、寂しい時、必ず開いて読んだ魔術書の一節を思い出す。


【その知は闇に生まれて光放つもの】……。


 メリクにとってリュティスはいつも眩しい光を思わせるのに。


(本当は、もう二度と会えない人だと思ってたんだ……)





 ――――『王家に紛れた異端の分際で!』





 今ではもうメリクだって分かっている。

 自分が王家になど関わる様な人間ではないこと。


(でも僕はもう、あの人を知ってしまった)


 リュティスの姿を見て、声をかけてもらえるなら臣下で十分だった。

 サンゴール王国に従う一人として、関わっていられるだけでいい。

その為に、たくさん勉強をして立派な人間になりたいだけ。


 扉が開く音がした。


 メリクは振り返る。

 第二王子が入り口から入って来る所だった。

 今日は術衣も被らず黒髪も黄金色の瞳も露にしている。

 リュティスが視線を向けたその一瞬だけで、メリクの全身は緊張した。


 ――相変わらずの存在感だった。


 二年間、ラキアの修道院で穏やかな日々に慣れたのに、一瞥だけでリュティスはメリクの世界を変えてしまう。

 リュティスの姿が目に入るとメリクの視界は色が失われるのだ。


 リュティスの姿以外の色が。

 彼以外の何も、鮮やかだと思えなくなる。


「椅子に座れ」


 メリクの感動になど眼もくれず、第二王子は命じるとサッと椅子に座った。

 メリクも急いで座る。


「あの、リュティスさま……、魔術を教えて下さって、ありがとう、ございます」


「女王の命令だからだ。お前が愚かならアミアカルバが恥をかく。それをよく肝に命じておくんだな」

 やんわりと言ったのにリュティスの切り返しは鋭利だった。

 メリクは慌てて頷く。

 リュティスは余計な話をしようとはせずにすぐに魔術の話に入った。


「サンゴールの魔術は【四元素同価法よんげんそどうかほう】だ。

 これは火、氷、雷、土、四種の魔術を均等に会得して行く方法のことを言う。

 王族から王立の学生までサンゴールの魔術師は全てこの方法で学んで行く」


「他にもあるのですか?」


「エルバト王国などは国の方針として【主要属性法しゅようぞくせいほう】を推奨している分かりやすい例だ。あそこは属性ごとに魔術師を選別し、魔術師団を形成している。

 これは術師にある特定の属性の魔法を集中的に会得させる方法だ。

 これで学んだ魔術師は一つの魔法に対して突出した効力を発揮するが、反面魔力を調和させる力に欠けて、無制御状態に陥る危険性を高める。サンゴールではこれを推奨しない」


 所々難しい話だったが、メリクは真剣に聞いた。

「お前にはまずは四種の魔法集約と秩序を学ばせる。精霊契約はその後だ」

「せいれいけいやく?」

 翡翠の瞳を瞬かせたメリクにリュティスは答える。


「人は生まれながらに四種いずれかの精霊の加護を受けているものなのだ。それを見つけ出し精霊と契約を果たすことで光と闇の術位に移行することが出来る」


「いこう?」

「……四種を覚えてから、そのうち最も相性のいい属性を定めると、光と闇の知識に触れることを精霊の領域で許されることになる」

 メリクは頷いた。

「リュティス様はどの属性なのですか?」

 子供らしい好奇心で聞いたのだが、すぐにじろりと睨まれた。


「――私の第一座だいいちざは雷だ」


 短い答えだったがリュティスが答えてくれたのでメリクは顔を輝かせた。

 雷の強さと鮮烈さはまさにリュティスに相応しい。そう思ったのだ。


「講義は明日からだ。何かあるか?」


 メリクは急に言われて迷ったが、まだリュティスと何かを話したいと思い、尋ねた。

「魔力の強さとは、いつ決まるのですか?」

「潜在的な所有量は生まれながらに決まっている。多少は鍛錬で鍛えることも出来るが、総じて魔力は才によって定められていると言っていい」


 そうなのか、とメリクは思った。

 それなら生まれながらに魔力が弱かったら、努力してもほとんどそこから魔力を強くしたりは出来ないということだ。自分はどっちなのだろう。そんなことが気になった。



「リュティスさま、魔力は何の為にあるのですか?」



 それは他意などは無い子供の無邪気な、ただの問いだった。

 しかしリュティスは強く眉を寄せる。


