悪役令嬢ギルド―ヴィオレッタ・リリアン・エグゼリアは、まだ恋愛エンドを受け取っていません!

ナカモト サトシ

第1話

『悪役令嬢ギルド』

異世界に繋がる異空間。

貴族の邸宅のような見た目の煌びやかな建物に、各国の令嬢たちが集まっていた。

彼女たちは、あらゆる”異世界”からこのギルドへ集まっていた。


転生者。憑依型。ループ型。原作知識持ち。

様々な背景を持ちながら、皆共通しているのは、現在進行形で”悪役令嬢”であること。



彼女たちが、この悪役令嬢ギルドに集まった目的はただ一つ

―――婚約破棄され、断罪され、そしてざまぁし、幸福を掴むこと。



「ルイズ王国の断罪セッションが近づいています。取り急ぎ、第三移転ゲートに集合下さい。」

「涙目でヒロイン罵倒からの本命が本心に気づく展開、最近ちょっと多いので、あえてここはもう一つの古典的な展開に持っていく事もオススメしておりまして―」

「ざまぁ演説、敬語 or 砕け口調の2パターンで録って提出ってマジ!?」


広間にはリボンとレースがふわふわと舞う。

煌びやかで、忙しく、どこか異常な日常。それこそが悪役令嬢ギルドの日常の光景だった。


悪役令嬢ギルドとは、異世界転生市場における最も成熟したとも言われる、悪役令嬢に関するシナリオマッチングとギルド員(キャラクター)派遣を行う専門機関であり、年間数千件の断罪イベントを取り扱う巨大組織だ。


物語の世界において主人公として正しい立ち居振る舞いを行い、物語を完結させる。

その完成度が高ければ高い程ギルドでの階級も上がるため、今日も無数の令嬢がドラマチックな破滅と逆転の舞台に身を投じている。


そして、彼女はその奥の静かなサロンにいた。

ヴィオレッタ・リリアン・エグゼリア。

この世界に転生した“第一世代”の悪役令嬢であり、

すでに断罪済、ざまぁおよび国民的支持獲得済という完璧なステータスだった。


悪役令嬢シナリオにおける展開は、主に4ステップに分類される。

<1.婚約破棄 → 2.公開処刑演説 → 3.ざまぁ → 4.ハッピーエンド>

このステータスは、悪役令嬢ギルド内で令嬢ごとに管理され、中央にあるステータスボードに張り出されていた。


ヴィオレッタは、第一世代として華々しくデビューした際には、”ざまぁ”の達成速度、内容共に100点のモデルケースとして教本にも乗せられた程だ。


ただ、“恋愛的ハッピーエンド”だけが、まだ来ていない。

一向に連絡が来ない。


ハッピーエンドとは、それまで積み重ねて来たルートに沿ってマッチングAIによる厳正なる審査の下、最適なギルド員とシナリオがマッチされることになっている。


いつまでもエンディングのマッチングが行われないことについて、ギルドの職員に対して悪役令嬢らしくネチネチと詰め寄ったことは1度や2度ではない。

けれど、ブラックボックスのシステム化された部分の弊害だった。


誰にも、どうすることもできないまま、月日が経っていた。


「もう、あれから7年ですか…。」

「…。」


紅茶の香りを楽しみながら、輝かしいあの日々を思い出す。


16歳で迎えたデビュタント。

いくつか、ギルドで紹介されたシナリオの中から、自身好みの展開を実現するために奔走したのはいい思い出だ。断罪に備えた証拠集め、ざまぁ展開後も可能な限り国民への影響は少なくなるよう配慮し、可能であれば自分以外に現を抜かした元婚約者である第二皇子にも更生の機会をと色々と苦心したのだ。


ギルドは悪役令嬢としてのスキルを磨くためのプログラムなども提供しているが、任務に参加してしまえば、あくまでギルドは任務の紹介とシナリオの攻略に向けたアドバイスをしてくれるのみだ。


皆、各世界でそれなりの地位は与えられているので、そこからは、自身で努力をして任務を遂行していくのだ。


これまでの集大成、”ざまぁ”を終え、あとはエンディングを待つのみになったとき。

自分もすぐ幸せになれる――と思っていた。


「“ざまぁ”は、3日で済んだんでというのに…。」

「ヴィオレッタ様は優秀ですから。」


普段は無口な男の言葉にヴィオレッタは苦笑した。

彼女が唯一このサロンへの立ち入り許可を明言している人物ヴィオレッタの専属コンシェルジュ、セシルだった。銀縁の眼鏡をかけた整った顔立ちに、控えめな仕草で彼女に紅茶を入れてくれていた。


以前は、同期の友人たちと楽しく、中央のサロンで月一回の報告会にかまけて集まってはお茶会を楽しんでいたものだが、エンディングが決まらず1年も経つと居辛くなり、どんどんと皆から距離を取るように端の方へと自ら逃げるようになってしまった。


このサロンは、長らく忘れ去られていた所を1年前に偶然ヴィオレッタが見つけたものだ。月に一度必ずギルドに顔を出す必要があるので、セシルに確認を取ってもらい、中心から距離を取るのに丁度いいと自らの居心地がいいように小物を持ち込んで作り上げた空間だ。


