パワハラ上司が落ちる地獄
笹谷ゆきじ
パワハラに地獄があるのだとしたら
仮称・クロダという男が、42歳で突然この世を去った。
死因は心筋梗塞。
残業中に倒れたらしく、仕事と育児しか趣味がない──と豪語する程の、熱血で子煩悩な男だった。
「………?」
クロダは目を覚ました。
薄暗く、重苦しい空気。目の前には無機質な長机と、無表情なスーツ姿の男女──。
───そこは、見知らぬ面接室だった。
クロダと面接官と思しき彼らの間には、Web会議用のモニタ-が設置してある。
ドアを開けて新たに、電子タブレットを持った若い男が現れた。
クロダはその男に見覚えがあるような気がしたが、なかなか思い出せなかった。
『──すみません、遅れました。』
『──いや、ちょうど時間どおりだよ。では、始めよう。』
面接官の一人が、穏やかな表情と低い声で答えた。
クロダは思わず口を開いた。
「いや、待って下さい。ここ、どこですか。会議か何かですか?オレは、仕事してたはず……」
『──あぁ、説明不足ですみません。落ち着いて聞いて下さい。クロダさん、あなたは死んだんです。ここは、あの世の“面接室”──まぁ、裁判所みたいなものですかね。早速ですが、生前の行いについて、いくつか説明と質問をさせて頂きます。」
タブレットを持った若い男は、ハキハキと説明した。
「は?オレ、死んだの?てか、裁判って何?嫁と娘は?」
慌てるクロダに、若い男は宥めるように答えた。
『大丈夫ですよ、クロダさん。まず配偶者様ですが──死後離婚なさいました。』
「しご、りこん?オレ離婚されたの!?」
『もともと、お姑さんとの関係に悩んでいたようですし、非常に優秀な方ですからね。今は大手外資系G社のエース社員としてバリバリ働いてるみたいです。子育てもベビーシッターさんの力を借りながら、うまくやってるみたいですよ。』
「んだよ、それ…意味分かんねぇ…アイツ、オレより稼ぎがないくせに……」
『──はい、ではざっくりとではありますが、罪状を調べさせて頂きました。』
若い男はそう言うと、手元のタブレットを操作する。
面接室のモニターにスイッチが入り、画面にはスライドが表示された。
─
※以下、AI浄玻璃の鏡による分析※
【クロダ氏の罪状】
◆パワーハラスメント
・社員を無理矢理接待に連れ出し、会費を奢らせる
・見せしめのような叱責
・人格を否定するような暴言
・聞こえるように悪口を言う
◆セクシャルハラスメント
・女性社員の身体にこっそり触れる
・デスクの私物を触る
・酒席で下着の色、無駄毛の処理方法、パートナーとの夜の営みについてしつこく訊く
◆職権乱用と窃盗
・強引な人員の配置転換
・経費の横領
◆家族に対する無理解
・妻を家事と育児に専念させるため、退職させる
・妻の悩み事を聞き流し、寄り添わない
・家事、育児を全く手伝わない
─
『──以上が、彼の罪状になります。』
「ハァ!?オレこんな事やってねぇし!」
クロダは叫んだが、若い男が宥めるように諭す。
『落ち着いてください。まだ、続きがありますから──次に、地獄の行き先候補を述べます。』
─
※以下、AI人頭杖による提案※
【第一候補:等活地獄(とうかつじごく)】
→ 他者を傷つけた罪。暴力や強制、パワハラ全般がこれに該当。
魂は殺されては蘇りを繰り返し、無間地獄に近い苦しみを味わう。
【第二候補:黒縄地獄(こくじょうじごく)】
→ 権力を使って他人を苦しめた者が落ちる。
体を黒い縄で切り裂かれるような罰を受ける。
【第三候補:衆合地獄(しゅうごうじごく)】
→ 性的な逸脱、欲望による支配の罪。セクハラはこれが該当する。
肉体を餌にされ、他の鬼や亡者に弄ばれる。
─
『──さてクロダさん、どの地獄をご希望されますか?』
