第2話 見たのは『ゴジラ』か『ゴジラの逆襲』か?


第二の質問:

千葉「ところで、大森さんが見た最初のゴジラ映画は第一作でいいんですね?」

大森「そうやけど?」

千葉「でも、高橋聡さんや奥田均さん(大森さんの8ミリ時代の仲間)が出した

映画同人誌『シネマアイ』の「ゴジラ特集」ではこうなってますよ」(と同誌の該当頁を示す)


『ゴジラの逆襲』だったな(略)幼稚園に行ってる時、友達のお母さんが来て(略)誘われて見に行った。怖かった。最後まで見んと出てきてる。無国籍のとき、もう一度見て思い出した。その時、はじめて1作目のゴジラを見た」(大森談)

(「無国籍」とは、大森さんや奥田氏が学生時代に作っていた自主上映グループ。

1974年5月2日のオールナイトでは、『ゴジラ』~『三大怪獣・地球最大の決戦』

を上映)


大森「これは、この記事のほうが何かの間違いだ。(幼稚園のとき見た作品には)

ゴジラが山の稜線から顔を覗かせるシーンがあったもの」

千葉「……そうですか」


 私はヒヤリとしたものです。大森さんの最近のインタビューで「最初に見たゴジラ映画は第一作だった」と言明しているほうが記憶違いかと思っていたので。うかつに『シネマアイ』を引用しなくて良かった(ため息)


(ただ分からないのは、自主上映までやっていながら、自分はゴジラ・マニアで

はないと頑張る大森さんの態度で。ファンではあるが、「病膏肓に入ったマニア」

とは一緒にしないでくれ、ということなのだろうか。まあ、たしかに『ヒポクラ

テスたち』や『vsキングギドラ』を見ても、円谷英二より手塚治虫への傾倒大で

あることは明らかだが……)


 ところで、もう一人、大森一樹よりもビッグネームで、鑑賞したのが『ゴジラ』

か『ゴジラの逆襲』か分からぬ人間がいる。なんと三島由紀夫その人なのである。

 かつて田中友幸が朝日ソノラマのムック本に、「『ゴジラ』の第一作は映画批評

家からはゲテ物扱いされたが、ただひとり三島さんが『文明批判の力を持った映

画だ』と高く評価してくれた」とコメント、この言葉が定説化している。

 ところが、それに照応する三島側の文章が見つからない。ことによると立ち話の中の挨拶程度のものだったのを、田中友幸が膨らましてしまったか?


 三島由紀夫全集を読んでも、「中学校のときに『キングコング』を見た」「『ゴ

ジラの逆襲』を見に行った後に新劇関係の座談会に出席したら、ゴジラはどうだったと聞かれた」「ボディビルのエキスパートをゴジラとすれば、始めたばかりの自分はゴジラの卵だろう」くらいしか書いていない。

  『ゴジラ』第一作を見たかどうかも判然としない。それなのに、「『ゴジラ』第

一作は三島由紀夫の折紙つきの傑作」というフレーズがひとり歩きしていることには危惧を覚えざるをえないのですが……。

(引用は以上。「ただひとり三島さんが『文明批判の力を持った映画だ』と高く評価してくれた」とする田中友幸コメントは、前出『シネマアイ』にも同じ表現で載っています)


《コラム》

 1984年、復活『ゴジラ』の全国宣伝会議の席で、一冊の「ゴジラ」ファイルが館主や営業係に配布されています。営業係であった私も、もらいました。

 東宝の宣伝活動やプロモーションの全容、そして新聞や雑誌の関連記事のコピーも編集されていました。


 そこで明らかになったのは、80年代のゴジラ復活運動は、東の「ゴジラ復活委員会」(永島治代表)、西の「ゴジラ復活祭」(高橋聡代表)の両『勝手連』で展開していたことです。

 正直いって、1984年には「ゴジラ復活委員会」や「ゴジラ復活祭」の活動は下火になっていました。

 ただ、これより前、高橋聡記者が健筆をふるった記事が、夕刊紙「新大阪」を飾り、そのコピーが「ゴジラ」ファイルに載ったことを、私は憶えています。


 1982年の「ゴジラ復活委員会」の会報や、前記の『シネマアイ』の「ゴジラ特集」は、私を勇気づけてくれました。

 だから、大森さんが「これは、この記事のほうが何かの間違いだ」と言われても、めんくらうしかなかったのです。

 大森さんの「談」は、編集にあたった「映画まつり実行委員会」で再構成したものらしいと、ようやく分かりましたが。


*    *    *


(最近のウイキペディアから引用します。私も加筆しています)


(大森一樹は)もともと漫画少年であり、手塚治虫や真崎守の作品などに影響を受ける。六甲高等学校在学中の1968年には仲間たちと自主映画(8ミリ映画)を制作し、村上知彦と知合う。

 京都府立医科大学在学中は、ジャン=リュック・ゴダールに憧れながら村上・西村隆・小西均らと映画自主上映グループ「無国籍」を結成し、新開地の映画館で邦画のオールナイト上映企画を行った。

 一方、大森、村上らは、週刊ファイトの高橋聡記者を巻き込んで、ロマンポルノ親衛隊を結成している。

 また、大学在学中の1975年には高橋が撮影した16ミリ映画『暗くなるまで待てない!』が自主映画ながらキネマ旬報ベスト・テンで21位に入るなど、高く評価される。


 大森が監督を務めた『ゴジラvsビオランテ』および『ゴジラvsキングギドラ』にて平成ゴジラvsシリーズの方向性を決定づけたとされる。プロデューサー補の富山省吾から突然連絡があり、田中友幸からストーリー募集の最終候補を読ませられ、細胞の話が面白いと言ったことで、『vsビオランテ』の脚本を直々に打診され、監督も担当することとなったが、ゴジラの依頼がなぜ自分にあったのか、自身もよくわからないという。


(城戸賞の審査員を田中が務めていたことや、田中が大阪の「ゴジラ復活祭」にゲスト出演した際に、来場者から次のゴジラの監督として大森の名前が挙がったことなどもあり、大森は田中が1984年の『ゴジラ』からの転換を望み、新たな血を入れるために模索した結果であると語っている。なお、「ゴジラ復活祭」の中心メンバーは高橋聡、小西均である)


【小西均は、のち奥田均と改名。事情は不詳】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

田中友幸とゴジラの秘密 千葉和彦 @habuki_tozaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画