柔らかなクッションに落ち着いたベージュやパステルカラーの色合いの小物たち。悪役令嬢っぽくないとの指摘はこの際傍に置いておく。

ささくれ立った心は、自然と高級感よりも心地良さを求めていた。


しかし、いくら完璧な空間に居ようとも、心が沈んでしまうこともあるのだ。

まさか、ざまぁからのハッピーエンドまでこんなにも長くなるとは誰が予想していただろうか。


「エンディングまで自身の地位を引っ張り続けるのにも努力は必要ですのよ?」


マッチングAIを一人なじってみるが、セシルは答える気はないのか何も言おうとしない。小さく溜息を飲み込むと、飲み切ってしまったティーカップを見つめる。


「よし。」と小さく気合を入れるとステータスボードへと向かって行く。

付かず離れず、他のコンシェルジュと令嬢よりも少し距離が空いているのが2人の適正距離だった。


月一回の報告前後でマッチングやステータスの更新が成されているかを確認するのは悪役令嬢の嗜みだ。

もしかしたら、マッチング結果が出ているかもしれない。


以前、「記録に変動があれば、私から先にお伝えします。」とセシルに言われたが、ずっとお世話になっている彼が自分の一向に変わる気配のないステータスを逐一見ていると思うと、恥ずかしさにかられたのだ。それからは、彼に任せるのではなく自分で結果を見に行くようにしている。


板についた優雅な動作で立ち上がる。


ギルドの中央に向かうと、そこにはエカテリーナ・ロッソがいた。

彼女のコンシェルジュであるハーゲンも一歩下がって彼女と一緒に向かってくる。

どちらともなく美しいカーテンシーを披露した。


「ヴィオレッタ様!」

「ごきげんよう、エカテリーナ様。今をときめく悪役令嬢に偶然でもお会いできるなんて光栄ですわ。」

「こちらこそ、ヴィオレッタ様にお会いできるなんて今日の私は運がいいですわ!」


偶然出会ってしまった彼女は悪役令嬢ギルドでも一、二を誇る成績の持ち主だ。

第一世代のヴィオレッタに憧れて悪役令嬢ギルドに加入したそうだが、すっかり任務の成績は彼女の方が雲の上の人となってしまった。


しかし、落ちぶれた先輩に対して邪険にすることもなく、鼻にかけたことろも無い、大変接しやすい人物だ。


「エカテリーナ様、以前私にシナリオのご相談をいただいた際には恐縮してしまいましたが、無事エンディングまで到達されたようで良かったですわ。」

「ええ、ヴィオレッタ様にご相談させていただいて本当に良かったです!そうよね?ハーゲン!」


輝かんばかりのエカテリーナの笑顔につられるようにハーゲンも人好きする笑顔で続く。


「はい!ヴィオレッタ様のおしゃった通りにしていなければ、聖女に再度断罪されるところでしたね。」


「そうなのです!ですが、ちゃんとヴィオレッタ様のアドバイスに従って今度こそ完膚なきまでにざまぁしてやりましたわ!」

「まあ、流石です。」


周囲の令嬢達も大御所二人の、いやギルドの至高とも言うべきエカテリーナと最近では幽霊部員と化しているヴィオレッタの様子を興味深そうに眺めている。


彼女たちも悪役令嬢なので普通の人間であれば気づかない程度の視線だ。

しかし、いくら一つの任務にしか当っていないとはいえ、だてに悪役令嬢を長くやっていないのだ。


(皆さま、少々視線に浮かぶ好奇心を隠せていませんわ。)


心の中で思うことはあれど、表情にはおくびにも出さない。

しかし、スッとハーゲンが少女たちを隠すように自然な動作で位置を移動する。


彼なりの気遣いだろう。

ありがたく思い、セシルにだけ伝わる程度に視線を伏せ、目礼する。

彼らのいつもの挨拶だった。


「実はこれからフィーバータイムなんです!」

「まあ!それは楽しみですね!」


エカテリーナの言葉に思わず声のトーンが上がる。

フィーバータイムとは、いつの頃からか広まった隠語で、任務の完了後、甘い時間を過ごし国民や周囲の人々に物語の一部として見せる行為全般を指す。いわば物語の番外編だ。


(人気のカップリングやドラマチックなエンディングの後でないと無い事も多いですから、頑張った成果ですね。)


周囲から羨望の眼差しを向けられる後輩を見つめる。


こちらは、達観などとうに通り越して無の境地なのだ。

いつまでも自分の事を慕ってくれる、可愛い後輩が幸せそうな様子を見るのは素直に喜ばしい。


二人は雑談しながらステータスボードへと向かう。


「…変化なしですわね。」


ヴィオレッタのステータス欄には無情にも“マッチング進行中”の文字が表示されるのみだ。

ハーゲンは分かっていたのだろう。全く表情を変えなかった。

慣れた様子の2人に若干エカテリーナとハーゲンが戸惑っているのが分かるがいつものことなのであまり気にしないで欲しい。


セシルが自然なタイミングで会話に入る。


「ヴィオレッタ様、お時間かと。」

「ええ、そうですわね。」


セシルの言葉に、エカテリーナは意識を取り戻したのか再度笑みを称える。


「ヴィオレッタ様にお会いできて本当に良かったです。良ければ今度はお茶会に招待させて下さい。」

「ええ、機会があれば是非。」


落ちこぼれの先輩など、お茶会にいても気まずいだけだ。

だが、社交辞令だと分かっていながらも、お互い適度な距離感が心地良かった。

もはや、これぐらいのことで傷ついてもしょうがないのだ。


「では、お体ご自愛下さい。」

「「ごきげんよう。」」


最後に友人同士定番の別れの挨拶を述べると、それぞれの世界へと戻るため移転ゲートへと向かう。ギルドを出る瞬間、セシルの美しい礼が見えた。



§



移転ゲートを抜けた先は、ヴィオレッタの任務先であるアクシュール王国だ。


ギルドには様々な世界の人間がいる。中には魔法やら科学やらが発展した国々もあるようだが、ヴィオレッタの任務先であるこの世界は、簡単な生活魔法や聖女による治癒魔法はあれど、あまり目新しいものはない。


その中でも、アクシュール王国は、ヴィオレッタの断罪イベントという前代未聞の事態に見舞われても、直ぐに安定した治世を取り戻すことが出来る程度には王族、貴族、国民までもがまともだった。


