鏡の声と赤き着物の霊

夕暮れ時。


九条清蓮は探偵事務所の窓辺に立ち、静かに街並みを見下ろしていた。オレンジ色の光が部屋を優しく染め、彼の銀髪が神秘的に輝く。その瞳は遠くを見つめながら、何か深く思いを巡らせているようだった。


「さて、透真。」


九条は静かに振り返る。ヘッドフォンをつけたまま立つ白蓮透真に声をかけた。


「依頼人の家に向かうぞ。準備はいいか?」


透真は少し気乗りしない様子でうなずく。目にわずかな疑念を浮かべ、肩をすくめながらつぶやいた。


「本当に……鏡から声なんて聞こえるのか?」


「それを確かめるのが、俺たちの仕事だ。」


九条はそう言って、蓮の花を模した香皿を手に取る。白地に金と紫の模様が描かれたその香皿は、光を受けるたびに静かに輝き、ただの道具とは思えぬ存在感を放っていた。


透真は、無言で九条の動きを見つめていた。その一つ一つに無駄がなく、確かな自信と落ち着きが漂っている。


事務所の入口には、依頼人の園田ひとみが立っていた。彼女は黒髪の少年――透真に視線を向け、その鋭い眼差しと整った顔立ちに思わず息をのむ。


(……な、なんでこんなイケメンが……)


視線はさらに奥の九条へと移る。その192センチの長身、銀髪、高貴な雰囲気に圧倒されたひとみは、顔を赤らめ慌てて目をそらす。


「えっと……よろしくお願いします……」


小さな声でそう言うと、九条は穏やかな笑みを浮かべて返す。


「心配することはない。すべて任せてくれ。」


その優しい声に、ひとみの表情は少しだけ緩んだ。


透真は九条の背を追うように歩き出し、三人は事務所を後にした。


ひとみの家は徒歩で10分ほど。夜の街は静かで、透真はヘッドフォンをつけたまま、手荷物に目を落とす。中には香皿や祝詞の道具が入っているらしいが、透真にはその用途がいまいちピンとこなかった。


「その……鏡の声って、夜中だけなんです。でも、今の時間でも……?」


不安そうに問うひとみに、九条は振り返ることなく答える。


「時間は関係ない。重要なのは、鏡が“伝えたい”と思っているかどうか。それだけだ。」


その言葉に、ひとみは感心したようにうなずく。そして、透真に目を向けた。


「透真さんって、ずっとヘッドフォンしてるんですね。何か理由が?」


一瞬の間の後、九条が少し冗談めかして言った。


「ああ、イケメンだからな。それが証らしい。」


「そ、そうなんですか……?」


ひとみの戸惑う反応に、九条は口元をゆるめて笑う。彼の明るさには、どこか安心させる不思議な力があった。


透真はそんなやり取りに気を留めず、静かに考え込んでいた。


(……鏡の声か。もしそれが本当なら、どんな世界がそこにあるんだ?)


やがて、ひとみの家に到着する。


寝室の奥、そこには古びた木枠に飾り彫が施された鏡があった。鈍く光るその鏡面には、どこか異様な気配が漂っている。


九条は香皿を設置し、蓮模様の蝋燭立てに火を灯す。白檀の香りが部屋を満たし、空気が張り詰めていく。


透真は鏡をじっと見つめていた。


――そのとき。


「……た、すけて……」


頭の中に、誰かの声が直接響く。それはこれまで聞いてきた魂の声とは違い、もっと深く、もっと切実だった。


「聞こえたか?」


九条の低い声。


透真は黙ってうなずき、鏡に引き寄せられるように歩き出す。


(……誰かが、呼んでる)


無意識のうちに、透真の手が鏡に触れた。


瞬間、鏡面が黒く波打ち、空間の空気が一変する。不穏な気配が部屋を包み、透真の体が大きく揺れた。


「おい、透真!」


九条がすぐさま駆け寄り、彼の身体を支える。意識が遠のきかけていた透真は、微かに目を開ける。


「……すみません、俺……」


「言い訳はいい。今は休め。」


九条は透真をソファに横たえ、再び鏡へ向き直った。


呪符を部屋の四隅に貼り、扇子で煙を操る。白檀の香りが舞い上がり、空間が静かに神聖さを帯びていく。


「禍を祓い、穢れを清め、蓮の光にて浄化せん。」


九条の声が部屋に響く。


鏡の中、赤い着物の女性の姿が浮かぶ。苦しみに歪んだ顔、流れる涙――それは、ただ悲しいだけではない、誰かに伝えたい“想い”だった。


「もういい。今から、そこから出してやる。」


九条は人がたを取り出し、祝詞を唱える。蓮の光が鏡を包み、魂がゆっくりと人がたへと吸い込まれていく。


すべてが終わった頃、透真がゆっくりと目を開けた。


「……俺、何を見たんだ……?」


「その鏡に囚われていた御霊。この娘の先祖のひとりだ。無念を抱き、成仏できなかった。」


九条の言葉に、透真は鏡の中の女性の姿を思い出す。


「あれが……俺に伝えたかったこと……」


「お前の能力は未完成だ。けど、いつか向こう側の想いを“正確に受け取れる”ようになる。お前は、橋になれる。」


「橋……」


その言葉を噛みしめるように、透真は小さくうなずいた。


帰り道。夜風が冷たく、九条はふとつぶやく。


「鏡に囚われる魂も、外の風を感じられる日があればいいんだがな。」


その背中を、透真は静かに追いかけていた。

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白き蓮の探偵記録 ― 記憶を失った少年と神隠しの巫女 蒼獅 @neonninja

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