ミズノさんは遺体で発見されました。
古木しき
全記録
【記録 No.01】発見
4月29日 午前10時23分。
C県K市・桜ヶ丘ニュータウン12号棟、203号室にて、高齢男性と見られる遺体が浴室で発見された。
通報者は、地域の民生委員・岸野葉子氏(68)。
週に一度の安否確認訪問でインターホンの応答がなく、管理会社に連絡、鍵を用いて開錠・入室したという。
発見当時、遺体は浴槽内に仰向けの状態で沈み、湯は胸元あたりまで溜まっていた。
湯の温度は26度前後。追い焚き機能なし、風呂蓋なし。浴室内に蒸気は残っていなかった。
現場に残された衣類は脱衣かごに一式。バスタオルは濡れていた。
室内に目立った散乱や争った形跡はなく、玄関ドアは内側から施錠されていた。
死亡推定時刻は当日の午前4時から6時頃。
死因は現段階では溺死とされているが、司法解剖の結果を待つとのこと。
……以上が、最初の報告である。
この記録は、私が各種資料を収集・整理し、再構成したものである。
個人情報に関する記述の一部は伏せているが、その他については、可能な限り“ありのまま”を心がけたつもりだ。
なお、発見された人物の名は――水野 実。
現時点では、それ以上のことは、まだ誰も知らない。
【記録 No.02】
証言:岸野 葉子(68)/民生委員
――発見当日のことを教えていただけますか?
「はい。私は、毎週火曜日の午前中にあの家を訪ねていて……その日も、いつも通りのつもりだったんです。10時ちょっと前だったと思います。インターホンを押しても反応がなくて、最初は寝てるのかな、と思ったんですけど……何度鳴らしても出てこない。なんだか、嫌な予感がしたんです。」
――その時点で、騒音や異常な気配などは?
「いえ、特には。前の週までは普通に応答がありましたし、何か変わった様子があったわけでも……。でも、ずっと“ひとり”じゃなかったと思うんです。誰か……たまに若い女性の声が聞こえた気がする。娘さんか、ヘルパーさんか……。けど、私が訪ねる時には姿を見たことはなくて。」
――最後に水野さんと直接話したのは?
「三週間前です。そのときは、お元気そうでしたよ。少し、足が痛いとは仰ってましたけど……。『ひとりは慣れてるから大丈夫』って。あれが最後になるなんて、思いませんでした。」
――部屋の様子は?
「片付いていました。荷物も増えてないし、散らかってもいなかった。玄関にはいつものスリッパが二足……あ、でも、それ、もともとありましたっけ? ……すみません、曖昧ですね。」
【記録 No.03】
資料:C警察S署・生活安全課/現場報告メモ(抜粋)
発見日時:4月29日(火)10:23
発見者:岸野葉子(民生委員)、管理会社担当者同行
現場:K市桜ヶ丘ニュータウン12号棟203号室
遺体状態:浴槽内にて仰向け、水没、衣服未着用
湯量:胸部付近まで(40L〜50L程度)
湯温:26.4℃(入室時測定)
浴室状況:追い焚き機能なし。蓋なし。風呂椅子あり(倒れていた)。
傷痕・出血等の外傷なし。自室に争った形跡なし。
室内鍵:玄関施錠あり(内側ロック+チェーン)
【備考】
・脱衣所に濡れたタオルと着衣あり(畳まれていた)
・玄関には大小2足のスリッパあり(片方はやや新しい)
・ポストに新聞3日分/冷蔵庫に未開封食品複数
・台所のポットに湯あり/コンロ使用跡なし
【第一報判断】
明確な他殺痕は見当たらず。生活状況・証言より孤立死/事故死の可能性高し。
継続調査は行わず、司法解剖にて確定を待つ。
遺体搬送先:N医療センター法医学部
【記録 No.04】
証言:S急便 配達員・佐藤祐介(27)/宅配業者
――この住所には、どのくらいの頻度で配達に?
「そうですね、週に2~3回は来てたと思います。食料品やら、日用品やら……高齢の方って、重いものネットで頼まれるじゃないですか。だから定期的に届けてました。」
――水野さん本人と、会話をされたことは?
「いや、実は玄関先で顔を合わせたのは1回くらいしかないです。あとは……女性の方が対応してた気がしますね。黒っぽい服着た細い感じの人。たぶん娘さんとか? 声は低めでしたけど。……あれ? もしかして、違いました?」
――その女性は、最近も見かけましたか?
「最後に対応してくれたのは……5日くらい前かな。荷物受け取って、何も言わずにサインしてました。顔はあまり覚えてないです。マスクしてたし。なんか、しゃべらない人だなって印象はありましたけど。」
――他に気になった点は?
