私が冬を嫌いな理由

洞貝 渉

私が冬を嫌いな理由

 適度な湿り気を帯びた穏やかな風が私の髪を撫ぜる。

 日の光が惜しみなく降り注ぎ、辺りを柔らかく照らし出していた。そこかしこの木々のきらめく葉や地面を彩る花々、ふわりとした動きを見せる蝶々やこんもりとした体の小鳥たち、めいめいが思うままの自然な姿を晒していた。

 それはまるで、絵本の中の楽園のようで目がくらんでしまった。

 それはまるで、優しくて最低な悪夢のようで足がすくんでしまった。


 ✿


 外に出てはいけないよ。

 管理人さんが真面目な顔をしていつものように釘を刺してくる。

 窓から見える外の世界は、大きな白い塊が暴力的に横へ絶え間なく流れ続け、強弱つけながらごうごうと吹雪の音が響いていた。

 わかってるよ、外には出ない。

 私が答えると、管理人さんは満足そうに微笑む。

 そう、それでいい。冬は恐ろしいのだから。


 管理人さんは度々、冬について教えてくれる。

 曰く、とても寒い。生きていられなくなるくらいにとてつもなく寒いのだと。

 曰く、視界がきかない。大雪で目の前が遮られ、すぐに方向が分からなくなるのだと。

 曰く、足元が悪い。雪に足を取られ氷に滑るので、一歩踏み出すだけでも体力を奪われるのだと。

 ここに居れば安全だから。

 管理人さんは言う。ここは安全、外は危険。冬は怖く、中は安心。

 なのに、当の管理人さんは一日一度、半日以上も外へ行く。それどころか、数日おきに一日以上帰ってこない日もある。

 早く冬を終わらせるためにどうしても必要なことらしい。

 でも、私は生まれてから一度も、冬以外の季節を経験したことがない。管理人さんの言うような、危険ではなく怖くも恐ろしくもない季節が本当にあるのかも疑わしくて、なにより一人の時間が寂しくて、外に行こうとする管理人さんに行かないでと頼む。もういいじゃない、ずっと冬のままでも。

 管理人さんは困ったように微笑むだけで、決して首を縦には振ってくれない。


 なにか不便はないか窮屈ではないか必要な物はないかと、管理人さんは外へ行く前に必ず尋ねてくる。

 中は外と違って寒くないし、暑くもないし、湿度も気温も光も音も、常に快適に過ごせるような環境に整えられていた。

 部屋を見回せば、大きな本棚と小さなキッチン、ふかふかな布団のベッドと数着の服がしまわれたタンスがあり、目隠しで区切られたスペースにはシャワールームとトイレがある。この中にあるのは、それで全て。

 その全てで日々の生活は事足りるのだから、なにも不便なことなどなかった。

 ここにはわたしと管理人さんの二人しかいないのだから、広さだって十二分ではないかと思う。

 過不足ない日々に、これ以上なにを望めばいいのか。

 毎回同じ不必要な質問をする管理人さんに、今度は私の方が困惑した微笑みを返す。

 

 管理人さんが外に出て行き取り残された私は、一人きりで本を読む。本以外に時間を潰せるものがないし、本以外での時間の潰し方もわからないが、特に不満も感じない。

 幸い、本は読み切れないほどたくさんあった。本は全て季節に関する絵本だ。

 春の朗らかさ、夏の爽やかさ、秋のうら寂しさ、冬の過酷さ。

 本を開くたび、そんな事柄が手を変え品を変え様々な色と言葉で表現されている。

『冬は恐ろしい。』『早く冬よ去れ。』『もうすぐ過酷な冬がやってきます。』『あーあ、冬なんて無ければいいのに!』

 他の季節は概ね歓迎され、美しく表現されているのに、冬だけはどの絵本をめくってみても嫌悪され恐れられ軽蔑され拒絶されていた。

 私は窓を覗く。

 管理人さんの姿はもちろん、白い塊以外の何も見えなかった。

 外に出てはいけないよ。

 管理人さんの言葉を思い出し、私は一人頷く。

 わかってるよ、外には出ない。


 だけど、私は外に出てしまった。

 その日は朝から調子がおかしくてイライラとしていた。

 でもなんとなくそのことを管理人さんに知られたくなくて、いつも通りにしていた。管理人さんは私の不調に気が付かず、いつも通り外に出てはいけないよと念押しし、いつも通りなにか不便はないか窮屈ではないか必要な物はないかと質問し、いつも通り外へ出て行った。

