第26話 初仕事




「誰かー!! その男を捕まえてー!! ひったくりよ!」



 奇しくも治安の事について話している最中に。噂をすれば何とやら、だ。考える間もなく、二人は臨戦態勢に入る。



「っと、ローウェン。早速お仕事みてーだぞ」


「わかってるよ。お前も手伝え。奢りの条件な」



 声のした方からは距離がある。

 じっと目を凝らす。何処だ、どこにいる。

 血相を変えて、道行く人々を掻き分け、無我夢中に逃げようとする、その卑劣な輩の動きを探す。

 

 ―—いた。

 

 道行く人を肩で突き飛ばし、非難の声の中を疾駆するその不届き者の姿が。そして、その進む先には――。



「嬢ちゃん! その男を捕捉しろ! 引ったくりだ!」



 一息早く、ロベルトがその姿を捕捉し、ローウェンより先に声を発した。下手人はんにんは、子供たちと一緒にいる雪花たちの方向に向かって、一目散に疾駆していたのだ。

 ロベルトの声に即座に反応した雪花。しかし――



「あっ……」



 雪花の周りにいた少女の一人が巻き込まれた。ひったくりの体が接触した。

 背中への衝撃で、前のめりで倒れようとする少女。それを雪花は寸でのところで受け止め、抱きとめた。



「おお。何たること。――大丈夫かや? 怪我は?」



 安否を気遣う雪花。だが、少女は涙を堪えながら首を振り、雪花に発破をかけた。



「お姉ちゃん。あたしはいいから、アイツ捕まえて! ハンターなんでしょ! はやく!」


「あ……」



 この一言で、雪花はこの港町の「流儀」を再認識した。

 そして、再び雑踏の中に無理矢理潜り込み、まんまと逃げ去ろうとする、ひったくりの背中を睨みつける。



「……わかりました。必ずや、捕うると誓いましょう」



 少女を立たせ、ぽん、と頭に手を置く雪花。そして言うが早いか、彼女は駆け出した。助走をつけ、人ごみの中に向かって大きく飛翔した。



「はあッ!!」



 思わずロベルトの口から「うおっ……!!」という驚嘆が漏れた。


 純白の着物キモノの袖が、揺れながら宙を舞う。まさに白き鳥が、汚れなき大翼を広げ、優雅に翔ぶが如き光景。ローウェンもまた、「おお……」と、目を奪われた。


 雪花は、人ごみを頭上から完全に俯瞰できる位置まで飛翔。下を見渡す。

 そして――その双眸が、卑劣な下手人の姿をとらえた。小奇麗な女物のバッグを胸に抱え、人ごみを押しのけながら、まんまと逃げおおせようとするその姿を。

 人ごみの中に入れば、ハンターどもも手荒な真似ついせきはできないだろうと、そういう腹積もりなのだろうか。


 雪花はキッ、と中空から下手人の男の背を睥睨する。そしてキックを突き出しながら急降下。逆落としを仕掛けた。水面の獲物を狙う鳥のように疾く。そして、雀蜂のように—―鋭く。



「やあーっ!!」


「ゲボッ!!」

 


 ドボオッ! と鈍い音。雪花のキックが、ひったくりの背中に突き刺さった。逆落としの蹴りの勢いで、ひったくりは前のめりになって、顔面から石畳の地面に叩きつけられた。後生大事に抱えていたバッグを投げ出しながら。