(まあ、そうなるように公爵である父を説得し、母と社交を頑張ったのは私なんですけれどもね。)


皆、人には言わないだけで、陰ながら努力しているのだ。


春の終わりを告げる柔らかな風が吹き抜ける中、王都の街並みはその国民性を表すように今日も穏やかだった。ヴィオレッタは、自身の住まいである屋敷に戻ると、扉の奥に広がる静けさに、少しだけ肩の力を抜く。


「……戻りましたわ。」


従者たちは相変わらず整然と彼女を迎え、家事も礼儀も非の打ち所がない。

彼女に使えることに誇りを持ってくれている、素晴らしい従者たちだ。

ただ、自宅だと言うのにあまり気が抜けない。


悪役令嬢としての任務に就く前をしるセシルとは勝手が違うのだ。


いつの頃からだろうか。ざまぁも終わり、周囲からの評判が安定してきた。

その頃になると、聖なる力がないにも関わらず、周囲の人物もといい国民からも”本当の聖女”、”完璧な淑女(パーフェクト・ノーブル)”と崇め奉られるようになっていたのだ。


断罪の前は、多少意地悪に見えるように見せ方を意識していただけで礼儀作法などは同じように身に付けていたはずだ。しかし、評価が嫌味ったらしいなど以前のネガティブなものから一転、ポジティブなものにガラリと変わった。


好意的に受け入れられること自体は喜ばしくはあったが、時間が経つにつれ、最初の頃の嬉しさや戸惑いが無くなり、後に残ったのは若干の息苦しさだった。


昔は、色々と悪役令嬢ギルドの友人達と談義を交わしたものだ。


その当時最も有力だったのは、”第二皇子および聖女に情けを掛け過ぎた説”と”ざまぁ後いい人ムーブし過ぎた説”だが、ざまぁ後は悪役令嬢として人をなじるなど不快極まりない行動をする必要も無くなったので、むしろ本来のヴィオレッタの人間性に基づいて、より良いと思う行動を取ったに過ぎない。


その後も、そういった行動を効率的に続けてきた結果、周囲との関係値は築けているが、周囲の期待に応え続けるような生活になってしまった。


(それが辛い等は全くないのですが、飽きてきてしまう部分はありますわ。)


7年と言う月日は残酷だ。

あくまで任務、どこまで完遂すればいいのだろうか。

ふと、そんな悩みに晒されることもある。


(任務を放棄したりしたら次の転職先からも嫌がられてしまうでしょうし…『継母ギルド』もそんな人間雇ってくれませんよね。)


最近、同じ第一世代として活躍した友人の一人が先んじて転職した『継母ギルド』は、以前は娘役を虐める系の任務が多く、あまり人気のない職場だったが、最近ではジャンルも増え、推しの母としての転生系や真面目子育て系も増え、中々やりがいがあるとの話だった。


(そもそも、依頼主はこんなに放置している間も報酬が発生しているのですが、良いのでしょうか?)


悪役令嬢ギルドへ依頼を行うのは、大体各世界の主やどこからか神話を聞きつけた王族が別の羞恥を隠すために依頼してきたりする。

大抵お金には糸目は付けていないので問題ないのかもしれないが、早いところ解放して欲しいと最近は考えている。


(もう飽きてしまわれたのであれば、任務を取り消してくだされば良いのに…。)


―――何故、自分がこの世界にいるのか。


思い悩んでいるわけではないが、そんな問いが長らく自分の中を漂っていた。



§



翌日。

孤児院を訪れたヴィオレッタは、た元第二皇子レオンハルト・アクシュール、”現レオンハルト・アッシュハルト”と、彼の恋人から妻へと無事昇格した”平民出身の聖女・アナスタシア”に笑顔で迎えられる。


二人はそれぞれ公爵領で、奉仕活動などを通じて心を入れ替え働いていた。

ヴィオレッタとしても、正直レオンハルトに対する思い入れもあまり無かったので市井に王族の血が流れ、将来的に悪用される可能性を考えれば、建設的な提案だったのだ。



そんな二人が結婚したのは今から2年前。

そのまた2年前、彼らは真剣な面持ちで、お忍びで公爵領を訪れた王、公爵そしてヴィオレッタに請いに来たのだ。


「自分たちが、大それたことを言っているのは分かっています。」

「それでも、3年ぶりに互いを目にとめた瞬間、やはり彼女のことを愛していることに気が付いたのです。」


ざまぁ後、公爵領であえて二人を引き裂くという事はしなかったが、二人とも互いに避けるように過ごしていたようだ。しかし、神の悪戯心なのか、つい先日彼らが出会ったとの報告を受けていた。

二人が並んで来た時点で、ある程度予想は出来ていたが、父は拳を震わせ、王は呆れたように溜息をついていた。


しかし、レオンハルトは、床に頭を擦りつけんばかりに謝罪をしながらも続けた。


「私は彼女と一緒になれないことは理解しています。そして、聖女である彼女は結婚を求められるということも。ですが…どうかそれだけは、結婚の時期だけは彼女の意思を尊重して頂けないでしょうか。」


「おや?」と三人がレオンハルトの言葉の意図を図りかねる。


「レオン!」


アナスタシアにとっては、想定外の展開だったのか彼の愛称を叫ぶ。


「…僕はもちろん一生結婚せず君を思う。……君が誰と幸せになろうと関係ない。」


力強い宣言だった。彼の表情は切ないものだ。

物語の俳優のようにヴィオレッタの心を締め付ける。


「僕たちは今は気持ちが通じ合っていますが、それだけです。…彼女もいつか、素晴らしい人に出会い気持ちが変わるやもしれません。その時まで、どうか待っていただけないでしょうか!」