「特には……あ、でも。その日、ポストが開けっぱなしだったんですよね。新聞が挟まったままで。なんか急いでたのかなーって。でも声もかけづらくて……。」
【記録 No.05】
証言:203号室隣室住人・石倉正志(58)/会社員(在宅勤務)
――水野さんとは、普段どのようなお付き合いが?
「いや、ほとんど無いですね。挨拶するかしないか。年に一度、エレベーターで会うくらいのもんですよ。最近の人間関係って、そんなもんでしょ?」
――物音や話し声など、何か気づいたことは?
「音……そういえば、夜中に誰かが風呂使ってたような気はしますけどね。何日か前だったか……でも私も在宅で昼夜逆転してるんで。人の生活リズムなんて分かりませんよ。」
「あと、窓を開けた時に、たまに向こうの部屋から何か匂いが流れてきて……でも、変な匂いじゃなくて、香水か……お香か? 女性用の柔軟剤かも。昔の人は使わないでしょう、あんなの。」
――水野さん以外に、部屋に誰かがいた印象は?
「どうでしょうね。洗濯物がたまに2人分くらい干されてた気もするけど……気のせいかも。っていうか、別にどうでもよくないですか? 誰と暮らしてようと、他人の勝手でしょ。」
【記録 No.06】
資料:SNSアカウント「@mizu_no_j」投稿ログより
アカウント名:水野 実(@mizu_no_j)
フォロー:12|フォロワー:8|最終投稿:〇月〇日(火)15:44
投稿内容(抜粋)
「本日も、無事にお風呂をいただきました。
湯加減がとても良く、ひさしぶりに肩の力が抜けました。
こうして日々、無事に過ごせることが何より有難いです。
明日もまた、朝を迎えられればと思います。」
※本投稿は、公開アカウント「@mizu_no_j」にて〇月〇日15:44に投稿された。
文体・口調は過去の投稿と一貫性があるように見えるが、一部の文体解析により「句読点位置」「文末の助詞使用」にわずかな差異が確認された。
なお、同アカウントには当人の過去の投稿(全14件)と、返信コメント・DM等の履歴は確認されていない。
【記録 No.07】
資料:「@mizu_no_j」過去投稿の文体分析/記録者による備考
対象アカウント:水野 実(@mizu_no_j)
投稿総数:15件(うち現存14件)/期間:約2年半
【投稿例①】(2年前・2023年5月12日 10:08)
「今日はゴミ出しを忘れてしまいました。昼から整形外科へ行きます。
風が強く、外に出るのが億劫です。」
【投稿例②】(1年前・2024年1月3日 11:45)
「新年を迎えました。今年も無事に過ごせますように。
昔の友人たちが夢に出てきました。少し寂しいです。」
【投稿例③】(5か月前・2024年10月18日 16:02)
「お風呂の電源が壊れたようです。寒い日だったので残念。
明日、業者に電話します。」
【投稿例⑮(最新投稿/再掲)】(2025年〇月〇日 15:44)
「本日も、無事にお風呂をいただきました。
湯加減がとても良く、ひさしぶりに肩の力が抜けました。
こうして日々、無事に過ごせることが何より有難いです。
明日もまた、朝を迎えられればと思います。」
【文体上の差異】
旧投稿では「です/ます」調を用いるが、句読点が少なく文が短い
最新投稿は一文が長く、接続詞が多用され、やや観念的な表現が見られる
過去投稿では「お風呂」ではなく「風呂」と表記する傾向が強かった
また「いただきました」「有難いです」など、礼式的表現が本投稿でのみ現れる
【備考(記録者コメント)】
「上記のような違いは、あくまで体調や気分の変化によるものかもしれません。
ただ、死亡直前の投稿であるということからも、やや形式ばった口調が印象的ではあります。」
【記録 No.08】
資料:SNSアカウント「@mizu_no_j」アクセス履歴ログ(提供元:運営会社)
・最終ログイン:〇月〇日(火) 17:18
・投稿時刻:〇月〇日(火) 15:44
・使用端末:iPhone SE(第2世代)
・接続回線:宅内Wi-Fi(MACアドレス:XXXXX)
【補足】
死亡推定時刻:〇月〇日 16:00〜18:00の間
上記ログインは投稿後に再び行われており、閲覧・削除・編集履歴はない
端末は翌日、浴室外の脱衣カゴにて発見された(次項参照)
【記録者コメント】
「投稿後、17時台に再ログインがあった点は気になりますが、
自動同期や通知によるアクセスもあり得るとのことです。
とはいえ、死後にログインがあったように見えるのは奇妙です。」
【記録 No.09】
資料:投稿削除履歴(未公開投稿の一部再構成)
削除時刻:〇月〇日(火)17:24
内容:直近で投稿されたものとほぼ同様だが、一部文言が異なる
