第2話

 ユウコは化粧をしてアパートをでた。“あの人”にあうまえに、友人のもとへいかなければ。

(私にはもう一つの顔がある)

「あの子だよ、どうやってあんなに儲けているか知らないが、豪奢な生活をしている、投資だのの話は聞くがね、元手はどこで得たのか」

「まったくだ、私も汗水流さず、時間を縛られない生活ができるなら、どんなにか楽しいことか、どこでそういった資格を得ればいい」

(私にはもう一つの顔がある、誰にも知られていないが、近頃この国でも一般的になりつつある整形によって、過去の自分と距離を置いた、人が美しくなる事への嫉妬と怒りはあれど、醜くなる事への怒りと嫉妬はないだろう、上京して10年、6年前から私の人生は上向きをはじめた、女優養成所にて訓練をつみ、昼はアルバイト、演劇の勉強をして、どんな小さな劇場の仕事でも、根回しや小間使いのようなことさえした)

「はあん、それでもわからないね、あんなにおどおどした子がさ、どこでどうしてあんなにうまくやれるのか」

「それは、わかんないよ、時代の移り変わりは、ほら、あんた、近頃の俳優の顔と名前なんて、一致しないじゃないか」

「それもそうか、がははは!」

 アパートの前でたむろする住人、まるで歓楽街のうるさいパチンコ屋のような騒がしい人々のわきを通ると

見向きもせず、あの場所へ向かう。私のかわいい友人のもとへ。

「ごめんね、遅れちゃった」

 花束を友人の御前へ、沈黙し、こわばったままの友人、あるいはそれは私よりも沈黙と無言を糧とするもの、道端のそこへ座して、人に見られることさえも見られない事さえも気にしない無用の長物。もしかすると、それが綺麗な彫刻がなされていなければ人はそれが墓だと気づかなかったかもしれない。


 いいえ、そんなわけはない。これは群れている。沈黙と死が群れている。


 私たち二人は、北の同郷の出だ。田舎から出てきて、できるだけ田舎臭い場所をこのんだ。私だけは綺麗に化粧をすることを覚えた。彼女はいくらいっても素朴な化粧ばかりをした。でもそれでも彼女の方が美しかったけれど、彼女は昔いじめられていて、その頃の後遺症か精神がよわかった。だから、夢に懸ける精神は彼女のほうがつよかったかもしれない。


 けれど私は彼女の魂胆を応援しつつも、そうでない現実ばかりをみていた。何もかもを恐れていたから、株とトレードの勉強をして、堅実といわれる業務独占資格をいくつもとった。彼女が亡くなる直前には、社会勉強としてある会社の正社員にもなった。そして、私はその裏で女優業にも邁進していた。彼女が亡くなる1年前から私の運は上向きはじめた。彼女が亡くなる寸前には、空いた時間を活用して、そうして就職して……。

あれ?時間軸が、まあいいか。


 それはともかく、私は記憶を忘れたかった。彼女が亡くなってから、女優業で儲けたお金が底をつき手しまった。夢をかなえようと叶えまいと、誰もが日常に接するのだ。日常が不幸であれば、画面の向こうから見た映像は単なる虚構であり、もしこうした仕事がお金にならないとすれば、最も卑しい仕事ともいえる。しかし、そもそもそんなものだ。だって卑しいか卑しくないかなどというのは世間の評価でコロコロと変わる。


 夢破れて苦しんだ彼女の記憶を忘れるために、怪しい霊媒師に頼んだ。といっても調査は進んでいる。これも全体からみればはした金である。人前で自分の資金を語る事はないが、心の中でははした金と思う。これもまた世渡りに必要な演技である。電車を乗り継ぎある場所へと向かった。


「こんにちは」

「いらっしゃい」

 片田舎の民宿をかりて、その霊媒師と会う事になった。日付は幾度となくかわり、そして、どういうわけか、体を洗いながら、記憶を洗浄するという。

「“神聖な動物の油”を使った石鹸よ、これで洗いながら、洗浄を行うわ」

 ルーラというその霊媒師は、どこか息が上がっていた。興奮しているのだろうか、長身童顔で、和服を着た真っ赤な口紅を塗った女だったが、まるで友人にも似た色っぽさがあった。


 彼女の息が興奮しながら私の体をまさぐる。そういう趣味なのか。別に減るものではない。だが私の重要な記憶に触れようとするとき、それはまた別の意味をもった。友人は私の耳を噛むことが好きだった。このルーラもまた、執拗にそのあたり、首筋に近い場所をさぐった、そしてにおいをかいで、なめたりもする。本当にこれは、霊媒師なのだろうか。別にかまわない。ほかにもいい霊媒師の候補はいるのだし、しかし、もしこの先まですめば、話は別だ。

