第28話 池宮へのじが伝説になった日
「伝説……なっちゃったな……」
「なっちゃったねぇ…………」
記念配信終了後。『どどんぱち』のスタッフが機材を片付けて帰社し、へのじちゃんに張り付いて離れないへぶんを蹴りだした池宮・明石家は、静寂に包まれる。
達成感と、達成してしまったという寂寥感が混ざった静寂の中、気が抜けたような表情でおねむなへのじちゃんを抱いたりんとやい子は、ソファに座ってぼぅっとテレビを眺めていた。
二人にとって目標であったへのじちゃんを伝説の赤ん坊にするという大目標は、この登録者数100万人達成で凡そ果たされたと言っていいだろう。どこの世界に配信を始めて半年で世界中に100万人ものファンを生み出す赤ん坊が居るというのか。
へのじちゃんがここまで大きな存在になったのは自分たちのお陰だ、という気持ちは、勿論ある。なにせへのじちゃんは赤ん坊で自分ではほとんど何もできない。生活も、配信をすることも全てりんとやい子のような大人たちの力を借りて行っている。
だが、自分たちが行っているのはあくまでも環境を用意するだけだとも二人は感じている。すべてはへのじちゃんという強烈なキャラクターが存在するから起きた奇跡。この半年間の軌跡の原動力はへのじちゃんという存在ありきで、自分たちはへのじちゃんの添え物に過ぎないという事を二人は理解していた。
「
「お。お前も忘れてねーぞー。くろじぃ」
「いっつもかわいいねーお前はー」
呆けている二人に首をかしげるくろじに、りんとやい子が頭を撫でて話しかける。どちらかというと、へのじちゃんとくろじの添え物だった、が正しいかもしれない。この子犬のお陰で配信のバリエーションが増えた事は、今回の100万人達成に少なくない影響を与えている。特に『へのじちゃんねる』のメインコンテンツである毎朝毎夕の生配信ではへのじちゃんとくろじのペアだからこその味がある。
まぁ、それでもこのチャンネルはへのじちゃんありきのものである事は変わらない。それだけは、変わらない。
「次は、どうしよっか」
「んー」
それはそれとして、二人が感じている燃え尽き症候群のようなものもまた仕方のない所がある。りんもやい子も生活のため、金を稼ぐために配信をしている。それは否定しようのない事実だ。その上でへのじちゃんという稀代の才能を世に出し、伝説を作るという情熱でここまで走ってきた。
それが達成した後に、どうするかなんてはるか先の事のように思っていた。実際に半年でそれをつかみ取る事になるなんて、当初は考えても居なかった。いや、今も考えられていないかもしれない。なにせ、まるで現実感がないのだから。
「正直、もう生活には困んないんだよねぇ」
「来年の確定申告、準備しとかねーとなぁ」
「怖い単語言うなぁ」
登録者数100万人の配信者の平均月収は凡そ300~1000万ほどと言われている。そして『へのじちゃんねる』は毎朝毎夕の生配信で手堅く同接数も稼いでおり、そちらからの投げ銭も含めると実を言うと結構な金額の収入が既に発生している。爆発的に伸び始めたのは1,2か月前からだが、先月の収入はそこそこのサラリーマンの年収レベルのものだったりする。
新しい物好きのネット界隈だ。ここから一気に人気が落ちる、という事もあり得るが少なくとも現状は人気に陰りはないし、今月も先月以上の稼ぎは期待できる。あとは飽きられないようにトレンドを取り入れたり、へのじちゃんの成長に合わせたイベントを追っていく形で動画配信を続けていけばそこそこの再生回数は稼げるだろう。
そこまで考えて、ふとやい子は口を開く。
「……あ。なんかさ」
「うん」
「目標達成とかさ。燃え尽きたかなぁって色々考えたけど、やっぱへのじちゃんを撮りたいって気持ちだけは残ってるわ」
「うん。そやね」
隣り合って座っていた二人は視線を互いに向け、そして苦笑を浮かべる。
結局のところ、りんもやい子もへのじちゃんが何をするかが見たくて、ずっと動画を撮っているのだ。大きな目標を達成しても、次の目標が見えなくても、結局やりたい事に変わりはないわけである。なら、今までと変わらない。
「次はどういうのが撮れるかなぁ。やっぱ最初の言葉は、とかべたかねぇ」
「うちはマーマって呼んでほしいなぁ」
「
