第16話
「……はぁ、腹減ったな」
ベッドに寝転がり、健太は天井をぼんやりと見つめながら、空っぽの胃の存在を改めて実感した。
朝からまともに何も食べていない。いや、昨日も昼を抜いた気がする。
部屋には米もパンもなく、冷蔵庫はきれいさっぱり空っぽ。ちなみに綺麗ではない。端っこの方に半分になったリンゴが一つだけ。
「マジで……なんもねぇ」
異世界では確かに成果があった。白い鹿との死闘は命懸けだったが、結果としてレベルはぐっと上がった。
スキルの成長も実感できるし、耐久力も上がっているのがわかる。
着実に“強く”はなっている。けど――
「食いもんは手に入らなかった、か……」
森で見つけたのは毒キノコと麻痺性の雑草ばかり。
見た目はよくても、鑑定を通すと軒並み『摂取不可』『中毒注意』『即死の恐れあり』のオンパレードだった。
ミナリはたしかに倒しやすいし、素材にもなる。だが魚のくせに食べる部分が一切ないという謎仕様。
白い鹿に至っては、食う以前の問題だった。触れられたら即死しててもおかしくないあの破壊力。
あんなのを狩ろうなんて、正気の沙汰じゃない。
だから健太の中で結論は出ていた。バイトをするしかない。
「一旦リンゴ食ってから考えよ」
健太には先延ばし癖があった。
***
冷蔵庫を開けると、半分に切ったままラップで包まれたリンゴが目に入った。数日前に残しておいたやつだ。表面は少し乾燥しているものの、目立つ傷みはない。
「……まあ、いけるだろ」
健太はラップを外し、リンゴを手に取る。
だが、掴んだ瞬間、ほんのわずかに“違和感”があった。
(……なんか、柔らかい?)
色は悪くない。匂いも平気。
ただ、表面を軽く押したとき、指が予想以上に沈んだ気がした。
ムニムニ……ムニムニ
その直後──
──ぐしゃ。
鈍い音がして、リンゴが潰れた。
手の中で果肉が崩れて粉々になり、果汁が指の間から流れ出す。
「……」
絶句。驚きすぎて何も言葉が出てこなかった。だがそのおかげで逆に冷静でいられた。
「……腐ってたか、これ……」
素手でリンゴを潰すなんてどっかのテレビのパフォーマンスみたいだ、なんて。
健太は苦笑しながら、リンゴをそっとシンクへ運んだ。
手に残るぬるりとした感触がなんとも言えず不快で、水で念入りに洗い流す。
「見た目じゃわかんねーもんだな……てか、変な汁出てたし、あれ絶対腐ってたわ」
食べなくてよかった。
***
「まあ……しょうがないか」
ぽつりと呟いて、健太はスマホに手を伸ばした。
スリープを解除して、ホーム画面を数回スワイプ。
“バイト探し”のアプリをタップする。
いつか使うだろうと思っていたが、まさかこんなに早くお世話になるとは。
「コンビニ……清掃……仕分け……」
並ぶ求人に目を通す。深夜のコンビニ、早朝の倉庫作業、駅構内のトイレ清掃。
どれもこれも地味で、そして大変そうなものばかりだった。
だけど、それでも現実的だった。確実に時給が発生して、働けば飯が食える。それがバイトの強みだ。
悔しいとか、情けないとか、そういう感情はなかった。
異世界が思ったよりもシビアだっただけのこと。
「くそ、やるしか……ないのか……」
だが健太はシンプルに人と関わりたくなかった。ついでに働きたくもなかった。それでも生きていくために働くしかない。
***
求人をざっと眺めた健太の指が、ある一つのバイトに止まった。
「日払いは……引越しだけか」
他の募集はどれも「週払い」や「月末締め」ばかりで、即日で金が入るのはこれだけだった。
それだけ切羽詰まった人間が少ないんだろう。この仕事は最後の砦とも言うべきか。
「……人と関わるし、力仕事だし、嫌なんだけどな……」
知らない誰かと、狭い空間で汗まみれになって、無言のまま重い荷物を運ぶ。
イメージするだけでうんざりする。
そもそも健太は他人と呼吸を合わせるのが苦手だった。体育のグループワークも、バイトのチーム作業も、できるなら全部パスしたかった。
「まあ……踏み出せば一瞬か」
画面を見ながら、小さく息を吐く。
思えば、異世界に行ったときもそうだった。
扉を見つけて、手を伸ばして、踏み出して――それで、すべてが始まった。まああの時は踏み出すまでも一瞬だった気がしたけど。
「……今回も、それだけの話だ」
バイトの応募ボタンを、健太は迷いなく押した。
不安もある。だるさもある。やりたくない気持ちは山ほどある。
けど、立ち止まっていても飯は出てこない。現実は、異世界よりも残酷で正直だ。
応募完了の確認メールを眺めながら、健太はひとつ伸びをした。
空腹は相変わらずだったが、やることが決まったせいか、ほんの少しだけ気持ちは軽くなっていた。
「明日か……やっぱ働きたくねえ」
少し笑みを浮かべてそう呟きながら、健太は布団に潜り込んだ。
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ぼっち大学生、異世界を見つける。 @Weakend
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