【削除投稿の下書きログ(復元)】
「今日は湯の温度がちょうどよくて、心が休まりました。
本当はもう少し、生きてみたい。でも、そろそろ限界かもしれません。
ありがとう。さようなら。」
【備考】
この投稿は投稿前に削除されたが、クラウド同期によりバックアップされていた
フォーマットや助詞の選び方が、前掲投稿(No.06)と異なる(文体が“独白的”)
バックアップファイルの保存者名義が、記録者のクラウドIDと一致
【記録者コメント】
「この下書きが本人によるものかどうかは不明です。
死の直前に書かれた“遺書”と見る向きもありますが、証拠はありません。」
【記録 No.10】
資料:スマートフォン端末の発見状況/司法報告抜粋
端末発見場所:浴室外の脱衣カゴ内、タオル下に埋もれていた
電源:ON/バッテリー残量37%
画面ロック解除済/パスコード未設定
最終操作履歴:写真閲覧(時刻:〇月〇日 17:17)
【司法所見】
操作履歴の時刻が、死亡推定時刻の後に当たる
使用者の指紋は検出不能(浴室の湿度・洗浄による)
写真フォルダに異常はなく、ただし最後に開かれていた画像は“無人の風呂場”
【記録者コメント】
「脱衣所に放置されていたこと、最終操作が風呂場の写真だったことは、
死を前にして記録を残そうとした意志の表れとも考えられます。
ただし、操作の時刻と死亡推定時刻との微妙なずれは、今も説明がつきません。」
【記録 No.11】
証言:郵便配達員・山岸勝男(46)/郵便局勤務
「毎週、決まった曜日に回ってますけど、印象に残ることは正直あまり無いですね……。
ポストに新聞が挟まったままの日が3日くらい続いてたんで、“あれ?”とは思いました。
でも、たまに旅行とかもあるじゃないですか。
隣のポストはよく広告が溢れてますし、あんまり気にしなかったですね。」
「人の出入り? んー……年末くらいに、若い人がゴミ出ししてるのを見た記憶はありますけど。
黒い帽子か何か被ってて、顔までは覚えてません。
“水野さんのお孫さんかも”って、その時は思いましたけど……あれは、いつだったかな……」
【記録 No.12】
証言:上階住人・西嶋梢(39)/主婦
「最近はずっと在宅で……家から出ることほとんどなかったんですけど、
夜中に何度か、水が流れる音とか足音みたいなものを聞いた気がします。
うち、床が響きやすくて。
でも、まさかお隣が亡くなっていたなんて、気づきませんでした……」
「誰かがいたような気は、するんですよ。
洗濯物が増えたり、物音がしたり。
でも気配って、後から思えば……って話じゃないですか。
そのときは、気づいてないんですよね。気にしてないから。」
【記録 No.13】
※この記録は欠番として処理されています。
ファイル名:No13_deleted.log
注釈:システム上に削除ログが残っており、実在していた形跡あり。復元中。
※該当ファイルは、記録者の個人クラウドから一度アップロードされた後、即座に削除されています。
保存時刻:〇月〇日(火)17:32
削除時刻:同日 17:33
ファイル名には「告白」「要削除」などの文字列が含まれていた可能性があり、復元を試みています。
【記録 No.14】
資料:No.13削除ログの復元断片(破損ファイルからの抜粋)
※以下は、部分的に復元されたテキストログである。
欠損箇所・破損箇所を“/”で示す。
> 「……誰も見ていなかった。
……あの人が何を考えていたかなんて、誰にも/
……だけど、私は知っていた。
……朝ごはんは決まっておにぎりと/、お風呂はいつも3時すぎ/
……誰よりも、毎日、あの人を/
……お湯の温度が……大事だった。
……それくらい、してあげたかっただけ。
……静かに、綺麗に、眠ってもらうだけだった。」
【記録 No.15】
資料:記録者による後記
この記録は、私なりにできる限り、事実を正しく残そうと思ってまとめたものである。
水野実という人間が、どのように生き、どのように最期を迎えたかを、
証言と資料をもとに“静かに”描き出したつもりだ。
私は、あの人の声を知っている。
あの人の足音を、息遣いを、湯船に沈む背中を、知っている。
でもそれを、誰かに説明することはできない。
誰も見ていなかった。誰も聞いていなかった。
なのに今になって、皆が騒ぎ出す。
まるで、自分たちは最初から関わっていたかのように。
本当に見ていたのは、私一人だけだったのに。
水野喜美
ミズノさんは遺体で発見されました。 古木しき @furukishiki
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