凪の部屋

維 黎

風の始まりの色

 視界に映るのは白。

 病室というのは静寂で清潔で静止した空間だ。

 身体の一切を動かすことが出来ない身で、辛うじて動くのは、動かせるのは視線のみ。それ以外は動きの止まった世界。

 空気も音も。かすかに見えるカーテンも。

 代り映えのしない風色は時間すら止まっているかのように感じさせる。

 本当に止まって欲しいのは、止めたかったのは人生だったのに。

 高みから身を躍らせた結果、人生は止まらず指先一つ動かないくせに無駄に視線と心臓だけが動いているこの始末。

 もう死ぬ気力も無ければ生きる気力も無かった。あの日までは――。


 ポロン、と。


 静寂に満ち静止した病室と心に届いたそれ。

 病院の近くに幼稚園があると知ったのはもう少し先のことだったが、その時は何の音なのかわからなかった。

 医師や看護師の声も聞こえず、治療されている感覚も無く、意識だけの状態。医学的にどうか知らないが、それは生きているとは言えない。ただ死んでいないだけ。身も心も。


 ポロン、と。

 

 最初は微かな小さな音が一つ。けれど、白紙に色水の一滴を落としたように、じわり、じわりと染み広がる。やがて動物の鳴き声のようなものも加わり。

 止まっていた病室で止まった心が、いつしかその一つの音と鳴き声を探していた。

 時間の感覚などずっと無くしていた為、初めてその音を聴いてからどれほどのときがたったのかわからないが、いつの頃からか楽しみにしていた。今となっては、はっきりとわかるピアノの伴奏と子供たちの歌声。

 熟練者プロが奏でる音でもなく、音程も何もない拙い歌。

 それでも。

 慈しみ想う心を込めた旋律と、幼くも懸命に歌う幼子の歌声は確かな何かを芽生えさせてくれる。

 徐々に色付き始める。動き始める。

 集中治療室I C Uから一般病棟に移った頃には、白一色だと思っていた病院は存外、色彩豊かだったことに気付く。

 揺らめくカーテンに誘われ窓際に行ってみると、どこにでもあるような街並み。日常が窓の外にはあった。

 すでにその日常に戻ることは決めていた。

 前髪がフワッと踊る。

 凪は終わり風が吹く。

 今日も聴こえてくる旋律と歌声。


 凪いだ人生がもう一度吹き始めたのはピアノの音色おとと子供たちの声色こえ

 


――了――

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凪の部屋 維 黎 @yuirei

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