第3話 路地裏のミュージシャン
お爺さん犬に教わったとおり、私はよちよちと頑張って商店街にやって来た。
昔を思い出して懐かしくなるも、記憶に残る世界とはなんだか色味が違うようだ。
人間のころより視野は広くなったが、遠くがボヤけてしまう。道中の暗がりはよく見えていたし、これが猫の目というものか。
前世を自覚した途端、猫としてちょっぴりやりづらくなったが、まあ、そのうち慣れるだろう。
そんなことはさておき、夜がふける前に、飼い主となってくれる人間を探さなくては。
今世の一生がかかってるんだもの。生まれ変わる前の知識を活かし、妥協はせずに見極めてやるぞ。
商店街はおそらく駅前であるためか、まだまだ多くの人で賑わっていた。
踏まれるほどの混雑ではないので、タイミングを見計らってしれっと紛れ込む。
さすがに店内へ入るわけにはいかないが、どこか外からチェックできる場所を探そう。
まばゆいアーケードの中では、ガラス戸の向こうがよく見える。
ちょうど猫目線の部分が透明で、こっそりのぞける店があった。
どれどれ、抜き打ちテスト入りますよ。
客の大半はスーツ姿で、スマホを見ながら食べているお行儀が悪い人ばかり。
あれはダメ、これは論外。そっちはどんなものかな?
ふふふ、子猫に値踏みされているとも知らず、みんなのんきなものね。
私はきょうだいで一番かわいいとお墨付きだから、安売りはできないの。
美猫に釣り合う人間でなければ、こっちからお断り。
私のお眼鏡にかなう幸運な方は、ここにはいませんでしたっと。
店自体は及第点で、見ていたらお腹がすいてきた。
こんなことなら、不貞腐れてないでちゃんとミルクを飲んでおけばよかったな。
せっかく眼鏡っ子がお小遣いをはたいて買ってくれたのに、悪いことしちゃった。
〝ん? クンクン、もしやこの匂いは……〟
急に魚の匂いが漂ってきて、気づけば足が脇道に。
暗がりに荷物が積んであり、陰になっている排気口のそばに誰かがいるようだ。
そこには、地べたに座る小汚いお爺さんがいて、今まさに缶詰を開けたところだった。
「みゃーん」
「あ、見つかってしまったか」
彼はこちらに気づくと、にこやかにおいでおいでした。
誘われるがまま近寄ってみると、蓋をひっくり返してツナ缶を少しよそってくれる。
あら、親切にどうも。これはご相伴にあずからないといけませんね。
「分けてあげるから、わしがここにいるってバラすんじゃないぞ。ここは良い匂いして、お気に入りの場所なんじゃ」
〝もちろんです。甘じょっぱいタレを焼いた匂いがしますね〟
「ちっこくてかわいいのう。お前さん、いったいどこから来た? まだ赤ちゃんなのに大変だなぁ」
〝そうなんですよ。ママニャが失踪し、きょうだいには裏切られ、ひとりさまよっているんです〟
「ほお、そんなことがあったのか、気の毒にな。わしも妻に捨てられて、気づけばこんなところまで落ちぶれていた。きょう食うぶんにも一苦労じゃよ、まったく」
〝私たち、似たもの同士ですね。夕飯を奪ってしまってごめんなさい〟
「いやいや、いいんだよ。誰かと一緒なのは久しぶりだ。どうだ、うまいか?」
〝少し油っこいけど、味つけされてないので、猫でもいけますね。このごろ歯が生えてきまして、そろそろ離乳食の時期みたい〟
「ほう、そうかそうか。ははは、あとはわしのぶん。お前さんも強く生きるんだぞ」
彼はそう言うと、カップ酒を片手に、割り箸でツナ缶をつつきだす。
奇跡的に会話が成立して、相性の良さを感じるも、さすがにこれ以上お世話になるわけにはいかない。
見られていては食べづらいだろうし、私は「みゃあん」とお礼を言って、その場をあとにした。
あのような人と一緒に暮らすのも、それはそれで悪くないかもしれない。
でもきっと、私の存在は、彼にとっていずれ重荷となってのしかかかるだろう。
優しさは満点だけれど、お互いにとって良い未来が視えなかった。ありがとう、さようなら。
本通りに戻ってきた私は、あらためて通行人たちを眺める。
最初に気にかけてくれた大人がホームレスのお爺さんとは、あなたたちはいったい何をしているの?