レオンハルトの言葉にあっけに取られている男性二人を他所に「まあ…!」と思わず声を上げる。


(そうですわね…アナスタシア様も私たちの2歳下の17歳、もう今年中には結婚相手が国から勧められる可能性がありますものね…。)


愛しのアナスタシアと結婚を願い出るのかと思いきや、彼女の気持ちを慮って欲しいとわざわざ願い出るとは。


(あの頃のレオンハルト様なら、まずありえなかった選択ですわね。)


彼の態度はあくまでワガママだと理解しながら、大切な人間思い、自分の気持ちとも折り合いをつけるための努力のようにも見えた。


少し冷静になったのか、父が声をかける。


「時間が経ったからといって、君たちが娘を傷つけたことに変わりはないにもかかわらない。急な結婚に関する内容ついて願い出るなど、許されたとでも思っているのか。」


押し殺したような淡々とした声だった。

ビクリとアナスタシアが肩を揺らし、レオンハルトは拳を握る。


「私、個人のワガママをアナスタシアにも押し付けているだけなのかもしれません。ただ、分不相応な力を持たなくなった私が、彼女を思い、今出来ることはこれだけなのです。」


レオンハルトには苦悶の表情が浮かび、アナスタシアは泣きそうになっている。

だが、二人とも傷つけたヴィオレッタの目の前であることを理解しているのだろう。

目を伏せるようにして、床を見つめていた。


王の出方を気配で探る。

いくらアナスタシアが強い光魔法の使い手とは言え、過去に問題もあった聖女であるアナスタシアの結婚時期をずらすことなど王であれば簡単に引き受けることのできる依頼だった。ましてや、2人が更生してるという話は国内でも有名な話になってきたので国に混乱をもたらす話でもない。どう判断すべきか決めあぐねているようだ。


ふむと状況を見回すと思わず口をついて出ていた。


「…結婚してはいけないのですか?」

「「「「え?」」」」


四人が固まる。

ヴィオレッタの声は、あまりに自然で、あまりに静かだった。


「……失礼、無粋だったかしら。」


ヴィオレッタも周りのリアクションに戸惑いながらも続ける。


「公爵領でのお二人の様子は存じております。自分のお立場を理解し、努力なさっていると。」



その声には、皮肉も怒気や侮蔑もなかった。彼女の言葉に、二人は同時に顔を上げる。


「……私は、あなた方の愛に、何の権限も持っておりません。ですが、大切な人をそれだけ思えるのであれば、”共に生きること”を願っても、許されるのではなくて?」


アナスタシアの目に、涙が浮かんぶ。


「……ヴィオレッタ様……。」

「ただの善意と誤解なさらないでくださいな。ただ、あなた達の成長を見守っていた公爵家の人間としての進言です。」


その言葉に、王が目を伏せた。父は本当にそれでよいのかと目で問うてくる。


「事実を否定するほど、わたくしも過去に囚われておりませんわ。」


ヴィオレッタは微笑みながら答えると王は再度ため息をつく。


「…ヴィオレッタがそう言うのであれば罪を請う側の子を持つ親である私が、これ以上何を言えるというのか。」


彼は視線を公爵に送る。

公爵は、深く長いため息を吐いたのち、短く言った。


「――2年、待たれよ。」

「……え?」

「2年、“その想い”を変えずにいられるか、見せてみなさい。それができたなら、今度こそ自身の意思で、私に許可を求めるといい。もちろん、ヴィオレッタの意思も再度そこで確認する。」


レオンハルトは、しばらく目を見開いたまま動かなかった。

やがて、膝をつき直し、深く、深く頭を垂れる。


「……ありがとうございます……必ず、証明してみせます……。」


その横で、アナスタシアもまた頭を下げた。

そして、静かにヴィオレッタの方を向き、囁いた。


「……ヴィオレッタ様に恥じないよう努力してまいります。本当に、本当にありがとうございます。」


彼女が再度頭を下げる。


ヴィオレッタは、2人にこれ以上返す言葉もなく、何も答えなかった。


この話をした時、ヴィオレッタのおおらかさにセシルが呆れていたことを思い出す。

クスリと笑っていると子供たちに見つかってしまった。


孤児院では子供たちの声が響いている。

彼らは無事、約束通り2二年後、レオンハルト21歳、アナスタシア19歳で結婚した。


彼らが結婚するまでの間、気づけば会えば挨拶する関係に戻ると彼らからヴィオレッタの手伝いを申し出てきた。


最初は遠慮がちだったが、慣れてくると断罪前からヴィオレッタが続けている孤児院の慰問を特に積極的に手伝ってくれるようになったのだ。

その後、かの施設の経営者が他の領地に戻る際、彼ら自身が手を挙げ、現在は孤児院の運用を任されていた。


最近では、レオンハルトは孤児院を地域の福祉の拠点として機能させることを目標に父のバックアップもあり、他の地域との連携を強めているらしい。


(まあ、レオンハルト様につかかってくる人もいるでしょうが、それを乗り越えることも彼にとっては贖罪の一つなのでしょうね。)


「ヴィオレッタさま、こっちこっちー!」

「ひざに乗っていい!?」


小さい頃から知っている子たちの成長を見守りながら、こちらも笑みがこぼれる。


「相変わらず大人気ですね、ヴィオレッタ様!ありがとうございます!」


声をかけ来たのはアナスタシアだった。

最近では、聖女の傍ら、孤児院の”お母さん”としても日々忙しそうに過ごしている。


「子供たち、ヴィオレッタ様が来るのを心待ちにしていましたよ。」

「ええ、ありがたいわ。」

「私自身もヴィオレッタ様が来て下さるのを楽しみでクッキーを焼いてみたんです!是非食べて行かれて下さい!」


アナスタシアが子供たちを連れて台所までクッキーを取りに行く。

その間にも子供たちが話しかけてくる。


「レオンハルト様にねー尊敬している人を教えてって言ったら、ヴィオレッタ様って言ってたよ!」

「ねえねえ、ヴィオレッタ様はレオンハルト様に何したの?」


子供たちの様子にヴィオレッタは、困ったように笑った。

何だか、結婚に関する助言をしたあたりから異様にアナスタシアとレオンハルトから好かれている気がするのだ。


(……当初は、あの2人にここまで懐かれるなど思いもしませんでしたわ。)