「はっ……」

 耳を甘くかまれ、私は体を引き離そうとする。

「やめて!思い出したくない!」

「どうして思い出したくないの?あなたの大事な記憶」

「いやだ!私のせいじゃない、私のせいじゃ!」

「それは当たり前、あなたのせいで彼女が死んだわけじゃないわ、あなたは嫉妬してつらくあたったけれど、彼女は遺産をのこしたじゃない、それはいいの、きっとそれも忘れる」

「彼女は、私の男を奪った、あんな派手な格好をして、女優として何もかも手に入れたのに!私の幸せを奪うなんて!」

「白目をむいている……どうやらそちらがあなたの本当の人格ね、記憶を洗いながしてしまいましょう」

「いやだ、どうして!!」

「それは、あなたが苦しいからよ、苦しみを取り除きたいのでしょう?皆のように普通に生活がしたいのでしょう」

 ユウコはおとなしくなった。これまで演じたことのない女を演じている。どういうわけかこれは上手くいっている、快演である。日常さえ、非日常さえ超越して、何かを人にしめしてる。これこそが彼女の苦しみ、これこそが彼女の夢!しかし……。

「あなたはあなたの記憶を忘れたくないのはわかっている、取られた男と再会したのね」

「それは、そう……でもその……話がかみ合わなかった、どこか彼は私に対して申し訳なく感じていたようで、私がいくら話しても、話せば話すほど、彼を責めていたよう」

「私はその記憶をうばってあげる、だから心配しないで、あなたが演じていた記憶を奪ってあげるから」

「でも!!あっ!」


 ユウコはその後、彼と出会うまでずいぶん落ち込んでいた。忘れたはずの記憶を思い出し、守っていたはずの記憶を忘れた。友人になりきって演じてきたここ数年の自分の異常さはわかった。それでも記憶は、思い出せなかった。ルーラの言葉だけが思い出される。

「苦しみは忘れるべきなのです」


 ルーラは事務所で紅茶をのんでいた。助手のミキが尋ねる。彼女はお金持ちのボンボンの大学生で、ツテをつかってここでアルバイトをしている。緩やかな日暮れとともに、事務所の用具類が哀愁の色に染まる。

「それでどうなったんです?最初の依頼は、彼女のつらい過去を忘れさせてほしいという話でしたよね?いじめや、虐待とか」

「ええ、彼女は友人に支えられ続けていたからね、だけど、あの彼……友人と不倫して一度わかれてしまった彼は、とても純粋だわ、純粋でだまされやすく、おしえてくれた、友人から彼女の死を数日かけて信じ込まされ不倫したのだって、彼女はその後友人を責めるようになって、友人は事故で死んだ」

「はあ、その記憶をなくしたかったんですね」

「いいえ、彼女がなくしたかったのは昔のつらい記憶よ、でも、本心ではそちらこそを消したかったのでしょう、それは彼女たちの最後の喧嘩にヒントがかくされていた」

「それを見たのですか?記憶を?」

「依頼者には“能力の事”をいわないでね、彼女たちの最後の喧嘩は、役者という仕事に関するものだった、友人が、あなたは私に嫉妬しているという、けれどユウコにとっては、違った、役者としては成功をした友人だけど、ユウコもまた綺麗だった、化粧がうまかったし、ファッションセンスもあった、社会人としては彼女のほうがしっかりしていた、だから、ほとんど言い返さなかった、言い返さなかったことで友人は傷ついたみたい、そして彼女の死をどこかでは自分のせいにして、彼女を演じる事によって、傷をいやしていた」

「ふうん、その記憶をけしたのか、でも、つらい記憶を抱えたままではあるんですよね、そのつらさを支える友人がいなくなった時彼女は……」

「いったでしょ、彼がいるって」

「ああー……んーでもわかりませんねえ、どっちの言い分もいいとこどりすればうまくいったのに」

「依頼者と自分を重ねてはいけないし、依頼相手も同じじゃないとみるべきよ、相手が真逆の欲求を持つこともあるの」

 都会と田舎で、人の関心に求めるものが違うのも普通だ。とつぶやこうとしたとき、すでに助手のミキは、何かを悟ったように夕日に染まる街に感慨を感じていたようだった。

「先生が力を使う時、何をみるんです?」

 ユウコは顔を隠す様にあちらにむけたまま尋ねる。

「ほんの一瞬、九死に一生を体験したことがあって、その頃地獄にいた記憶がよみがえることがあるんだ、その瞬間に、私は力を使える、苦しみが見える、そう、苦しみを抱えてない人なんていないからね」

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円環の死 霊媒師ルーラ ボウガ @yumieimaru

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