第19 話 「ある日、1977」
「ある日、1977」
今日、会社で久しぶりに音響業界で出している機関誌を目にした。
倉庫整理の傍ら、ファイルの処分を初めてすぐ、大量にファイリングされている新聞なのだ。
この新聞に近い薄い冊子とは、かなり昔から発行されているらしく、どこかのメーカーから納品のダンボールに紛れて積まれていたのだろう。レコード針メーカーに就職してから、以前にも何度か目を通した記憶もある。偶然めくったところ2022年4月、の日付があり、すでに数年前の号だがこんな記事に目が止まったのだ。
「『2021年はついにアナログレコード盤の売り上げがCDを超えた』なんて話題になりましたが、それはアメリカでの話なので、これを読んでいる日本人にはピンと来ないかもしれません。実際、欧米の家電量販店に行くと、それまでCDが置いてあったコーナーが撤去され、その代わりに懐かしの名盤や新譜のアナログレコードがずらりと陳列されている。日本ではあまり見ない光景があります。」・・・
何年かぶりの紙面。目を通す事もなかったが、そんな音楽事情は初めて聞いた。と言うより、敏感に反応してしまうところに性を感じてしまう。やはりうれしいのだ。お陰でいきなり遠い記憶が蘇ったのだ。
ある日・・・、安アパートの一室でレコードを聴いていた学生がいた。
ターンテーブルは、昨年、晴海で開かれたAudio展でデビューしたばかりのリニヤ式と呼ばれる画期的なプレーヤーだった。
彼の名前は神田といった。神田は都内の私大に通う2年生だった。高校生の頃よりAudioに懲りだし、LP・EP盤はもとより、ダンボール3箱分のオープンテープのコレクションも抱えていた。彼の部屋を訪ねる友人はまず、スチールのラックにドーンと縦置きにされたSONYとAKAIのオープンテープデッキに圧倒されたものだった。そして次にYAMAHAの3WAY、もちろん左右対象型スピーカー。次にSANSUIのアンプ、トリオのチューナー・TEACのカセットデッキと、順番に目を見張った。レコードのコレクションもちょっとしたもので、1年程前このアパートに越してきたとき、すでにみかん箱に11箱というボリュームのコレクションを誇っていた。それから丸1年、バイト代も親からの仕送りもほとんどを注ぎ込んでコレクションを増やしていた。
学生街のレコード屋では一番のお得意だった。初老のマスターは「神田さん」「神田さん」と常に愛想がよかった。なにしろ、月に5・6枚はコンスタントにアルバムを買っていたもんだった。それをいいことに神田は授業が終わると一度アパートに戻り、アンプ、カセットデッキの電源を入れ、ターンテーブルのダストカバーも開け、そのレコード屋に出掛ける。決めていた2枚を求めすぐアパートに戻り、内1枚をカセットデッキで録音し、ふたたびレコード屋に戻すのだ。
「ああ~ん、やっぱりこっちは持ってたよ」
そんなサクセスストーリーを私に自慢してみせる憎めないやつなのだ。
きょうは部屋を訪ねる友人もなく、いつになく上機嫌で旅行カバンに荷物を入れながら、最新のリニア式プレーヤーでお気に入りのEAGLESをかけている。夏休みに入ったきょう神田は帰省するのだ。
鼻歌交じりの神田は次第に旅支度に専念し始める。
電車の時間が気になりだしたからだ。郷里の岩国までは6時間、東京駅の書店でAudioジャーナル誌と缶ビールを買う時間もある。ボストンバックを片手に慌ててアパートを飛び出したとき、すでに景気付けにかけていたレコードのことなど忘れていた。
リニア式レコードプレーヤー***
ターンテーブルの脇に固定されたトーンアームでレコード面をトレースする従来の方式に対し、トーンアーム自体をレールに取り付け水平に移動させて、常にレコードの溝に垂直に針が当たるようにしたプレーヤーを言う。この原理により、レコード針のトレース条件が常に一定になり、遠心力を緩和するインサイドフォースキャンセラー、トーンアームが次第に中心に偏ることによる仰力を緩和するラテラルバランサーなどの機能を不要としたシステムである。
レコードはテープやCDと異なり盤の外周に対し、内周で歪みが増えるという特有の欠点がある。正しく調整されたリニアトラッキング・プレイヤーを用いれば問題は無いが、ピックアップ部が弧を描いて動作する通常のトーンアームでは遠心力から来るインサイドフォースやオーバーハングずれの影響を解消する事は容易ではない。外周と内周の歪みの差と言う。