自分には来ないエンディングを迎えた彼らを眩しく思いながらも、恨む気持ちも湧いてこないことになんだかなぁと思ってしまう。


演じきった悪役令嬢は、温い風を頬に受けながら今日もまた、まだ見ぬ“恋の終幕エンディング”へと思いを馳せていた。



§



「……見合い、ですの?」


紅茶を吹きこぼしそうになったのは久しぶりだった。

公爵家の執務室。書類に目を通していた父が、紙を一枚静かに差し出した。


「うむ。あまりにも長らく独身を貫いているからな。“選ばれていない”のではなく、“選ばなかった”のだと皆は言うが…どうだ?」


あんな事があったのだからと親が外に出なくていいとの言葉に甘えていたが、やはり年齢が進むにつれて心配が勝っているのしれない。


(物語としてもいつまでも終わらないと色々な弊害がありますね…。)


内心では思う所がありながらもなんとか言葉を紡ぐ。

「……確かに、婚約も恋愛も、すっかりおざなりにはなっておりますけれど…。」

―――“選ばれていない”

胸の奥に鈍い音が響いた。ギルドのステータスボードには、今なお”マッチング進行中”の文字が躍っているだろう。

でもこの世界の誰も、それを知らない。


(……マッチングAIによる恋愛的ハッピーエンドのマッチングは、まだ成立しておりませんのよ。本来なら、これまでのシナリオに沿ってハッピーエンドが──)


だが、それを言葉にすることはできなかった。

ギルドの仕組みなど、父が知っているわけもない。


「無理にとは言わないが、考えてみないか。」


娘を傷つけまいとする優しい父としての姿に折れたのは、ヴィオレッタだった。



§



「少し逸脱したって、7年目ですもの……。」


数日後、自分にそう言い聞かせながら、ヴィオレッタは、父の取り計らいでとある辺境伯家の次男とのお見合いの席に臨んでいた。


もちろんギルドの職員であるセシルには内緒だ。


(セシルに見捨てられたり、怒られたら立ち直れる気がしませんわ…。)


念のため、前日にギルドへと立ち寄りステータスボードを確認した。セシルに会わないか、実はマッチングが決まったのではないかとドキドキしながらギルドの中心までいったが、あいも変わらず”マッチング進行中”との文字が無情に表示されているだけだった。セシルにもバレていない。


(セシルにバレたら白状してしまいそうです…。)


彼の眼鏡の奥、最初の頃は冷たく見えた視線もあくまで仕事に徹していると言うことは知っている。彼の視線に見つめられれば、何でも自分の状況を教えてしまいそうだった。


(それにしても、ちょっとだけ…期待していたようで恥ずかしいですね。)


自分では期待していたつもりはなかったが、ステータスボードを見た時は想像以上にがっくりしてしまった。


だからこそ踏ん切りがついたとも言えるだろう。


(一度ぐらい試してみても、バチは当たりませんよね…そう、これは実験のようなものですもの。)


そう言い聞かせながら、ヴィオレッタは一糸乱れぬ姿勢で馬車に揺られる。



お見合いは、相手の宿泊先と公爵領の間の領地で会うことになっていた。

美しく整えられたガゼボに招かれる。

白磁のティーセットと並んで、控えめな手土産の菓子箱が置かれていた。


悪役令嬢ギルドのヴィオレッタ個人のサロンのように彼女の好みを意識したと言うよりは、隙の無い令嬢のための空間だった。


(……完璧に整えられた場ですわね。)


そう思いながらも、ヴィオレッタは穏やかに背筋を伸ばし、カップを持ち上げる。



「本日はお時間をいただき、誠に光栄です。……ヴィオレッタ嬢。」


お見合いの相手――ロディ・アルストレイン。

端正な顔立ちに辺境で鍛えられた肉体を持ち、落ち着いた立ち居振る舞いと誠実さを感じさせる。


ただ、彼の表情には終始“どこか及び腰な気配”があった。


「どうぞ、緊張なさらずに。」

「……あの、それが、はい……失礼ながら、やはりこうしてお話ししているのが、少し信じられなくて。」


(信じられない?)


ロディは困ったように笑い、少し俯いて続けた。


「あなたは、あの“ヴィオレッタ嬢”です。国を超えて完璧な淑女(パーフェクト・ノーブル)として名を馳せる女神のような方にお会いできたのですから。このような反応にもなってしまいます。」

「……まあ、辺境にまで広がっておりますの。お恥ずかしい限りですわ。」


思わず小さくため息が漏れる。

嫌味かと想い表情をよく観察するが、ロディの顔には、嫌悪ではなく純粋な尊敬の色しか浮かんでいなかった。


「私は、あなたのような……誇り高く、聡明で、美しい方に見合うような人間では……その、まだ至っていないと思っています。」


(……なるほど。)


ようやく、ヴィオレッタは“違和感”の正体に気づいた。

見慣れた反応。

彼は、ヴィオレッタに気後れしているようだ。いや、気後れしているように見せかけて破談にしたい理由でもあるかもしれないが、いずれにせよそこには大きな壁が立ちはだかっていた。


会話は続く。

相手と対等な関係を意識して会話を楽しもうと意識するが、どこか空々しい言葉ばかりが並んぶ。


(わたくしが求めていたのは、“称賛”ではありませんのに。)


そのまま、彼との会話は表面的な内容のまま終わってしまった。


「……お話できるだけで、今日のことは忘れられない一日になりました…!」


その言葉に、微笑むしかない。


(……“申し分のない紳士”でしたが……なぜでしょう。なんだか、こう……心が、乾いている気がします。)


自分の気高さや経歴にではなく、今、目の前にいる“ヴィオレッタ”という人間そのものに向き合ってくれる。そんな誰かに、出会ってみたかったのかもしれない。


(任務ですのに……いえ、もしかして、私個人の理想が高すぎたのかしら?)