 一人になっても本を読む気にはならなくて、ベッドに横になった。頭がガンガンと痛み熱いのに対し、身体は寒気に震え吐き気のようなものがあった。耐えられたのはほんの数時間だけだった。

 私は不安でたまらなくなり、管理人さんに助けを求めようとした。

 ふらつく身体を無理矢理動かし、外に出たのだ。

 本来なら、外に繋がるドアには外から鍵がかけられていたらしい。いつも管理人さんがそうしていたのだと、私を逃がさないための鍵であり『冬』だったのだと、後からそんな話を北風から聞いた。

 

 外に冬はなかった。

 開いたドアからあふれたのは光とぬくもりだった。

 そのあまりの心地よさに、しばらく動けなかった。

 管理人さんの質問の意味が、このとき唐突にわかった。中は不便でも窮屈でもなければこれ以上必要な物もなかったが、外はあまりにも自由で晴れやかで軽やかだった。外を知らない私のことを、管理人さんはきっと、ずっと不憫に思っていたのかもしれない。

 私は体調が悪いのも忘れてフラフラと外へ踏み出した。


 適度な湿り気を帯びた穏やかな風が私の髪を撫ぜる。

 日の光が惜しみなく降り注ぎ、辺りを柔らかく照らし出していた。そこかしこの木々のきらめく葉や地面を彩る花々、ふわりとした動きを見せる蝶々やこんもりとした体の小鳥たち、めいめいが思うままの自然な姿を晒していた。

 それはまるで、絵本の中の楽園のようで目がくらんでしまった。

 それはまるで、優しくて最低な悪夢のようで足がすくんでしまった。


 管理人さんがいる。

 中では見たことがないくらいゆったりとした表情で、知らない人とお話をしている。私は管理人さん以外の人を見たことがなかったから驚いてしまったけれど、管理人さんはその人と親しげな様子だった。管理人さんからは、私と管理人さん以外の人はいないと聞いていたのに。


 風が急に冷え込み始めた。

 日が陰り、チラリと白いものが視界を横切る。雪が降り出したのだ。

 管理人さんがようやく私の存在に気付いた。

 目と口をこれでもかと言わんばかりに大きく開き、血の気が引いて真っ青になる。

 次の瞬間、管理人さんは私を捕らえるためこちらに走ってきた。

 でも、もう何もかも遅すぎた。

 管理人さんの手をすり抜けて、私は北風に舞い上げられて霧散した。


 私は冬だった。

 人間から忌み嫌われ続けた冬。

 あんまり嫌悪されるものだから、いつしか自分でも嫌いになってしまった冬。

 人間がどんな手を使ったのかはわからない。

 私を人の姿に押し込めて、冬以外の季節に羨望を抱かせ、冬を否定するよう仕向けられていたのだ。結果、私は無自覚に冬をあの窓に集約し留めてしまっていた。

 管理人さんは、私が冬であったことを思い出さないよう、冬を肯定してしまわないように、ずっと『管理』していたのだろう。


 絵本の中の、冬以外の季節は美しかった。

 でも、だからといって私が冬を嫌う理由など、なかった。

 それでも、冬はよくないものなのだとずっと教え込まれ、今の今までそう信じ込んでいた。実際、人間にとってはそうなのだろう。怖くて恐ろしくて危険で排除したいもの。

 

 だが、それが私が私を否定する理由にはならない。

 絵本の楽園のような景色は瞬く間に雪化粧に塗りつぶされ、吹雪が吹き荒れた。

 あえて私が嫌だと思うことを上げれば、冬のこの寒さや過酷さと共存してくれる生き物が少ないということだ。


 あっという間に木の葉は散り花は枯れ、小鳥は息絶え管理人さんも知らない人も、みんなみんな雪にうずもれてしまった。

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