また、レコードは角速度(回転数)が一定であり、内側に行くほど線速度が遅くなっていく。そのため、内側に録音された音ほど高周波特性が悪く(帯域が狭く)なっていくという特徴があるのだ。これを外周と内周の帯域差と呼んだ。***
ふたたび神田がアパートに戻ったのは40日後のことである。出掛けたときのボストンバックを片手にドアを開けた神田を熱気が包んだ。そして、40日間分の熱を溜め込んだ部屋からは妙な音が聞こえてきた。
神田は「シー、シー、シー」と聞こえるかすかな連続音を探した。
音源はすぐ見付かった。自慢のリニア式プレーヤーからなのだ。レコードは回転していた。あの日からずっと人知れずレコード針は回転するレコード面をトレースし続けていたものらしい。
「シー、シー、シー」
ターンテーブルをのぞきこんだ神田は唖然として立ち尽くした。ターンテーブルは確実に回転していて、レコード針はアルバムの最後の溝の円周をなぞり続け、溝の両サイドにうっすら切り粉の山を築いていた。恐る恐るトーンアームを上げてみると針はすでにレコードを貫通していて、ラバーマットに円を描いていることがわかった。40℃近い小部屋の中で地道な作業は脈々と途切れることなく続けられていた。
神田は特大のドーナツ盤を眺めながら寒気を感じていた。それはダイヤモンド針の鋭さもさることながら、引っかき傷を音源とするレコードという回転系自体から生まれる強いアナログ性なのだ。
「ほらっ、これさ~っ。かなりのものだろ。40日間さ」
「ものすごいエネルギーを感じるだろ?」
神田は久々に顔を会わせる私に自慢なのだ。
「なんだって、神田、レコード掛けっぱなしで田舎に帰っちゃったのか?アハハッ」
「『アハハッ』じゃないよ、野口。ほ~ら、これが、夏休みの工作だ。巨大ドーナツ盤。製作者はダイヤ針だがな」
「はあ、本当にこれはダイヤモンドカッティングというヤツな」
巨大なドーナツと中味を両手に私はそう言った。
「機械っていうのは恐ろしいよな・・・、疲れを知らないというか、仕事をさぼらないからな。
ところでお前、今度Audioの展示会いかないか?」
神田はそう言うと私に、開いていた雑誌を渡した。
こんな記事がすぐに目に飛び込んだ。
今回の新製品の試聴会は○月○日、千駄ヶ谷のオンキョウスタジオで開かれた。
今回の審査員は長岡鉄男氏はじめ、赤井、早川両氏、本誌松下というメンバーで試聴室に入った。装置はすでに1時間ほど前からあたためられていて、メーカー担当者から簡単なシステム説明の後、穏やかな雰囲気の中始められた。
以下、各氏のコメントを紹介する。
「今回のシステムにはかなりの期待を抱いて試聴室に入った。先ず、出だしの音を聴いて音声解像度が格段にアップされている実感があった。音にメリハリがある。多分、これを聴いてM社のRBー120に近いイメージを持たれる方も多いと予想されるが、むしろ昨年V社から発売されたKシリーズにJ社のイコライザーをミュートさせた音に近いかも知れない。それを単品で再生してしまう辺りにこのシステムの真価がある」
(長岡氏)
「流石、独自の発想を持つS社だと脱帽させられた。高域の伸び具合、中域のしなやかな表情といい申し分ない。しかしひとつ難点を言わせてもらえば、超低域帯において若干音がこもる傾向があるように思われるが、通常の再生装置では聴き取れるかどうかの方が問題であろう」
(赤井氏)
「神田、今度はこのシステム買うのか?」
「バカ言え、こいつは業務用のやつさ。50~60万は下らないやつさ。とてもオレらになんか手が出ないけど見るだけなら出来ると思ってさ。
オレはつくづく思うよ。こういう本の講釈に弱いんだ。中学の頃、親戚の家におやじと「パラゴン」なんて輸入スピーカーの実物を聴きに行って以来さ。どうしても目にしてみたくなってしまうんだ。レコードなんかもともと単なる引っ掻き傷が音源なんだから、どう料理しても限界は見えているはずなのに、よくも次々と理屈を思い付くものだと思ってさ」
「知ってるか?そもそもレコード自体完成された音源再生システムじゃない。LP盤の中心近くの曲は音質が悪くなるという理論。盤の外周近くの針にかかるスピードと、盤の内側よりではトレースする速度が変わってしまう。いつも何気なく聴いてしまうが、あれ、録音したときのカッティングマシーンも同じように外側から内側に吹き込んでいるから気がつかないだけで、陸上のトラックと同じで、外側の方が速く走らないと追いつかないわけさ。まあ、ものすごく細長い短冊のテープみたいなレコードじゃ聴くのも大変だろうがな。まあな、音源があいまいなんだから、レコードがある限りあとはなんとでも講釈はつけられるってことさ。