悪役令嬢たるものプロに徹するべきだとは思うが、そもそもマッチング外でエンディングに繋がりかねないお見合いをしてしまった訳で、これはシナリオ外の事象なのだから多少自由に好みを言ってもいいのではとも思う。


けれど、結果として任務と自分自身の境界がより曖昧になっただけだった。


(……そもそも、恋愛って、エンディングって、何なのかしら。)


一人ぼっちの馬車の中で声にならないため息だけが漏れた。



§



その日、悪役令嬢ギルドでは、少女たちのさめざめとした泣き声が響いていた。


(”女の涙(リーサルウェポン)の効果的な適応場面と実践演習”ですか…懐かしいですわね。一応私も受けに行きましたが、今まで出番はありませんわね。)


少女たちが悪役令嬢としてのスキルアップに励むのを横目に、ヴィオレッタは、いつも通りサッと気配を消して自身のサロンへと向かう。


珍しくまだセシルはいないようだ。

やっと柔らかなソファーに身を沈めると、彼女はこれまでのギルド人生を振り返っていた。


彼女は、ギルドでもアクシュール王国でも比較的尊敬されてきた。


ギルドでは最年長、アクシュール王国では、断罪前でも多少身分に対する考えが硬直的なきらいはあっても基本的に品行方正、公爵令嬢という地位もあり周囲から軽んじられることは少なかったと思う。


また、ギルド内でも隠れファンは多いせいか、サロンに引きこもりすぎなければ声はかけてもらえるのだ。 そして悪役令嬢として完璧なスキルを持つ彼女はウィットに富んだ会話を行うこともできる。

けれど――

(誰にも、私これまで自分から人に相談を持ちかけた事がありません。)


恋愛、エンディング、自分のキャリアなど、心に積もった問いはあれど、誰かにぶつけることはなかい。セシルですら、軽い愚痴は聞いているだろうが、シナリオにまつわる定型的な相談以外はしたことが無かった。


正直いつかは来るべき時が来て、マッチングAIが正しい結末を導いてくれるとある程度の期間までは信じていた。けれど、今はそこまで盲目的にマッチングAIやギルドを信じているわけではなかった。


では、どうすればいいのかと言われると任務を投げだすことも出来ず、何か積極的に動くことが出来るイメージも湧かない。


(私は今後どのようにして行けばよいのでしょうか………。)


急に真っ暗な闇に落ちてしまったようだった。


そんな彼女の沈思を破ったのは、ヴィオレッタの名前を呼ぶ軽やかな声だった。


「ヴィオレッタ様?いらっしゃいませんか?ヴィオレッタ様?」

「エカテリーナ様?」


廊下へ顔を出すと普段は誰も通らないはずのギルドの末端のサロンへと続く道に悪役令嬢らしい輝くばかり金髪に笑顔をたずさえた、エカテリーナ・ロッソはいた。

周囲を見回すが、普段から彼女の傍に使えるハーゲンは見当たらない。


「あ!やはりいらっしゃいました!」


そう言うと、コソコソとこちらに近づいてくる。

想定外の訪問者に目を白黒させていると、エカテリーナは続ける。


「申し訳ありません。いつもヴィオレッタ様にお会いするとはしたない姿ばかり晒してしまって…。」

「いえ、問題ありませんわよ。…ですが、どうかされましたか?このような所まで探しに来られるなんて?」


エカテリーナとは先月会ったのも久しぶりだったはずなので、彼女がハーゲンもなしにヴィオレッタを尋ねてくる理由が想像つかなかった。

また、何か相談事だろうかと想いながらサロンへと案内し、落ち着くために紅茶を入れる。


(普段セシルが入れてくれているから久しぶりね。)


そう思いながら慎重に注いだ紅茶は完璧な出来だった。


「どうぞ、召し上がって。」

「こんなに可愛らしい空間がありましたのね!ヴィオレッタ様、頂戴いたします。」


エカテリーナは、ソファの向かいに腰を下ろすと、恭しく紅茶を楽しむ。

一口紅茶の香りがじんわりと広がるのを楽しんだ後、彼女は切り出した。


「…ヴィオレッタ様、単刀直入にお伺いしますわ。」

「はい?何でしょう。」

「ヴィオレッタ様はマッチングAIに疑問を持ったことはありませんか?」


思ってもみなかった問いかけに息を呑む。


「それは………。」

「…私はあります。実は、今の物語のパートナーを、その、本気で好きになってしまいましたの。」


エカテリーナは恥じらうように頬を染めながら告白した。


「まあ…!」


あまりの事態にはしたなくも声を上げてしまう。


「悪役令嬢ギルドに所属する人間として褒められた行為ではないことは分かっています。ですが、どうしてもこの思いを止められないのです。」

「なるほど…ギルドは秘密保持契約さえ結んでいれば簡単に止めることが可能です。ですが、それはつまり今の世界に自身が固定される事を意味します。もう、ギルドに戻り他の世界の任務に着くことは難しいでしょう。それは、分かっていらっしゃいますわよね。」


