最終話灯火、再び

ハルキの暖かさに触れ、ずっと前に凍りついていたユキの心は、ゆっくりとけていった。ハルキの清潔な心は、ユキにとって忘れていた、太陽のような優しさだった。


ハルキの提案で、ユキは前に封印していた古いレシピを取り出し、少しずつケーキを作り始めた。最初は手が震え、嫌な記憶がよみがえったが、ハルキの明るい笑顔と、「本当に美味しい!」という優しい言葉に励まされながらもパーティーとしての感覚を取り戻していった。


店の雰囲気も変わっていった。ハルキが近所の人たちに積極的に声をかけ、新しいメニューのアイデアを出し、SNS での情報発信を始めたことで、「灯」に少しずつ客足が戻ってきたのだ。懐かしい味を求めてやってくるお客 や、ハルキの明るさに惹かれた新しいお客様で、店内は再び穏やかな賑わいを取り戻しつつあった。


ユキの表情も、以前に比べて柔らかくなった。客と簡潔に会話を交わしたり、ハルキと冗談を言い合ったりする姿も見られるようになった。過去の痛い出来事は、まだ彼女の心の奥底に影を落としているものの、今は、目の前の暖かい光に目を向けることができるようになっていた。


そして、ある夜 。店が閉店し、ユキとハルキが二人で片付けをしていると、一人の以前の顧客(こきゃく)である老婦人が、少しためらいながらユキに話しかけた。


「ユキさん……あの時のケーキ、もう一度食べたいと思っているんです。あなたが特に作ってくれた、あのハート型にケーキのチョコレートケーキ……」


老婦人の言葉を聞いた瞬間、ユキの胸に昔の記憶が鮮やかに蘇った。それは、彼女がパティシエとして一番輝いていた頃、大切な人のために心を込めて作ったケーキだった。しかし、そのケーキは、同時に痛い思い出と結びついていたのだ。


ユキは少し逡巡(しゅうんじゅん)したが、ハルキの優しい眼差しに励まされ、ゆっくりと口を開いた。「作ります。もしよろしければ、近いうちに再びいらしてください」


その日から、ユキは再び、ハートの形のチョコレートケーキ創造に没頭した。昔のレシピを取り出し、当時の記憶を辿りながら、一つ一つ丁寧にハートの形を選び、心を込めて作った。


そして約束の日、老婦人は嬉しそうに「灯」を訪れた。運ばれてきたハートの形のチョコレートケーキを見た老婦人の目には、暖かい涙が浮かんでいた。


「ありがとう、ユキさん。本当に……昔の味です」


老婦人の幸せな笑顔を見た時、ユキの胸の奥に暖かな感情が広がった。それは、昔の痛い思いでを乗り越え、また 、誰かのために心を込めて何かを作り、喜んでもらえた喜びだった。


店の灯りは、すっかり前のように明るさを取り戻していた。ショーケースには、色とりどりの美しいケーキが並び、甘く香ばしい香りが店内を満たしている。客たちの幸せな笑顔と会話が響き、そこには、ずっと前に失われていたはずの活気が確かにあった。


ユキは、カウンターの中で、忙しく働くハルキの背中を、穏やかな目で見つめていた。彼との出会いがなければ、この再び灯ることはなかっただろう。感謝の気持ちと、 暖かな気持ちが、彼女の胸を満たしていた。


店の外はすっかり夜の帳が下りていたが、「灯」の窓からは、暖かな光が平和な街を照らしている。それは、どん底から見出した小さな希望の光が、今は自信が暖かさとなって、あたりの人々をも優しく包み込んでいるようだった。


ユキは、深い深呼吸をした。店内には、甘いケーキの香りと幸せな人々の温もりが混じり合っている。彼女の目は、前のように、光を宿していた。


「ありがとう、ハルキ」


小さく呟いたその声は、夜の静けさの中に溶解したが、確かに、彼女の瞳の奥から溢れ出た、誠実な感謝の言葉だった。そして、その言葉は、ゆっくりではあるけれど、確実に光を取り戻した「灯」の、暖かな未来を予測しているようだった。

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古びた小さな喫茶店「灯(あかり)」 tyamizuneko @tyamizuneko

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