第7話 目には見えない嗜好


 「目には見えない嗜好」



 趣味趣向でもなく、ましてや酒肴でなく、嗜好品のしこうなのだ。誰にも好き嫌いがあり、決して目には見えない好みという物がある。それは変えようもなく、何の役にも立たないのだが、本当はすべてはその嗜好に支配されているのだ。


「あのですね、かなり以前の事になりますが、私が勤めていた経営不振で解散してしまったレコード針の会社ですが、かなり景気の良かった時期もあったんです」・・・

「その頃、OA化と号令がかかっていろんなオフイス用品を買ったんです。ワープロからパソコン、ファクシミリ、コピー機、なんか。特にパソコンが入った時が凄かったんです」・・・

 パソコンの前では禁煙、使い終わったらダストカバーをかける、そして課長はこう注意したものだった。

「『パソコンは君達の命よりも大事だからな!』って言われたのを覚えてます」

「野口っちゃん、難しそうな仕事してたんだな?。それにオレなんか単純労働者だろ、みんな口は悪いからね。まあ、その課長さんだって口は悪そうだけど、悪気はないだろうな?。

 オレらみたいに毎日車、同じように作ったりしてると、変えちゃダメだが強くなってさ、いろいろ考えなくなるんだ。それの方が同じ性能ってことで、良すぎても、まあ、悪きゃダメだけど、良すぎてしまうと他がダメになるから難しいんだ。機械さ、オレら職工は機械の部品さ。いや、車作る機械だったな。あまり、いつも考えることをしなくなる。野口っちゃんなんか、シティに来てもう一年以上になっても発見してみたり、オレらによく尋ねるよな?。そこが偉いっていうか、いつも考えていられるのが楽しそうだよ。羨ましいな。

 オレらは見たもの聞いた事、すぐそうなんだって納得してしまう。比べたり不思議だなんて、比べる物を持たない癖があるんだ。分かるかい?上手く説明ができんが・・・。」

 私は兄やんの話を聞きながら、自身の中学時代、田舎の親元に暮らしていた日々を思い出していた。

 一口で言ってしまえば変化に乏しいがのんびりとした暮らし。

 毎年、夏が近づくと大量の爆竹を予約して、本格シーズンに備える。シーズンといっても、村内の悪がき連と夜な夜な投げ合っては田んぼの畔を走り回ったり、カエルの口に差し込んで跳ね飛ばしたり。・・・

 昼間に畑を物色しておいて夜中にガクラン着て西瓜泥棒に出掛けたり、夏休みは毎日欠かさず学校のプール通いで、高校受験を控えた中3の夏も真っ黒に日焼けしていた。

 冬は冬でスケート場で滑りまくる。腹が空けば売店でラーメンで暖を取る。ラーメンといっても、メニュー代わりにべニア壁にインスタントラーメンの3・4種類のパッケージが画鋲で刺さっているだけ。注文すると小振りな鍋にゆでてくれて、鍋ごと貸してくれる。

 有に30メートルはあろうというお宮の御神木に日の丸を揚げてヒーロー気分を味わったりしていた。

 他にやることもないからといってしまえばそれ切りだが、毎年、飽きもせずそんな年中行事を繰り返しながら、充実感を味わえた生活があった。

 そんな話を兄やんは腹を抱えて喜んでくれた。

「野口っちゃんもかなり悪かったんだな?。実はオレ、一時、自動制御なんて呼ばれた最新の自動車工場で働いたことがある。・・・」

 そう言って武勇伝をぼそぼそ話してくれた。


 その工場は最大手の最新工場で、3交代の深夜シフトで月産2、000台なんて記録を誇ったりしていたそうだ。

 生産管理部長と呼ばれたヤツのやり方がえげつなかったという。

ある連休明け、いつものようにラインに立った兄やんに工員達の話声が聞こえてきた。

「休みはどうだった?。また彼女とドライブかい?。・・・若いのはいいよなー・・・」

「オレか?、オレなんか毎日、子供に付き合って草野球のコーチさ・・・」

「また、仕事かよー。こりゃ、きょうはえらくまた忙しいな。休み明けは堪えるわ」

「なーに、車種が変わったせいよ・・・」

その内、

「こりゃおい、冗談じゃねーぞ。もっと急げ。こっちの分の時間がとれんぞ!」

 たまりかねて兄やんもそう怒鳴ったという。

「おーい、エンジン!、もっと早く積まねーと内装が間に合わねーってよ!」

  いくら最新の工場といっても、工員達の気質は同じである。そんな身に覚えのある無駄口やら、怒鳴り声が頻繁に耳に入ってくるのだが、しばらくしてそれらはすべて止むのである。どのセクションも大あわてで、話し声は次々消え、ラインにはあわただしさだけが残った。