責めている訳ではなくあくまで事実を述べる。


「ええ。おっしゃる通りです。」

「今までエカテリーナ様が頑張って積み上げて来たキャリアもふいになってしまいます。」

「…分かっています。ですが!彼が、私の運命なのです!」


エカテリーナは切実だった。

本人は思い詰めているのだろうが、本気で恋をしている彼女は何と美しい姿だろうか。


(ああ、彼女のことを初めて心の底から羨ましと思ってしまいましたわ。)


脳内の呟きは、音としても口をついて出ていた。


「……素敵ですね。」


ヴィオレッタは小さく微笑んだ。


「えっ……?」


驚いたように顔を上げたエカテリーナに、彼女は続ける。


「本心を、誰かに向けて放つことができるというのは、それだけで幸福なことですわ。たとえ、その道が困難であっても。」


エカテリーナの目が潤んだ気がした。

しばらく、沈黙がサロンに降りた。


「……実は私、最近ずっと考えていたのです。私の恋は本物なのかと。」


エカテリーナの言いたい言葉の意味に思い当たり深く頷く。

彼女もエンディングはマッチングAIに任せていたはずだ。

そこで本気になってしまったが、彼女自身の想いも相手の想いも運命めいたものではなく作られた舞台における偽物の感情なのではないかと考えるのも無理はない。


「……演技の中で芽生えたものが、どこまで“本物”と言えるのか。迷ってしまうのです。」


エカテリーナは紅茶を置き、指先を軽く組んだ。

ヴィオレッタは、その揺れる瞳を静かに見つめていた。


「なるほど……。」

「ヴィオレッタ様、私は愚かな選択をしようとしているのでしょうか?」


真剣な眼差しを受け止める。


「……それは、偽物ではありませんわ。」

「心が動いたのなら、それは紛れもない“本物”です。作られた舞台だろうと、用意された関係だろうと……その上で何かを“感じた”あなた自身の真実ですわ。」


ゆっくりと自身の考えを整理しながら、エカテリーナへの言葉を探す。

しかし、それは誰にも相談出来なかったヴィオレッタ自身の疑問への答えでもある気がした。


「シナリオに関わる内容は当然コンシェルジュからアドバイスを受けたり、特別プログラムから影響を受けることもありますが、あくまで努力をしたのはエカテリーナ様ご自身です。そしてAIが最高のマッチングだと言ったからその方を好きになったのではなく、好きな肩との運命をつかみ取ったと思えばよろしいのではなくて?」


ヴィオレッタの言葉にエカテリーナの目が見開かれる。

普段より幼く見えるその表情に、自然とヴィオレッタの笑みも穏やかなものになる。


「確かに“幸福度”で測れば、AIが選ぶのは最適解かもしれません。けれど――感情って、そんなに単純なものではありませんわよね。」

「感情まで動いたのであれば、エカテリーナ様は一番の幸運と言っても差支えないのでは?」


静かな微笑みと共にそう言った瞬間、自分の胸の奥に、微かにチクリとした感覚が走った。


(……私は、どうかしら?)


言葉にしたその“幸運”を、どこかで求めていなかっただろうか。

エカテリーナは、紅茶のカップを両手で包み込みながら、穏やかに頷いた。


「……ありがとうございます、ヴィオレッタ様。なんだか、心が軽くなりましたわ。」

「それは良かったですわ。お役に立てたのなら、私も嬉しいです。」


エカテリーナが立ち上がり、深々と一礼する。


「私……もう一度、自分の想いを大切にしてみます。後悔しないように。」

「ええ。……その気持ち、どうか大事になさって。」


ハーゲンが探していると笑いながら、エカテリーナは去っていった。

残された静寂の中、ヴィオレッタは自分の胸に手を当てる。


(……わたくしは、どう生きたいのかしら。)


ギルドに来てから、任務に従い、最善と思われるシナリオを遂行してきた。

何一つ、手を抜いたことはない。誇りもある。

けれど――


(“選んできた”わけでは、なかったのかもしれませんわね。)


マッチングAIが導く最適解。

シナリオ通りの幸福。

“正しい終幕”。


これまで、一心不乱にそんな未来を求めていたと思う。

しかし、エカテリーナのように心が動く瞬間は来るのだろうか?

またお見合いをする?あの世界で心の震えるような誰かに会えるだろうか?


けれど今、自分の中に芽生えつつある“ある人”への感情が、浮かんだ疑問を静かに覆していく。


(あの人は、どう思っているのかしら。)


脳裏に浮かぶのは―。


長い付き合い。無駄口も叩かず、距離を取り、職務に忠実な存在。

けれど、彼の紅茶の温度。ふとした一言の優しさ。

沈黙のなかでさえ、彼の存在は自分にとって“落ち着ける空気”をくれる。


(……気づかなければ、楽だったのかもしれませんわね。)


だが、すでに遅い。

頬を撫でる風がやけにやさしく感じる午後、ヴィオレッタはそっと立ち上がった。



§



それから数日後。

いつものように、淡々と書類を並べるセシルの姿があった。


「セシル。」


その声に、手が止まる。

普段は月に一度しか聞くことの出来ない”最も大切な人”の声だったからだ。

彼女と知り合ってからもう7年以上優に経っている。間違えるはずはなかった。


「はい、ヴィオレッタ様。来訪に気づかず申し訳ありません。」

「押しかけたのはこちらですから。大丈夫です。少し、時間をいただいても?」


セシルは眼鏡の奥でまばたきを一つし、静かに頷いた。


「構いません。……私にできることであれば。いかがなさいましたか?」


ヴィオレッタには似合わない事務用の椅子に静かに腰を下ろした。

ドレス姿の彼女には座りにくいであろうそれしかないことが歯がゆい。


サロンへの移動を勧めようかと悩んでいるとヴィオレッタと目が合った。

彼女は、真正面からこちらを見ている。


普段は控えめで、少し気を抜いた姿を見れるようになったのもあのサロンが出来てからだった。彼女のために紅茶を入れる。自分の居れた紅茶や悩み抜いた茶菓子に満足そうな表情を見せる彼女を見ることは密かな楽しみだった。