その記事だって
『地球では上り坂が続けば、やがて下り坂となるでしょう。なぜならば地球は球体ですから』
なんて言ってるのも同じさ。オレだってなんとでも講釈できるさ。
野口、だから、だからこそ、絶対というものがないから様々なことが試される。これが原音追求の世界さ。オレはそこに無限の可能性を感じるんだ。・・・」
今にして思うと、これが、私をレコード針会社へと導いたコメントだった。神田を恨むつもりなどさらさらないが、私はアナログレコードの世界に無限の可能性を見たのだ。
そして、1988年のある日。
誰もが意外な光景を眼にしていた。
それは新聞のラジオ欄であったり、FM雑誌の番組欄であったり、また、実際の番組のDJのあいさつであったりした。
日曜の昼下がり、人気DJの小林克己はこうあいさつした。
「さて、皆さんにお知らせがあります。長い間皆さんに可愛がっていただいてきましたこの『ナマオカ・ミュージック・インハイホニック』ですが、今回を最後に終了することとなりました。今まで様々なリクエスト、お便りいただいたリスナーの方々、また多くのミュージックファンの皆さん、改めて感謝します。
番組は終わっても、いい音楽はいつまでも皆さんの心に生き続けることでしょう。製作者を代表してお礼申し上げます。
なお、先週までのリスナープレゼント、高級ベルベットを使用したナマオカ・レコードクリーナーケミックと、針先を楕円にカットし接着面積を飛躍的に向上させたナマオカ・オーバル針の受付は有効です。プレゼントは発送をもって発表と代えさせていただきますので、もうしばらくお待ちください。
さて、時間がまいりました。
スィーユウアゲイン、ネクストチャンス。チェケラッ!」
もちろん、新聞のラジオ欄やFMレコパル誌の番組欄に印字された『最終回』という文字に気付かなかった人物や、番組の最後を待たずにラジオを切った人物には、いつもと変わらぬ日曜日だった。
そして私はこんな注意書きまでいまだに案外すらすら記憶している事が不思議なのだ。
レコード取扱いのご注意
① レコードをジャケットから取り出すとき
は手を洗ってからにしましょう。
② レコード盤はエボナイト樹脂でできてい
ますので、盤面に手の油や指紋、ホコリ
等、付着しないように注意が必要です。
③ そのまま放置しますと音質低下、針飛び
の原因になります。汚れがひどい場合に
はレコードクリーナーケミックで盤の円
周に沿って拭きましょう。別売りのクリ
ーナースプレーを併用すると効果的です。
※レコードは1年に一度程度水洗いし、
陰干しすることも効果的です。その際、
バケツなどにレーベル面が濡れぬように
漬け、録音溝だけを洗うよう注意します。
④ ジャケットからは静かに引き出しましょ
う。盤のエッジを持つようにして、プレー
ヤーのターンテーブルの中心にセット
します。
⑤ EP盤のレコードを聴くためにスペーサ
ーというプレーヤーの付属部品が必要で
す。無くした場合はレコード店、楽器店
音響製品取扱い店で購入できます。
⑥ ターンテーブルの回転数を確認します。
LP盤の場合は33.1/3、EP盤で
は45回転へ速度選択レバーを合わせま
す。いずれも1分間の回転数です。プレ
ーヤーの機種によってはストロボという
ピボットがターンテーブルに刻まれてい
て目視できるものもありますが、1ヶ月
に一度程度、回転数のチェックが必要で
す。また、回転数の遅れがいちぢるしく
なった場合には、ベルトドライブの交換
が必要です。ベルトの購入はプレーヤー
の製造メーカー、販売店にお尋ねください。
⑦ 盤面の回転状態を確認します。注意する
のは盤面の上下の歪みはないか(LP盤)
ターンテーブルの中心とレコード盤との
円周のふらつきがないか、スペーサーが
正しくセットされているか(EP盤)等
です。
⑧ トーンアームを上げレコード針を確認し
ます。ホコリ等が付着していないか、針
先が曲がっていないか等です。針先の汚
れがいちぢるしい場合には専用のクリー
ニング液も市販されていますが、針の寿
命とも考えられます。針の寿命は概ね、
サファイヤ針で100時間、ダイヤモン
ド針で500時間といわれています。そ
のまま継続して使用しますとレコード盤
の溝に傷がつく原因ともなりますので定
期的な交換をお勧めします。替え針もレ
コード店、楽器店、音響製品取扱い店で
購入できます。