 その月末、生産台数が新車種にもかかわらず先月と同程度に達した。

 その内、今までにない違和感を感じるようになったというのだ。

 こんな工員達の慌て様は、特に休み明けと週末に集中している。

 不思議に思ってセクションの時間を記録してみて、次第に分かって来たのだという。忙しく感じるのも当然、ラインのスピードが徐々に変化したからであった。

新任の生産管理部長は実に巧妙な作戦を実行していたのである。

 休み明け、特に連休明けのだらけた精神状態での作業は効率が低下する。その分、ラインのスピードを上げてみたところが、何日か振りで仕事に就く工員達はその変化に気付かない。さらに週末となれば、もう少しで休みだという心理から、いやがうえにも生産効率は上がってきている。そこでラインのスピードを上げてやれば、みるみる生産台数は伸びる。しかも彼は一日の内でも、朝・昼前・昼後・夕方と、そのときどきの精神状態を考慮に入れてスピードを設定したプログラムを組み立てていた。

 トイレにさえまともに行かれない。それ以上に人間性を無視した生産台数至上主義に耐えかねて数か月後、兄やんは新車のシートに辞表代わりに大便を残し、二度と出勤しなかったというのだ。

「兄やん、相当頭に来たんだね?。やり方が、いや、辞表の置き方がストレートでやんちゃですね」

「オレも相当若かった頃さ。オレに続いて何人か辞めて行ったヤツもいたらしい。でも今でもその生産管理のやり方は許せないな」

「今の工場のラインはどうなんですか?」

「今はトイレくらいゆっくり行かしてもらえるさ。大型トラックがメインの工場だから、自動制御とかオートメーションとは行かないのさ。それに品質にうるさい分、台数ノルマは二の次の考え方になってきている。製品が問題で大事故にでもなったら元も子もないって経営方針だから・・・。

 結局、車造りなんかでは、長年やってるヤツにもっと任せてほしいのさ。自分でも乗りたいという車に仕上がっているかどうか、一番肌で感じているのがオレら職工なんだから・・・。間違ってるかい?、オレの考え方・・・」

 そう、真顔で尋ねられて私は即答した。

「間違いない!。・・・

 でもね、私の見てきた町では海外の無責任なメーカーが安かろう悪かろうで参入してきて、対抗するにはかなり無理なノルマや部品の品質下げたりしながら頑張ったけど、何社か潰れたりしたんだ。そうなったらどうする?・・・」

「そうかよ、工場長みたいなこと言うなよ。まあ、そしたらまた職探しするさ・・・。野口っちゃん、きょうはどうしたのさ、刺さるね。なにかあったかい?・・・」

「そうじゃないけど、私の以前勤めていた会社は一度潰れたからね。しかも、前住んでた町なんかではレコードなんか流行んなくなって、レコード針なんか誰も買わなくなったんだ。そうなったらどうする?」

「でも、レコードはまだあるんだろう?」

「あるにはあるが、CDっていう、もう針で溝をなぞらないでも音楽が聴ける、レコードよりも小さい円盤で、新しい曲はみんなCDで売り出すようになってしまって・・・」

「なるほどな、野口っちゃん。以前から言ってたヤツな。

 そう考えると、そりゃ切ない経験したんだな。今オレらが造ってる車がなくなってしまうわけか。・・・

 でもな、オレ達の造った車が残っている限り何かしら仕事はあるさ」

「兄やん、私が行ってる今の仕事がまさにそれなんだ。まだレコードを聴きたいっていう人達がわずかでもいるから、私は今のレコード針の倉庫の仕事を続けようと思って続けて来たんだ。」

「野口っちゃん、偉いじゃないか。シティじゃまだまだレコードは現役だし、世界のあちこちには探してるヤツだっているからだろう?。

 そうだ、車で解りやすいのはマニアル車と最近当たり前になってしまったオートマ車みたいなものだな。本当に車が好きなヤツはマニアル車だな、それと同じでレコードも絶対なくなりはしないさ」