「ざっっけんなよ!地獄なんか行かねぇし!てか、オレそんな事してねぇって!んな事より生き返らせろよ!オレがいねぇと仕事が回んねぇのによぉ~~っ。テメェらどう責任取るつもりだよ!」
クロダは不満そうにガタガタと貧乏揺すりを始めた。
『ハァ…パワハラ系の罪を犯した方は皆さん、そう仰るんですよねぇ。』
面接官の一人がため息をついた。
『うちも最近多いんですよ、こういう亡者。また獄卒の人員を増やさにゃなりませんな。』
『優秀な亡者を積極的に雇うのもアリですよ。閻魔大王に進言しましょう。』
「オイ何ごちゃごちゃ言ってんだよぉ!オレのやった事なんて罪じゃねぇだろ!」
若い男は冷ややかな口調で答えた。
『まだお分かりになりませんか、クロダさん。地獄ほどコンプライアンスに厳しい所なんて、他にないんですよ?』
「…あ?」
面接官たちは、またもやため息をついた。
『駄目だ、この男。地獄がどんな所かもろくに理解しとらん。』
『無教養で無信心なんでしょう。仕事と自分の事しか頭になかったんですから。』
『最近の亡者は皆こうだ。私らですら手を焼く。』
『──何にせよ、罪が多すぎる。三候補全ての地獄を巡らせて、いつ転生出来るかも分からんくらいだ──ではオノくん、あとは君に任せるよ。』
面接官は静かに去った。
部屋には、オノと呼ばれた若い男と、クロダのみが残された。
「オイてめぇ何とかしろよっ!なんでこんな若造がオレの相手なんだよぉ!」
クロダはオノに掴み掛かったが、オノはびくともしなかった。
『まだ──お分かりになりませんか、クロダ支店長。』
オノは微笑むと、クロダを着席させた。
何故か、その力に逆らえず、クロダは座った。
クロダの背に、冷たい汗がたらたらと伝う。
今度こそ、思い出した。
この男は──オノは、かつての部下だ。
「無能でノロマ」だったはずの。
「お、オノ、おま、なんで」
『やっと思い出して下さいましたね。良かったぁ。そう。僕、オノです。あなたに左遷されたあと、交通事故で死にました。でも、地獄で雇われたんです。皆さん仰いました、“君の実務経験と事務処理能力を活かしてくれ”と──地獄の亡者も罪状も多様ですし、時代に合わせて色々とアップデートしないとなりませんからねぇ。閻魔庁のDX化推進プロジェクトも、僕がリーダーです。こう見えて、重宝されてますよ。』
「オノ…てめぇなんなんだその口の利き方はよぉ!オレに何する気だよぉ!」
喚くクロダに、オノはなおも微笑んだ。
いつの間にか長机が消え、小さなテーブルとチェスの盤面と駒が現れた。
『──とりあえず、チェスでもしませんか。明日で、四十九日ですし。』
「あぁ?何ぬかしてんだテメェ!?」
『それで僕に勝ったら、地獄行きを免除して差し上げます。』
「ハァ!?やった事ねぇよそんなもん!卑怯だろ!同じ土俵で戦えや!」
『同じ土俵、かぁ…権力を傘にして散々やりたい放題だったあなたがそんな事を仰るとは──でもまぁ、一理ありますね。』
クロダの前に、チェスのルールブックが差し出された。
ページには、いくつか付箋が貼ってある。
『はい、これ見たら分かりますよ。特に付箋が貼ってある所を読めば、勝てるはずです。』
クロダはそれを引ったくると、破ろうとした。
しかし──身体が思うように動かない。
慌ててページを捲る。
手が震えて汗ばみ、ページに書いてある内容がまるで理解できない。
とにかく、汗と震えが止まらない。
歯がガチガチ鳴る。
部屋が、いやに蒸し暑い。
焦げ臭い。血の臭いもする。
外から、生々しい呻き声と叫び声が絶えず聞こえる。
◆
クロダとオノは、対局した。
オノ曰く、『彼なりに善戦していた』との事だった。
結果は言うまでもなく、オノの圧勝だった。
パワハラ上司が落ちる地獄 笹谷ゆきじ @lily294
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