⑨ レコード盤面へ針を乗せるときは、衝撃
の起こらないよう注意が必要です。また
針はできるだけ垂直に上げ下げするよう
心掛けましょう。横にずらしますと、レ
コード盤の溝に傷がついて針飛びの原因
となります。
⑩ レコード盤を聴き終わったらターンテー
ブルに放置せず、ジャケットに戻し保管
するように心掛けましょう。保管の際に
は平置きや重ね置きはさけ、縦置きしま
す。また、高温多湿の場所は盤の歪み、
カビの原因となりますので注意しましょ
う。
※ 引越し等のご注意
供給電力の違いにより中部以西60HZ
中部以東50HZと別けられています。
(図参照)このためそれぞれの圏外へ移っ
た際には、プレーヤーのモーターの回転
が変化します。微調整つまみのある機種
は再調整しますが、調整しきれない遅進
や調整機能がない機種は、モーター交換
や改造等が必要となりますので製造メー
カー、販売店にご相談ください。
それから2年後、
出向先の音響製品問屋の倉庫。何気なく手にした、返品で戻ったダンボールからのぞいていたCDプレーヤーの取扱説明書を私は初めて目にしたのだった。
なぜCDの登場で、アナログレコードは消えてしまったのか?。もう、5年や10年、共存しながら生き残るだろうと予想していたものが、海外はいざ知らず、本邦では許されない国民性があったとしか言いようがない。何と言っても、ミュージックソースを握るレコード会社のシフト変更が速かった。それまで貯めていた膨大なソースを一気にCDに書き換えたのだ。また、我々はそれまでに唯一、カセットテープでの新譜発売は経験していたが、日本のリスナー達は許さなかったはずだった。新たなCDの再生機を買い替えなければならなかったリスクがあるのに、いともたやすくコンパクトな虹色のディスクを認めたのだった。
それまで音楽を聴くには、レコード屋で新譜のレコードを購入し、前出の取り扱い説明に沿って手まで洗い、自宅のステレオ前に座り込む。その後、ステレオでカセットテープにダビングしてウォークマンで持ち歩く。そんなリスニングスタイルから、当時、同時に登場したCDウォークマンでダイレクトにいつでも持ち運べる手軽な利便性。自宅でのみのミュージックライフはいよいよ通勤電車内、屋外何処でもを可能にしたのだ。私は今まで経験したことがなかったスピード感で時代の流れを体験したのだ。
改めて、入社2年目の販促会議を思い出す。販売部長だったろうか
「専務の言われるようにレコードとは文化なんだよ。これは逆にどうあがいてもかえられない、大衆の欲求なんだ。君もレコード針メーカーにいる以上、そこのところをもう少し勉強してみなさい!」
なるほど、まさに大衆の欲求こそがCDだった。
CD(コンパクトディスク)の取扱い方
① ディスクの持ち方
なるべく信号面(虹色に光っている側)
に触れないよう、エッジを持つようにし
てください。
② ディスクの保管は必ずケースに入れ、高
温の場所や直射日光の当たるところや
極端に温度の低い場所を避けて垂直に保
管して下さい。
③ ディスクのお手入れ
ディスクに指紋やホコリが付いた場合、
汚れにより音が飛んだり音質が低下する
ことがあります。ディスクの汚れを拭く
ときは、柔らかい布で円周に沿って拭か
ず、内周から外周へ軽く拭きます。ディ
スクの清掃には別売りのディスククリー
ニングセット(JV-D11)の使用をお勧め
します。汚れがひどい場合には、柔らか
い布を水に浸し、よく絞ってから汚れを
拭き取り、その後乾いた布で水気を拭き
取ってください。
④ レーベル面に紙やシールなどを貼り付け
たり、傷などを付けないようにして下さ
い。ノリなどがはみ出した場合、ディス
クが取り出せなくなるなど故障の原因に
なります。特にレンタルディスクにおい
てはラベルが貼ってある場合が多く、故障
が起こる恐れがありますので、のりなど
のはみ出しを確認してからご使用下さい。
損傷のあるディスク(ひびやそりのある
ディスク)は使用しないで下さい。
ベンジン、シンナーなどの揮発性の薬品は
使用しないで下さい。
またレコードスプレー・帯電防止剤などは
使用できません。
このシステムは日本国内のみ使用可能で
す。また、海外のディスクは解読トレー
ススピードの違いにより、再生できない
場合があります。
「非日常アナログシティ」 @takebuchi
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