「ふん。脳天に見舞わなかっただけ、温情と思いなさい」



 うつ伏せに倒れながら呼吸困難で咳込むひったくりを、つまらなそうに見下ろすと、雪花は放り出されたバッグを、砂埃を払いながら保護した。

 突然のことで驚いた町民が足を止め、いつの間にか雪花の周りに囲いができている。野次馬まで集まり、周囲が騒然としだした。



「おーい雪花さーん。大丈夫だよな。野郎は?」



 律儀にも「ちょっと通るよ」「すいませんねえ」と謝りつつ人ごみを縫いながら、ローウェンが人の囲いの中から姿を現す。



「ロウエン! ――これこの通りの天罰覿面。そこで伸びておりますれば。ささ、く捕えましょう。一通り、確保と捕縛、そして通報の流れを見せて頂きたい」


「あらー、痛そう。もうちょっと手加減してやっても良かったんじゃない?」


「無茶を申さるるな。あの段に於いては、これが目一杯の手心なれば。さあ、疾く縄を」



 魔法式の捕縛縄をまだ使用できない雪花は、ローウェンを導き入れようとした。

 しかし――。



「ゲホッ、ゲホッ。こ、こんのガキゃあ……よくも、よくもやってくれやがったな!」



 まだ呼吸も覚束ないまま、ふらふらと内股気味に、ひったくりが立ち上がる。顔面をしたたかに打ったためか、鼻血が流れ出し、地面に垂れている。

 そして何よりも、右手には刃物が握られている。作業用のナイフの類ではなく、戦闘用の短剣だ。明確な殺意を、雪花に対し向けている。

 それを見た瞬間、人の囲いが一変。悲鳴や狼狽え声とともに後ずさり、徐々に散り始めた。

 


「おや……存外、しぶとい。否……このわらしの身体では、体重が足りておらぬと見るべきか」


「あーあ。抜いちゃったねえ、得物。大人しく伸びたままお縄についてれば、罪状もまだ軽かったろうに」



 群衆が散った今が、本来なら最後の逃走のチャンスだったであろうに。怒りで逆上し、完全に我を見失っていると見える。もっとも、逃げたところで、雪花からは逃れられないだろうが。



「お嬢ちゃん!! ぐずぐずしてないで、早く逃げろ!! ――おいあんた、確かそこそこのハンターだったろ!! なに呑気にボサーッと突っ立ってるんだ!」



 刃物を見ても眉一つ動かさず逃げようとしない雪花と、呑気な言動で動こうとすらしないローウェン。それに業を煮やした町民が掴みかかってくるも、ローウェンは「大ぁーい丈夫。大丈夫」と、飄々と受け流す。



「あの、俺の相棒なんだ。つまり同業ってワケ」


「同業!? ハンターって事か? バカを言え! あんな小さな子がハンターなんて聞いたことも—―」


「確かにナリは小さいけど、言っちゃえば、なの。――おーい! 雪花さーん」



 完全には振り返らず、横目での目配せのみ行う雪花。



「罪状これ以上増やさせるのも忍びないし、攻撃される前にさっさとカタ付けちゃってよー」


「……承りました」



 そして、微かに笑んでみせる。



「ゴチャゴチャと……何をくっちゃべってるぉぉぉ……」



 出た。

 お馴染み、神速の踏み込みからの—―まさかの肘鉄。体術である。引ったくりが気づいた時には、既に雪花はその懐に潜り込み、そのか細い肘を、腹にめり込ませていた。二度目の呼吸困難である。

 たまらず、引ったくりはその場に膝をつき、どう、と倒れた。



「ふう。やはり踏み込みをつけることが出来れば、何とか戦闘不能に持ち込むことはできるようです」


「やっこさん、泣きっ面に蜂だねえ。やめときゃよかったのに……」



 ローウェンは近寄ると、引ったくりの手元の短剣を、遠くに蹴とばした。


 再び騒ぎ出す群衆。「今の見たか?」「見た見た! 動きはぜんっぜん見えなかったけど……見た!」「ねえ、あんな可愛らしいナリでハンターなんだって!」「すごーい! さすが東那国。神秘の国だわ……」。などなど……。



「おやおや。さっそく、だねえ」



 ローウェンは引ったくりを魔法式の捕縛縄で縛りあげながら、ぽつりと呟いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白妙雪花咲姫 異邦戦記譚 〜「神は全知全能にしてただ一人」の異国の地で、失った信仰と神体とを取り戻す。そのためなら女勇者でもアイドルでも何だってやってやる 〜 天流貞明 @04110510

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画