おまけ「はじまりの呼び名」

 焼け焦げたコンクリの匂いが、肺に張りつくようだった。

 制御都市郊外――かつての居住区がブリーダントの進行により壊滅し、現在は掃討区と名を変えたこの場所で、駆除部隊の新人だったミスミ・ハルトは、はじめての実戦の洗礼を受けていた。


「くそ……どこから湧いてやがる……!」


 小隊は分断され、味方の姿はすでに見えない。遮蔽物に隠れたミスミは、傷だらけの電磁ライフルを抱え、息を整えた。

 だが次の瞬間、背後から金属音が響く。咄嗟に振り返った彼の視界を横切ったのは、鋭く閃く刃。

 斜め上から振り下ろされたブレードが、ブリーダントの頭部を両断した。


「立てるか」


 低く、落ち着いた声。


 視線の先には、細身の兵士がいた。マスクに黒の戦闘服。ショートカットの金髪が額に張り付いている。瞬きひとつせず、刃を構えていた。


「……助かった。サンキュ、兄ちゃん!」


 そう言ってミスミが立ち上がった瞬間、兵士は一歩下がり、刃を振って返り血を払うと、マスクを下げながらぼそりと返した。


「……女だ」


 一拍置いて、ミスミが「はあ?」とまじまじと相手の顔を見る。たしかに、線の細い輪郭と薄い唇。よく見れば、睫毛も長い。


「マジかよ。そりゃ悪い。だったら……そうだな、今度から間違えないようにって呼んでやるよ」


 小さな間。だがその呼び名を聞いた兵士の目が、ふっと細くなるのをミスミは見逃さなかった。怒ったわけでも、嫌がったわけでもない。ただ、静かに、認めるように。


* * * * *


 それからの戦場は、まさに地獄だった。

 ブリーダントの群れが周囲を包囲するなか、ミスミとは背中を合わせて戦った。刃が火花を散らし、ミスミの弾が頭部を砕く。互いに言葉を交わす暇もなく、ただ息遣いだけが命の証だった。

 やがて、ようやく応援部隊が到着し、生存者が確認された。


「貴様ら、よく生き残ったな……!」


 通信機越しの声を聞いた瞬間、ミスミはその場に座り込んだ。ぐったりとした身体を起こしながら、彼は隣の兵士に視線を向けた。


「なあ……ジョウちゃん、だったよな?」


 ジョウ――本名アビゲイル・ジョーンズは、まだ血のついたブレードを鞘に収めると、ほんのわずかに肩をすくめた。


「好きに呼べばいい」


 そのとき、ミスミは彼女の心のいくばくかに、自分が“入れた”のだと感じた。


* * * * *


 それから、長い戦いが始まる。

 幾度も命を懸け、幾度も傷を負い、幾度も生と死の狭間に立たされながら、ミスミとジョウは戦場に立ち続けた。

 互いに多くを語ることはなかった。それでも、名前を呼ぶ声と、それに応える刃の動きだけで、伝わるものがあった。


 ジョウ――。


 皮肉半分に呼んだその名は、やがてミスミにとって、唯一無二の戦友を指す祈りに変わっていった。

 そしていまでも、彼がその名を呼ぶとき――そこには、かつて火のなかで育まれた、無言の絆がある。

 彼女がその名に、微笑んでくれたことを、ミスミはずっと覚えている。



 了

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人類が滅んだ世界で、生物兵器の子を拾った 名々井コウ @nanaikou

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