珍しくこちらを射貫くように見つめられ、視線を逸らせない。

急な来訪、先日エカテリーナと会ったと言っていた日はサロン内でもあまり表情が優れていなかったので何か良くないことがあったのかもしれない。


可能な限り彼女が快適に過ごせるように努めているつもりだ。


サロンはいつでも彼女が利用できるよう清掃はセシルが毎朝行い、他の人間にバレれば控えめな彼女は遠慮するだろうと言うことで他のコンシェルジュが取る前にサロンの予約は解放され次第全て押さえている。


不要な視線に彼女が辟易していることも分かっているので可能な限り避けて来たつもりだったが不十分だっただろうか。


コンシェルジュの変更希望などもたまに聞くが、これまでも一度もそんな事態は無かった。マッチングAIに対する理不尽な思いを呟くことはあったがそれもこちらに当たるというようなものではなかった。


(何が………。)


無意識に体が強張る。

彼女の唇が言葉を発するのをじっと待っていた。


「わたくし……“ギルドの物語の終幕”だけを、ただ待つのは、もうやめようと思いますの。」

「……。」


何もいなかった。頭が真っ白になると言うのはこういうことか。

人生で初めての出来事だった。


「これまで、最適なマッチングを待つことこそが正しいと思っておりました。ですが、それでは“私自身の気持ち”を置き去りにしてしまうことに、気がついたのです。」


セシルは目を細めた。

ヴィオレッタは最近よく見る諦めたような笑みではなく、心からの穏やかな微笑みを浮かべていた。


(美しい………。)


そんな思考はおくびにも出さず彼女の真意を探る。


「……置き去りにしてきたヴィオレッタ様のお気持ちというのは?」

「……今は、言えません。ただ目標が出来ました。」

「目標ですか?」

「はい。このギルドで働く皆様の自主的な恋愛観のサポート及びギルド員メンタルケアに従事したいと思っております。」


彼女の言葉にあっけに取られた。

今の話から察するに、7年間ずっと耐えて来た現状の任務をキャンセルし、ギルド員としてのキャリア等も考え直すと言うことだ。


「……それは、あなた自身の言葉ですか?」

「ええ。……私の、はじめての“選択”ですわ。」


しばしの沈黙が流れた。

ただ、ヴィオレッタの言葉に嘘が無い事は直ぐに分かった。


(彼女がそう言うのなら………。)


やがて、セシルが立ち上がり、ティーポットを手に取る。

それまで自室ではコーヒー派だった彼が執務室でも紅茶を手に取るようになったのは彼女と会ってすぐの頃だ。


彼女が紅茶のことになると無邪気に勧めてくるので思わず色々と買ってしまったのが始まりだった。


「では、その選択を祝して、一杯。……淹れさせていただきます。」

「あら……それは…覚えていてくださったの?」

「ええ、忘れませんよ。」


”ざまぁ”をすべて完了したその日に彼女が唯一指定してきた紅茶だ。

それ以来、彼女が何か希望したり積極的に依頼してくるようなことは無かった。


彼女にその紅茶を再度入れる権利がまだ自分にあることにホッとしていた。

特別な時間にふさわしいように心を籠める。


2人にしか分からない濃密な時間だった。



ヴィオレッタは、セシルの言葉に心が温かくなっていた。


(ああ……私は、ずっと、セシルに見守られていたのね。)


ギルドの階級でもなく、断罪の鮮やかさでもなく、ただの“ヴィオレッタ”として。


(……今この瞬間から、私はこの物語の主人公ですわね。)


彼の指先が、そっとカップを彼女の前へ差し出した。

温かな湯気の向こうで、2人の視線が重なった。

そして、ヴィオレッタはゆっくりと、微笑んだ。



§



“自由恋愛指導補佐官制度”試験導入決定。

経験豊富な令嬢による、自主的な恋愛観のサポート及びギルド員メンタルケアを兼ねた制度。

初代補佐官:ヴィオレッタ・リリアン・エグゼリア



§



「リリアン、お客様です。」

「ええ。」


彼女は今日も微笑む。


ここは、悪役令嬢ギルドの片隅。

今日も美しく着飾った令嬢たちが断罪からのざまぁによる逆転と華麗なるエンディングを迎えるため、リボンやレースがふわふわと舞う。


かつて彼女がひっそりと居場所にしていたサロンには、今日もまた誰かが訪れる。


「ヴィオレッタ様……恋って、どうしてこんなに不安になるんでしょうか。」

「……それはね、“自分の心”と向き合っているから、ですわ。」


ヴィオレッタは、やさしく紅茶を注ぎながら、微笑んだ。

その隣、紅茶を運ぶセシルの姿もまた、いつものように静かに寄り添っている。



―――――――

初の短編でした。

短編とは思えない文章量になったふしはありますが、楽しんでいただけたのであれば幸いです。


正直、評価も嬉しいですが、作者の他の作品も読んでいただけると嬉しいです。

むせび泣きます。

・10年×片思い<40歳×独身=儚恋<無意識執着(恋愛)

・洗濯物とネガティブ(恋愛)

・転生したら、殺人鬼と一緒に国の暗部として働かされています!?(ファンタジー)

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悪役令嬢ギルド―ヴィオレッタ・リリアン・エグゼリアは、まだ恋愛エンドを受け取っていません! ナカモト サトシ @fho973

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