話題が自分の事になったからか。へのじちゃんはりんの腕の中で目を覚まし、大人たちが楽しそうに語り合っているのを眺めた。仲良きことは良い事だ、とうんうんと頷くへのじちゃんに、いつでも撮影が出来るように常に準備しているカメラを構えてやい子が撮影を始めた。
「よーし、へのじちゃん。最初の言葉はやー子で頼むぞぉ」
「あ、こら。うちを映さないでよ? まーまだよベイビーちゃん。まーま♪」
「
そういえば転生してからこちら、お口が上手く動かないためいつもばぶばぶと言い続けて居た。だが、もうすでに赤ちゃん生活も10月近くが経過しており、早い子供であれば簡単な言葉を言い始めてもおかしくはない頃合いだ。
「ば……あ」
「お?」
「あれ?」
毎日のように
「ま……や……」
「え、これもしかして」
「まーまだよ! ベイビーちゃんまーま!」
「あ、こらずりぃぞ! やーこだぞやーこ!」
口を開き、舌を動かし、喉を動かし。そして、やはり、という感情に支配される。言葉を出すことは、出来たのだ。ばぶばぶと不明瞭な言葉を口にするのではなく、意味のある言葉を言う事は恐らくもっと前から出来たのだ。
必死さが足りなかった。なんとなくばぶばぶ言ってても意味が通じる感じがあったから、それでいいかと思ってしまっていたのだろう。反省だ。猛省するべきだ。
二人の大人を見上げる。自らの母と、世話になっている母の友人。いつも自分に話しかけていた二人に、感謝の言葉を言いたかった。いつも大切に、大事に育ててくれてありがとうと声をかけたかった。それが、本当はもっと早くに出来ていたのに。へのじちゃんは心の底から悔やんでいた。
口の中をもごもごとさせ、最初に何を言うかを考える。なにか二人を喜ばせる言葉が良い。そういえば、二人は儂が珍しい事をすると喜んでくれていたな。そう思い立った
「て……」
「てん!? だめだよそれは! ばっちいからぺーして! やーこって言いなさい!」
「まーまだよベイビーちゃん! まーまが一番よね!」
若干必死さすらこみ上げてくる二人の口勢にひるむことなく、へのじちゃんは思い出した言葉を口に出した。
「てんじょうてんげゆいがどくそん」
りんの腕の中で、自身に向けられたカメラの前で、母親と母の友人の目の前で、へのじちゃんはお釈迦様が生まれた瞬間に口にした言葉を口にした。お釈迦様と違って生まれた時じゃなくて10月も経ってからこれを言ったのは
「………………」
「………………」
「
つい数秒前まであれほどぎゃーすかと騒いでいた母とその友人が、しんと静まり返ったのを見て
おーい、どうしたー、と言いたげに二人の目の前で手をふらふらと振ってみるも反応がなく、どうしたものかなぁ、とへのじちゃんが悩んでいると玄関先でドタバタと音が聞こえてくる。すわ強盗か、とへのじちゃんが警戒していると、リビングのドアを開けて
「やい子さん! やい子さん! 配信、生! 生配信やってますよ!」
「ふぇ?」
「はぇ?」
「あとさっきてんは駄目ってなんですかぁ!?」
いつにもなく慌てた様子で、真面目に、血相を変えたへぶんの声に
そんな大人たちの様子をりんに抱かれながら見上げて、
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@winter2022さんコメントありがとうございます!
今回の話で第一章は終了となります。第二章は別の連載を挟んでちょっと期間をあけようと思います。同じ話を書いてると別の話を書きたくなる病が発症してしまい……
多分次の話は戦争偏重に科学が発達したファンタジー世界で文化を勃興する話か一人だけ超人野球をやってる女の子が四苦八苦しながら普通の野球に適応して甲子園を目指す話を書いてると思うので見かけたらよろしくお願いします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。また第二章でお会いしましょう。
新作始めましたのでこちらもよろしくお願いします。
1人だけ魔球投げれますが意外としんどい
https://kakuyomu.jp/works/16818622175989474667/episodes/16818622175989517471
TS雷家事親父 ぱちぱち @patipati123
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