幸せな選択

異端者

『幸せな選択』本文

「ここはお前の居る場所ではない。帰れ」

 ホームレスだろうか。道端でみすぼらしい風体の男がそう言った。

「僕がどこに居ようが、勝手じゃないか」

 僕はそう断言すると、その場を後にした。

 待ち合わせ場所の公園に着くと、理恵は既に待っていた。

「待った?」

 僕は少し心配してそう言った。

「うんうん、全然」

 彼女は笑顔でそう答えた。

「じゃあ、行こうか?」

「うん」

 僕が彼女の手を取ると、彼女はそっと握った。

 その手には温もりがあった。かつて、望んでも手に入れられなかった温もりが。

 僕は彼女と映画館に入った。静かに席に座る。他には客は居ない――貸し切りだ。

 見るのは、以前なら見ようと思わなかった恋愛映画だ。もし僕が前のままなら、そんな都合の良い展開は無いと鼻で笑っただろう。

 しかし、今は違う。僕の横には、理想の彼女、理恵が居る。学校で僕をスクールカースト最底辺のチー牛と馬鹿にしていた女生徒はもう居ない。理恵はあんなゴミみたいな女とはまるで違う。

 思えば、理不尽な人生だった。常に誰かから見下され、まともに話したことのない者からも蔑んだ視線を送られた。気に入らないと、理由と付けて体と心に暴力を受けた。

 僕の手に彼女の手がそっと重なった。

 映画の中では、美男美女の俳優――といってもAIによる生成だが――キスをしているところだった。

 彼女が息を飲むのが、聞こえた気がした。

 その後、軽いベッドシーンの描写に思わず顔を背ける彼女を心底可愛いと思った。

 そうだ。彼女は可愛い。愛らしい。それがたとえ現実でなくとも。

 映画を見終えると、彼女は少しだけ恥ずかしげだった。そんな些細なことにすら動揺してしまうことが奥ゆかしさを感じさせる。他の女とえらい違いだ。

「少し休もうか?」

 僕はこのままホテルに行きたいという衝動を抑えて、彼女をカフェに連れて行こうとした。

「ここはお前の居る場所ではない。帰れ」

 ふいに、聞き覚えのある声がした。

 いつの間に居たのだろうか、あのホームレスだ。

「僕がどこに居ようと関係ない!」

 彼女との時間を邪魔された苛立ちから、僕は語気を強めていった。

「こうしている間に、自分がどうなっているか知っているか?」

「そんなの、どうだっていい!」

 そうだ。これが僕の幸せだ。誰にも邪魔させない。

「ねえ、早く行こう!」

 理恵が僕の袖を引っ張って、それで我に返った。

 そうだ。こんなNPCを相手にする必要はない。僕は既にほしいものを手に入れたのだから。理恵が……彼女が居れば、それだけでいい。

「そうだね。行こう」

 僕は彼女の手を取ると歩き出した。

 クソッタレな現実なんて要らない。自分を傷付けた現実なんて要らない。

 ずっとこの幸せな世界で過ごしたい。生身の人間なんて要らない。


36歳の引きこもりの男性、VRMMOをし続けて衰弱死


「このまま、これを利用して生産性のない者はどんどん処分しなくては……」

「そうですね。残しておいても社会のお荷物になるだけですからね」

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