「兄やん、そう言えば以前の町でも、バイクだけは今でもマニアルだったっけ・・・」

「おっ、うれしいね。ようやく意見が合ってきたじゃないの・・・野口っちゃん」


 バイクの操作とはかなり難しいことをやっていると思う。

 バイクの種類にもよるが、今まで私が関わってきたマシーンは、小さくても大きくても同じだ。

 ギヤをニュートラルに合わせて、キックする。

 エンジンが回り、ハンドルの左のレバーを握り、ギヤペタルをひとつ前に踏み込む。右側のハンドルのグリップがアクセルというもので、このグリップを回しながら左のレバーを徐々に緩める。すると、大体のバイクは自然と前進を始めるのだ。

 すかさず地面を支えていた両足をステップに乗せ走行状態となる。

 続いてまた左手レバーを握り、左つま先でギヤペタルを今度は蹴り上げ、左手のレバーを放していく。右手グリップをさらに手前に回すと加速し、左手レバーを握り、左つま先でギヤペタルを蹴り上げ、左手のレバーを放す・・・。

 この繰り返しでどんどん加速させていく仕組みのマシーンなのだ。

 マニュアルもなしに体で覚えながらみんなそんな操作をやっている。

 複雑そうで、右手・右足、左手・左足それぞれ違う動きで、まるでエレクトーンの演奏、否、ドラムの演奏テクニックのようなことを無意識にやっている。もちろん、無意識にできるようになるのには慣れが必要なのだが、老若男女、都会でも田舎でも、日本全国、世界中で同様のルールで80年、90年と繰り広げられてきたマシーンなのだ。

 最近すっかり乗らなくなってしまったが、何年乗ってなくても自転車と同じで、一度覚えた感覚とは体が覚えているはずなのだ。

 そして、その両手両足を無意識に動かしてエンジンの振動を感じながら風を切ると、エンジンと自身の会話ができるのだ。バイクと一身一体になって初めて、バイクに乗ってる感覚を楽しめるのだ。

「そうだな、野口っちゃん、同じだな、シティにもスクーターのヤツもいるが、やっぱオレはバイクはマニアル車だな・・・。音楽もオレはレコードっていうものに針を落とすことで聴いた感じになってるよな。今の仕事頑張ってくれよ!」

「兄やん、私は最近つくづく思うんだ。世の中どこまで便利になるか?。どこまでが一番便利なのかって?」

「野口っちゃん、難しいな・・・」

「いや、話は単純だと思うんだ。あまり便利になり過ぎると便利バカになってしまって、なんでも新しい機械やマシーンとかシステムに走るが、空いた時間に何しているかというと、相変わらずパソコンにかじりついたり、もっと便利にならないかを考えだして、のんびりやぼんやりすることを忘れてしまうんだ。それにいざ、のんびりできる時間になると、逆に不安になってしまったりして、落ち着かなくなるんだ」

「なるほど、それはオレにもわかる気がする。ライン仕事と同じだな。急げば急ぐほどノルマは増える・・・」

「だから、私はこのシティの暮らし振りが気に入ってる。性に合ってるような気がするんだ。ちょっと不便とか、ちょっと便利って感じるくらいが人間らしい生活だって思うようになったんだ」

「『ちょっと不便とか、ちょっと便利』な・・・、わかる、わかる、『頃合い』ってことだな・・・」

 とりとめもない話になって来てしまったが、兄やんは一言

「まっ、野口っちゃん、いろいろ考えんなよ。仕事なら、オレは今の車が好きなんだ、だから仕事続けられるんだ。野口っちゃんも同じだろ?、それ以上考えなくていいのさ」

と諭してくれるのだった。


 いつかのハムの篠塚さんのコメントを思い出す。

「それ以上考えなくてもいい」・・・

 ひょっとするとシティの住民から感じる「曖昧」な感覚とは、雑でもアバウトでも適当でもなく、どこまでを頭で考え、あとは自然と体が覚えてくれる「頃合い」こそポイントだと言っているのだろう。すると自然とシティでのアナログ生活の中に新たな発見は産まれ、岡さんの提唱する「スローライフ」が見えて来るのだろうと理解した。「生活を楽しめ」と皆さん教えてくれているだけなのだ。




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