君と出会って、本能論を知る

 今僕は、学校のとある部屋の前に立っている。

 僕は、その部屋のドアをノックする。


「どうぞ」


 落ち着いた、よく通る声が中から聞こえてくる。

 僕はそのドアを開けて一歩踏み出す。

 そのドアには読書部と書かれていた。


「読書部は答えのない問いに答えを出す」

 その噂が流れ始めたのはいつからだっただろうか。

 そして、そのデタラメとも思える噂は瞬く間に学校全体に広がっていった。


 何故なら、その噂を信じて読書部に行った人、面白半分で行った人、全ての人が帰ってきた後、こう言ったからだ。


「読書部には一人の男がいた。その男に質問したら何でも答えてくれた。その答えは9割は正しいと思ってしまった」


 それを聞いた時、僕は信じられなかった。

 なぜ人生きるのか、なぜ世の中は不条理で満ちているのか、なぜ人は死ぬのか。

 答えの無い問いなどごまんとある。


 なのにその男は答えを出したというのだ。

 だから僕は彼に会いに行くことにした。

 噂の真相を確かめるために。


 読書部にはその男一人しか今は居ないらしい。

 本来は廃部となるはずだが、先生との交渉によって廃部を免れたとのことだ。

 それもまた怪しい。


 僕はそんな疑念を持ちながら、放課後、読書部へと足を向ける。

 緊張のせいか、体が痒くなり、手首を掻きむしる。

 そんな緊張感を抱きながら歩き、そして今に至る。


 ドアを開け、その先を見据える。

 ドアの先には、大量の本棚があった。

 右を見ても左を見ても本であり、辺り一面に本が敷き詰められている。


 しかし、それらはよく整理されていた。

 それはこの部屋の住人の性格をよく表していると言ってもいいだろう。


「やあ、こんにちは。何か読書部に用でもあるのかい?」


 目の前の男の声で正気に戻る。

 声が聞こえた方を見ると、一人の男が座っていた。

 その男は、黒目黒髪で、オーバル型の眼鏡をかけていて、どことなく神秘的で知的な雰囲気を醸し出している。

 手には「命とは」という本があった。


「えーっと、僕は1年3組の真壁 悠馬まかべ ゆうまと言います。新聞部として、最近騒がれている『読書部は答えのない問いに答えを出す』という噂が本当なのか確かめにきました」


 嘘は言っていない。一応僕は新聞部である。

 ……幽霊部員だけど。

 その答えに対し、彼は僕を見据えて答える。


「自己紹介ありがとう。私は一年の……いや、名前は言わないでおこう。それで、読書部の噂についてだったね。少し語弊があるが、その噂は本当だ。私は、どんな問いにも九割は答えを出せる。例え、答えが無いとされている問いであっても」


 その返答に思わず彼を問い詰める。


「どんな問いにでもですか?世の中、答えが無い問いなんて幾らでもありますよ?それこそ偉い心理学者とか哲学者ですら答えが出せない問いが」


「そうだね。でもそれは物事の上辺だけを見て、本質を見ていないからだ。どんな偉くて優れている人だって、間違ったものを見ていれば答えは出せない。間違った情報を与えられれば、間違った答えしか出せない。だけど、私は本質というものの形だけは知っている。だからどんなものにも答えを出せる。」


 僕は彼の返答を聞いて、彼を試してみたくなった。おそらく答えることができない質問を投げかけてみようと口を開く。


「……なら、一つ質問を良いですか?」


「もちろん。鶏が先か卵が先か、みたいな問いじゃなかったらね。残念ながらあれは過去にどうであったかの事実だと思うんだ笑」


 ゆっくりと口を開く。

「では、人は何故、生きるのですか?」


 これこそ誰もが答えを出せない問い。

 人というのは様々であり、人によって生きる理由は違う。

 そして、生きる理由が無い人もいる。


 それでも人というのは生きている。

 これこそ最も単純で最も複雑な問い。

 誰もが抱く問いで、答えを出せない問い。

 僕は彼を見据える。

 彼は口を開く。


「答えよう。それは『』で説明できる」


 ……本能論?いくつかの哲学は知っているが、そんな論は聞いた事も無い。彼が次に口を開く前に尋ねる。


「本能論って何ですか?」


 彼は少し考え込んだ後、再度口を開く。


「確かに、人が生きる理由話す前に本能論について知っておいた方が良いだろう。でも、それについて説明していたら、人生きる理由まで話す時間は無さそうだ。だから、今日は本能論について話して、明日また君の問いについて話すということでも良いかい?」


 僕は頷く。

 彼は立ち上がって、指を鳴らしながら言う。


「それでは、論の時間を始めよう」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 彼は僕に、側にあった椅子を薦める。

 僕はそれに座る。

 そして、彼は口を開く。


「まず、本能論とは、名前の通り、本能に重きを置いた論だ」


「世の中の全てを本能に基づくものだと考えて、できる限りシンプルに物事を捉える。だからその過程には感情や道義、理性といったものを全く入れない。それを理念としている」


 彼は鞄から突如としてりんごを取り出す。


「例えば、これは私のおやつのりんごだが、君はこのりんごを見てどう思う?」


「えっと。赤くて、色艶も良くて、美味しそうだなと」


「うん、普通は皆、そのようにこのりんごを捉えるだろう」


 彼は言う。


「でも本能論は違う。本能論はまず、これをりんごとして捉えない。これは欲というものを満たす物として捉えるんだ」


 この場合は食欲だね。

 彼はそんな事を言っているが、そんなことは僕の頭には入ってこない。


 感情や道義、理性、それを無くしたら人には何が残るというのだろう。

 それを無くしたらその生物は人と呼べるのだろうか。


 ただの獣ではないか。

 そう思い彼に尋ねる。

 彼は笑いながら言う。


「人間というものは、元々は獣だった。そして、今も獣だと私は思う。結局、本能論から考えると、感情や道義、理性も本能から派生したもので、人間の本能という本質はずっと変わっていないのだから」


 本能論。

 本当にそれであらゆるものに答えを出せるのだろうか。


「さてと、話し込んでいたら思ったより時間が過ぎていたね。そろそろ帰らなければ」


 時計を見ると5時50分だった。

 完全下校が6時なのでそろそろ帰らなければならない。

 彼は帰り支度をしながら口を開く。


「本能論とは何か、大まかには分かってもらえたかな」


 僕は頷く。

 彼は満足気に頷き、バッグを持って立ち上がる。


「今は本能論が何なのかが完璧に分からなくても良い。論というものは議論によって初めて理解できるものなのだから」


 そう言って、彼は部室のドアを開ける。


「それじゃあ、明日は、人は何故生きるのかについて話そう。鍵は開けっぱなしで良いから。good bye」


 彼はそう、格好を付けて去っていく。

 僕も、急いで帰り支度をして扉を開ける。

 夕暮れに照らされた廊下が広がっていた。

 そんな廊下を走りながら考える。


 明日が楽しみだ、と。

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本能論 〜Salva Veritate〜 OROCHI@PLEC @YAMATANO-OROCHI

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