「――何だと?」


 魔統の血を薄れさせて行くサンゴール王家の未来を憂いていたリュティスにとって、突然胸に斬り込まれたような感覚を受けたからだ。


 しかしメリクの翡翠の瞳は深い思慮など無く、リュティスの方を見上げているだけだった。

「あ……いえ……魔術師になる方は皆、魔力が高い方なのかな……と思って……」

「……。そうではない。役割分担だ。力が強い者は力を使い、力が弱い者は知識を使う。色々な魔術師がいる」


「では、魔力が強い者が悪いもの、弱い者が良いものではないのですね」


 メリクは途端に安堵したような笑顔でそう言った。



 ――――危惧するべきはメリクのこの、非凡さだった。



 この幼さで、

 無邪気さで、

 メリクは魔術の真理というものに対して、すでに非凡な鋭利さを見せている。

 初めて会った時リュティスが感じたあの感覚だ。


 アミアカルバの魔力に対する鈍さをリュティスは本気で呪った。



(奴はこの子供を育てるという意味を全く分かっていない)



 サンゴール王族の血を引きながらも魔力を持たぬ王女ミルグレン、

 メリクはサンゴール王族ではないが、その領域に足をはっきり踏み込んでいる。


 そして顔とは真逆に、魔術に対する天賦の才は全くあどけなさがなかった。


 未来において自分の娘の、何よりもの敵になるかもしれない人間を育てようなどと、リュティスには欠片も理解出来ない心情だった。あれは本当に愚かな女なのだ。


 以前はそういうアミアに対する不満を、グインエルに言えた。

 そしてサンゴール王家の歪みがただされていた。

 だが、もうそれは不可能だった。


 メリクの翡翠の瞳がじっ、とリュティスを見つめて来た。

 二年経っても全く変わっていない悪癖である。



「俺の眼を凝視するな、メリク」



 突然、メリクを睨みつけ、第二王子は厳しい口調で言った。


 その時のリュティスの冴えた瞳が、二年前メリクに冷たい言葉を投げつけた時と同じ眼に見えて、メリクはすぐに慌ててリュティスから視線を外した。俯く。

 修道院長からも聞いていたのに、やってしまった。


 リュティスは【魔眼】を見つめられることを極端に嫌うということを。


「ご、ごめんなさい」


 身体を縮めて細い声でメリクは謝罪した。

 リュティスは無言のまま横を向くと、メリクの前に三冊、魔術書を積み上げる。


「この第一章に眼を通しておけ」

「はい」


 メリクは頷いて立ち上がった。

 リュティスが、話は終わりだと言っているのが分かったからである。

 勿論もっと彼と話したかったけれど、決して逆らってはいけない。


「ありがとうございます、リュティスさま。よろしくお願いいたします」


 深く頭を下げたが、リュティスは顔を背けたまま反応をくれなかった。

 メリクはもう一度礼をして、部屋の外に出て扉を閉める。


 閉めた途端リュティスの前では表現出来なかった、彼に魔術を教えてもらえる嬉しさが湧き上がって来て、扉の前で飛び上がりそうになる。

 そのまま螺旋階段を下りて奥館を出て、石柱路を走っていると、突然メリクはふと振り返りリュティスがまだいるであろう部屋の方を見上げた。


 我に返って気づく。

 扉を閉める時に見た第二王子の後ろ姿。


(リュティスさま……何だか元気がなかったなぁ……)


 前はもっと覇気がある人だったのに。


 今は何だか……。


(光が翳ってしまったようだ)


 メリクは少し心配に思ったが、リュティスの厳しい顔を思い出して首を振る。

 自分がやらなければいけないことは、リュティスに失望されないように頑張ることなのだ。


 メリクは本城に向って走り出した。

 それは彼が初めてサンゴール王宮の城門をくぐった時のように――。

 何かが始まったことだけは分かった。


 しかし。


 光ある未来も、闇ある未来も。

 メリクはまだ、知る由もなかったのである。




【終】

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その翡翠き彷徨い【第11話 魔統の師弟】 七海ポルカ @reeeeeen13

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