失格。全員失格だよ。住む家があっても、心がないんじゃ仕方ない。
私はエリアごと切り捨てて、次の場所へと向かうことにした。
気づけば商店街を抜け出て、階段がある場所までやって来る。外観から察するに、どうやら歩行者デッキとなっているようだ。
さいわいたいした高さではないので、隅っこのわずかに低い場所をよじ登ってみる。
「――あら、あなた上に行きたいの?」
突然、おばちゃんが話しかけてきた。白い服装を見るに、医療従事者だろうか。
彼女は、階段に悪戦苦闘する私にほほ笑むと、首根っこをつかんで一気にいちばん上まで連れてきてくれた。
「気をつけてね。強く生きるのよ」
思いがけず楽ができた。ありがとうございます。
なんだかんだ心優しい人がいてホッとする。せわしない街だけど、あんがい捨てたもんじゃないかもね。
……でも、みんな最後は同じことを言ってお別れなのが気になるな。
人間誰しもひとりで生きているのだから、猫よお前も一匹で生きていけというのか。
愛玩動物って知ってる? 自分たちに都合よく改良していったのだから、ちゃんと最後まで面倒を見てほしい。
あーあー、日本なんかじゃなくて、トルコにでも生まれればよかった。
野良猫目線からすると、けっこう生きづらい国なのかもね。
徳川綱吉よ、お犬さまはあったのに、どうしてお猫さまにはしなかった?
まったくもってセンスがない。時の総理大臣、今すぐ猫を崇めるように、法律を改正しなさい。
ふと宗教のポスターが目に入ったので、どうにかこうにかよじ登り、文字を爪で引っかいて『神』を『ネコ』に書き換えておいた。
バステトって猫の女神がいるじゃない。日本をエジプトにしてしまえ!
だんだん人通りが増えてきて、駅が近いのを感じる。
歩行者デッキの端には、路上で仕事をする者たちがいるようだ。
どれどれ、あなた方も候補に入れてあげますか。
最初は絵描きさん。ちょうどお客が立ち上がり、代金を受け取っているところだ。
次は私がモデルになりましょうか? お礼はツナ缶ひとつで結構ですよ。
近づいてみると、ベレー帽をかぶった女性は、露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
「しっしっ、画材に触らないで。汚い猫ね」
これはダメだ。性格はおろか目も悪いらしい。
絵の道を志すなら、もう少し眼力を鍛えたほうがよろしいかと。
はあ、気分わる。次行こ、次。
お隣は占い師だ。ベールをかぶった妖しげな女性が、水晶玉の前に座っている。
古来より、猫と魔法使いは切っても切れない間柄。あなたさえよければ、おそばにいてあげてもいいですよ。
「おや、サバトラの子猫か。うちには幸運をもたらす黒猫がいるけども、どれ、お前の才能はどんなもんだい?」
あら、無料で占ってくれるんですか。
美貌に全振りなので、ほかのステータスはちょっと低めかもです。
「……視えるぞ。お前さん、前世は人間じゃな? すさんだ生活の末に、体をこわしてポックリ逝ってしまったのじゃ」
ぎくっ!? なんでそんなことわかるの!
この人、まさか本物? 私の真実を見抜くとは、なかなかどうしてたいしたものよ。
「――あはは、おばちゃんおもしろーい。子猫としゃべってる〜。それじゃあさ、私の前世はなんだと思う?」
「おやおや、これはすてきなお嬢さん。占うってことでいいのかね?」
「うん。よろしくー」
お客さんが来て、占い師はすぐにこっちのことなんか忘れてしまったみたい。
たぶん、さっきのは出まかせだったんだろうね。偶然にしては出来過ぎだけど、ちょっぴり楽しいひとときでした。
そのお隣は路上ミュージシャン。男性の二人組が、ファンらしき女性たちに囲まれて熱唱中。
猫に優しいともっとモテますよ。隙間から鳴いてアピールするも、悦に入った歌声でかき消されてしまった。
ふんだ、誰も気づかないでやんの。あなたたちがメジャーデビューする日は、一生訪れないでしょうね。さよーなら。
その後も頑張って探したけれど、理想のご主人さまはちっとも見つからなかった。
諦めるわけにはいかないが、時には妥協も必要か。猫好きで性格が良ければ、ほかの要素は不問としよう。
かわいい子猫をいりませんか? 今ならナデナデ券も付いてきます。誰でもいいから拾ってよ!
