第12話 生き長らえた理由


「まず君は、この時代における海水が、人間に対して有害であることは知っているかな?」

「う、うん。海に濡れると、肌が溶けるってお父さんが」


 実のところ、エルマの知識のほとんどは父から口伝されたものだった。

 エルマ自身、父親が海水の中で泳いでいる光景など見たことは無いし、発言の真偽を確かめようと思ったこともない。

 それでも対して疑いを持っていないのは、そうする理由がないからだ。


「肌が溶ける、というのは惜しいけど少し違うね。正確には、緩やかに体組織を溶かし、その結果熱傷を引き起こす」

「熱傷?」

「まあほとんど火傷みたいなものだね。とはいえ私はその筋の専門家ではないから、原理について確かなことは言えないが」


 そう言って、ディードリッヒは未だ巨大な容器を口に突っ込まれ続けているクラウスの方を見た。彼は相変わらず苦しそうだが、ディードリッヒの説明が始まってからは、うめき声を上げるのをこらえているように見える。


「確かなことは、破損したボンベから逆流した海水が、クラウスくんの口内に侵入してしまったことだ」

「それって……大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないから、今こうして治療してるのよ」


 どうやらロミーの言う「治療」というのが、先程まで執り行われていた執拗な水責めであったらしい。それも一段落となったのか、彼女はクラウスの口から容器を引っこ抜き、床に向けて強く振って飲み残しがないことを確かめた。


「よし、ひとまずこれで終わり。念のため一時間後にまたやるわよ」

「僕は貯水槽じゃないんだぞ……」

「いくら発声に必要だからって、そのまま飲んじゃったのが悪いの」


 身体を溶かすような液体に触れてしまったなら、良く洗い流すが肝要だということなのだろうか。なんにせよ、クラウスは恨み言を漏らしてこそいるものの、治療行為自体を責めるつもりはなさそうだ。


「ロミーはああ言うが、彼は優秀だよ。混合ガスのボンベが破損したとみるや、ホースのバルブを完全に締めて吸引器を外し、ヘルメット内に残った僅かな空気で呼吸することを選んだ」

「えっと……?」

「つまりはいろいろと判断が早かったってことさ」


 エルマにはディードリッヒの言うことが半分も理解できなかったが、どうやらクラウスがあの状態でひどく煩雑な対処を取り、その結果として生き長らえることができたのだと理解した。


「つまりクラウスは……死なない?」

「ああ。おかげさまで僕は生きてる」

「ああ……」


 そう言ってはにかんで笑うクラウスを見て、エルマは深いため息をついた。どうやら、自分で思うよりもひどく、彼のことを心配してしまっていたらしい。気の遠くなるような感覚を受けて、身をよじり目を細めてしまう。


「……さて、あまり再会を邪魔するのも無粋だろうし、私は一度この辺りで」

「えっ」「なっ!」「船長!?」


 そう言って席を外そうとするディードリッヒの声で、エルマとクラウスとロミーとは、三者三様の驚きを示す。

 中でも強く反発を示したのはロミーで、彼女はすぐさまディードリッヒに詰め寄り、彼を訴えかけるような目で睨んだ。


「メロウと一対一にするなんて……! じゃなかった。クラウスの容態の確認くらいしてください!」

「容態の確認は済ませてあるよ。飲み込んだのも大した量じゃないから、大量の水を飲んで流せばなんとかなる」

「だからって……」

「心配なら、君が残っていればいいじゃないか」


 ディードリッヒが軽い声色でそう言うと、ロミーは少し俯いて歯噛みしたあと、小声で「冗談じゃないわ」とつぶやいた。

 声質がよく通るもので、ぼやきは誰もに聞こえてしまったわけだが、特別誰にもつつかれることなく、ロミーは部屋の出口へ向かう。


「仕事があるので、失礼します」


 振り返ってそう一言。冷淡な声色でそう残したロミーが、廊下の方へ消えていく。ディードリッヒは表情を崩さぬままそれを見送り、十分に間を置いた後、エルマの方へ振り向いた。


「いろいろと事が済んだら、下まで顔を出してくれ。道順は、彼が知っているから」

「あ……うん」


 そうしてディードリッヒが廊下に消えて扉が閉まり、部屋の中には正真正銘、エルマとクラウスの二人だけが残される形になってしまった。

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エイジオブサブマリン ビーデシオン @be-deshion

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