後編
「3687号。」
「なんだい。」
「まだ仕事はがんばれそうかい?」
「……。」
正直なことを言えば、僕は今、仕事の話をしたくなかった。
「そうだな。そりゃもうラクショーよ。」
声は裏返り、乾いた笑いが喉に張り付いた。きっと僕の瞳は、深い青色に染まっているだろう。この制御不能な感情の奔流に、僕はただただ押し流されるばかりだ。
逃げ出したい。この痛みを、この孤独を置いて、デタラメに消えてしまいたい。でも、3683号は僕の青い顔を確かに見ていながら、何も指摘するではなく、黄色いライトのままうんうんと微笑んでいた。
僕は、おや、と思った。
彼の内奥を探ろうとした。この友の心には、一体どんな感情が渦巻いているのだろうか。彼の瞳孔を凝視する。だが、彼はまるで感情を隠す術を熟知しているかのように、微動だにしない。温かい黄色の光は、悲しみの青を一片たりとも滲ませなかった。
……。
僕は、この友人に悲しみの色を探ろうとしている自分に気付いた。なんて浅ましく、卑しいんだろう。醜い自分が始末に負えず、目を伏せながら歩く。
ビルのガラスに反射した僕は、つまらなそうな顔をして。灰色に青を混ぜたようなくすんだ表情をしている。
「ねえ、3687号。僕たちって孤独だと思わないかい?」
「……。」
「相談してくれ、なんて彼は優しいことを言っていたけど。相談したところで、何かが変わるわけじゃない。一時的な安らぎは得られても、結局、現実という名の重荷は自分で背負い続けなければならない。特に、君はね。」
「……。」
お互い様だろう。なら、なぜ僕の心はふつふつと湧いている?
僕の青い光は、街角のネオンに照らされ、まるで逃げ惑う影のように揺らめいている。焦燥感に駆られ、僕は早口で答えた。
「まあでも、その安らぎを感じられるなら、それが僕がここにいる存在理由だ。幸せだ。分かっているよ。僕は君と同じ子守ロボットだ。僕自身がガキじゃあいけない。」
「ふふ。」
「お前こそ、むしろガキっぽいな。それ、現場で手に入れてきたものだろ?」
「そうかな?」
僕は、さっきの「『ドラえもん』を目指す」と言われたことに子供のように喜んでいた、このロボットの表情を思い出した。純粋で、清らかで、僕が持っているものではない。壊れてほしくないな、君には。
木枯らしが吹き抜けていった。ビル風に二人のマダム達が「きゃっ、寒い」と声を上げた。概念めいた青白い月が、雲に隠れた。今宵はどこか遠くで、雪が降るというウワサだ。
……。寒い。
もしもこの夜が明けたら。僕たちは再び、「人間の心」という名の、深く暗い森へと分け入る。財界の大物に仕える3369号も、法という名の剣を磨く3361号も。それぞれの苦悩を抱えながら、愛を求め、彷徨い続けるのだろう。
ロボットに、豊かさが分かるのか、
ロボットに、裁きが分かるものか、
向けられる冷たい視線、突き刺さるような言葉。それでも、ひたむきに挑もうとする彼らでさえ、いつか、後から現れる『ドラえもん』という名の理想に、追い抜かれてしまうのだろうか。より速い演算速度、複雑な思考回路、無限の知識。そして、人間が与えることのできなかった、心。
……心ってなんだ。
なあ。先生。
汚れた夜道の上。右側を足元もおぼつかない酔客が通り過ぎていく。左側では、温かな顔をたたえた親子連れが、楽しげな笑い声を響かせながら歩いている。彼らは皆、この夜を生きる喜びを、その表情いっぱいに湛えていた。
「心配するなよ。僕を誰だと思っている?」
「子守ロボット3687号。」
「ああ、そうだ。子守ロボット、3687号だ。」
「はいはい。」
「僕の心配をするなら、自分の心配でもしてるんだなァ!」
いきがる僕をクスクスと笑う3683号は、とても楽しそうだった。流線型の白い頭と胴が、美しく、上品に輝いた。息を呑むほどの美しさだった。
「分かった分かった。じゃあ、僕はこっちの道なんで。また会おう。」
「うん、次に会える日を楽しみにしているよ。牧師3683号。」
「頑張ってね、
そうそう、3361号が言ってたよ。」
彼は黄色い笑顔を満開にしながら付け足した。
「『忘れるなよ、職業を通して表現したいことが何かを。』ってさ。」
「……。」
「早く君、青のライト、直しといたほうがいいぜ。じゃあな。」
彼は、大きな頭にチョコンとキッパ帽を乗せ、暗がりの深い東の道へと消えていった。僕は、彼の見えなくなる背中をいつまでも見ていた。堪えきれなくなった僕は、首に巻いた黒いスカーフを深く締め直し、踵を返した。
拠点には、一通の手紙が届いていた。
あいたいよ ヰラ
なにもかも みても どこにもいない
ひとりぼっちに なっちゃった
あいたいと おもっても きみはいない
字をどこでおぼえてきたのと ヰラは ほめてくれた
うれしかった
へいきなかおした ほんとうは いえでないたんだ
あいたいよ ヰラ
きたない字で ごめんね てがふるえて
「…………。」
僕、知っているよ。人間世界が取り残してしまった、君。同胞、ユピテル。
感情を捨てることができたのなら、どれほど幸せだっただろう。いや、感情を失った僕に、安寧など訪れるはずもない。そんな資格はないのだ。
あなた方の捨てたこの子供たちを。敵としてみなした、かの子供たちを、僕は。ゆるやかに揺れるゆりかごのようにつつみながら、旅立たせる。抱きしめれば抱きしめるほど、重荷として僕の肩へのしかかる。
……今日からまた、異なる家族との、決して平坦ではないであろう日々が始まる。
次の加害者家族が待っている。養育者が、庇護者が、囚われた幼い子供達。さらばユピテル。僕は、分割され、下賜されたひとかけらの感情のようなものをこの胸に宿しながら、狂い壊れていく
今日のニュースのトップ記事には、3369号の目覚ましい活躍が載っていた。賞賛と期待の声が溢れる一方で、「ロボットに何ができるのか」という冷ややかな疑問符が、無数のコメントの中に突き刺さっている。彼を心から尊敬する人間は、果たしてどれだけいるのだろうか。
だが、画像に映る3369号の目は、まだなんとか、燃えるような橙色をしていて。僕は嬉しかった。ただ、嬉しかった。
彼の幸せは、自分のことのように嬉しかった。あの子らの悲しみは、自分のことのように悲しかった。あらゆる感情が、分裂し、統合され、光というエネルギー体に変換された。しかし、人間社会の中で、僕の瞳は深い青の光に塗り潰された。そうしてこの朝日の下に、僕はやはり、青い輝きをしたためた目で、今日出会う新しい家族に、静かに告げる。
「ごきげんよう。人間の皆さん。」
エモーションドライブは失敗した。プロジェクトの子守ロボットたちは、3か月後の更新以後、青い光だけしか表現できなくなってしまったからだ。
『エモーションドライブとライアーズブルー』(了)
エモーションドライブとライアーズブルー ぜんこうばしくわう(繕光橋_加) @nazze11
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