……惨めで悲しくなってくる。どうして私だけ、こんなに運が悪いんだろう。
ビルの狭間に浮かぶ月を眺めながら、心で泣いてため息をつく。
そんなとき、ふと自分の耳が軽やかな女性の歌声をキャッチした。
響きからして、録音ではなくたぶん生声。
別の路上ミュージシャン? いったいどこにいるんだろう?
私は鋭敏な聴覚を頼りに、再び街をさまよい始めた。
脇道を抜け、どんどん暗く、ひと気の無い方へと向かっている。
練習かな、それとも自信がないのかな。酔っ払いには思えないし、さすがにちょっと不自然だ。
しばらくして、街灯から離れた建物の陰に、ひとつの人影を見つける。
すらりとしてポニーテールが似合う、爽やかな美人。年頃ははたちを過ぎたぐらいか。
デニムの上下にオーバーパンツをはいたオシャレさん。たしかチャップスと呼ばれるズボンで、カウガールのような見た目だ。
彼女は静かにギターを奏でながら、透きとおるような歌声を披露する。
♪ここはどこ? 私は夢で 迷子中
憧れの 場所と思えど まだ違う
ねえ誰か 早く私を 見いだして
帰ろうと 思えば家に 帰れるの
でもそんな 負け犬なんかに ならないわ
この道の そのまた先を 見たいだけ――
今この瞬間、私のためだけにコンサートが開かれている。
どこか自分とシンクロする歌詞に惹きつけられ、じっと座って聴き入った。
すると彼女は、歌いきった途端こちらに気づき、驚きに目を丸くする。
「あれ? お前、いつからそこにいたんだ?」
ふっと笑って顔を手で覆い、天を仰ぐ。
「はーあ。なんだ、猫かぁ。あたしのファン一号は、なんと人間ですらありませんでしたっと……」
なんだとは何だ。猫だって立派な観客だぞ。
開かれたギターケースに入れるものはないけれど、タダ聞きしたっていいじゃない。
「随分とちっちゃいなぁ。お母さんとはぐれちゃったのか? あたしの曲を理解するとは、なかなかお目が高い。実家の猫は、ギターの音ですぐ逃げちゃうんだよ。ふふ、おいで」
誘われるがまま近づいてみると、私の喉元を優しくなでてくれた。
怖くないよう正面から手を出したところを見るに、動物の扱いには慣れているもよう。
身なりはきれいだし、体は健康そのもの。これは優良物件かも。
「ん……なんか熱っぽいな。風邪でもひいてる?」
そっと抱き上げて全身をチェックすると、突然、頭のてっぺんをぐりぐりとする。
「くらえ、天門突き」
「んみゃあ!?」
的確にツボを突かれて、駆けめぐる電流。この女、できる……!
疲れた体に快感がしみわたり、あやうく昇天するところだった。
「はい、終わり。悪いけど、あたし飼えないんだ。また遊ぼうね〜」
彼女は私を降ろすと、バイバイと手を振った。
そ、そんな。相性ぴったりなのに、どうして。
嫌だ、このチャンスを逃したくない。私はこの人に飼ってもらうんだ!
「さてと、そろそろ帰るか。今日も進展ナシ。はあ、これからどうしよ……」
ギターをケースに収めて立ち上がった彼女の足もとに、私は懸命にすがりつく。
「く、来るなよ。あたしには無理って言ってるだろ」
無理じゃない、頑張ればできる!
オーバーズボンに飛びついて、一歩一歩とよじ登る。
「なんであたしなんだよ。人なんてほかにいくらでもいるだろ。もっとちゃんとしたヤツ選べって」
悪いけど、こっちだって引き下がるわけにはいかないの。
ここで死んだら、次は虫けらになってしまうかもしれない。
そうしたらあっという間にカエルに食べられて、その次は微生物からやり直し。
絶対に嫌だ。ここで決めるしかない。
お願い、私を拾って!
「ああ、クソッ。なんだよこのバカ猫……」
しがみついて必死に鳴き声をあげ続けると、彼女はとうとう根負けし、私を抱き上げて顔を突き合わせた。
「ったく、あたしはしつこいヤツは嫌いだ。しばらくここに入ってろ」
ジャケットのポケットに足元から入れて、顔だけ出させてくれる。
ぞんざいな口ぶりとは裏腹に、優しく手で覆って指で軽くたたく。
私はその温かい手のひらに、頭を強くこすりつけた。
助かった。これでもう大丈夫……。
疲労と空腹が限界になると同時に、心地よいぬくもりに包まれて、私はたちまちまどろみに落ちていった。
生まれ変わったら子猫になって、優しい犬の頭で寝たい かぐろば衽 @kaguroba
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