管領の首
@koheimaniax
第1話
「
さてご一同、お足元が悪い中おいで下さり、誠に光栄至極に御座います。
本日はこの
ここは新潟県上越市は中屋敷、日本海に面した山脈の東端に、かつて
あえて古い名で呼ぶならば、
春日山城はその上杉氏重代の家臣、
その春日山城は廃城となり、いまではほれ、ご覧の通り、古跡を残すのみとなっておりまする。
空掘や
これはこれ、詫びた景色にござるが、どうせならば往時の景観を、ここにご覧に入れまする。
さて、ここに時計がある。
ねじまき式の古い置き時計。
この真鍮の色合いが見事じゃろう?
この針を逆転させてみせよう。
さてご一同、
秒針、短針、時の針。ぐるり廻って、もうどれが時針か短信か、わからぬほどじゃ。
太陽は西から東へと沈み、中空を雲は駆け回り、雨の雫、空から降る雪は天へと帰ってゆく。
時が逆転してゆくのがお分かりであろう!
するとどうじゃ、破却された城郭が、逆回しにみるみる地から生えてくる!
さてもさても、実に見事な眺めでござる!
山裾をみゆれば、あちこちに飜るは九曜紋の旗印。これぞ、関東を席巻した、長尾の軍旗にござる!
さてお立ち合い!
ここは春日山城は本丸。
頂上に位置する長尾氏の館。
板張りの床の間には、家臣が具足を着込んでずらり、と並ぶ。
その上座、
六尺近い頑強なその身を、甲冑で覆った堂々たる偉丈夫で、顔には大小の傷が刻まれている。
その視線の先に、白木の桶が一つある。
桶は塩で満たされ、その先端には白い肌と、
為景はその木札をじっと凝視する。
「
越後はもとより、関東全域をその手腕によって支配してきた男。
一度の敗北と再起により、為景は辛くも顕定を討つことができた。
故にこの首は、越後一国の支配権が為景の手元に転がり落ちて来たことを示す、何よりの証拠であった。
だが、為景の内心には一つの影が射す。
それを察したか、上座に最も近い場所に座る老将が、口を開く。
「為景殿、何を考えておいでか」
「
「何を異な事を、儂が顕定を追い詰めた際、彼奴は既に腹を切り、事切れておったのですぞ」
政盛は怪訝な顔で為景を問い糺す。
そも、長森原の戦で顕定を自刃に追い込んだのはこの政盛である。
そして目の前にあるのは、疑いようもない顕定の首。
一体、何の不安があろうか。
為景は、内心の存念を口にする。
「思えば、顕定という男は自らの手足を切り落とし、代わりを据えて生きながらえてきた男。まず、臣下の
政盛は頷く。此度の戦において、景春は関東の動きを為景に伝える
「次いで分家の
瞑目しつつ、為景は道灌を偲ぶ。
「左様。道灌殿こそ、政戦兼ね備えた名将にござったな。だが、道灌殿は扇ケ谷に誅殺され申した」
政盛も頷き、かの名将を惜しんだ。
「聞くところによると、これにも顕定の謀略があったと聞き及んでおります」
「是非もない。そして、道灌を誅殺した扇ケ谷は
そも、長享年間の大乱は、この道灌の死をきっかけにしたものだった。
「そして、仕舞いには我らじゃ!我ら越後の
為景の肩が、怒りに震えた。
「なれば、この男が潔く腹を切るであろうか」
「しかし、首実験は既に済んでおりますれば、この首は間違いなく顕定のもの」
桶から取り出すまでもない。だが、為景は命じた。
「顕定の首をこれに」
側仕えの侍が
筵の上に、塩が散る。塩は既に、首の切り口から漏れ出た血漿を吸い取り、水分すら吸収していた。
やや皺くなった首を、為景は凝視する。
だがその時、管領の首に異変が生じた。
固く閉じられた瞼が、
首は宙に浮き上がり、首元から半透明の背骨が生じた。
背骨から肋骨が、両肩からは両腕の骨、腰骨が、腰骨から膝、足先が生えだしてくる。
骨より肉が生じて赤と青の血管が肉を覆った。
ぼたぼた、と赤黒い血が顕定の足元に池を作った。肉からは血が吹き出し続け、生暖かい雫が数滴、為景の顔に降りかかる。
前管領上杉顕定は、因果の狂いか、再びこの世に舞い戻ってきたのである。
「俺が潔く腹を切るかと問うたな、逆賊為景」
「
この世のものとも思われぬ出来事にも、為景は屈しなかった。否、むしろ此は好機。知る事のできなかった顕定の死に様、篤と拝聴しようではないか。
「ならば聞かせてやろう。俺は、腹など切ってはおらぬ!ただ、手足を取られただけなのだ!」
手足を取られた?雑兵に裏切られでもしたのか。
しかし長森原で顕定を守って戦った士卒は、雑兵にあっても勇猛果敢な錬磨の士であった。
ならば裏切りはあり得ぬ。
「誰に手足を取られたと?」
「見るがいい!」
顕定の左足には、美々しい甲冑の武者が取り憑いていた。桔梗をあしらった飾り兜の武者である。
「道灌殿……」
顕定の右足には、甲冑に烏帽子を被った髭面の堂々たる勇士。鎧の直垂には、「竹に雀」の家紋。
「扇ケ谷定正殿……」
そのほか、顕定の背後には戦禍で死んだものが数多く取り憑く。その数、幾百、幾千。
「俺は手足を取られ、雑兵の亡骸の上に倒れこみ、其奴が握った短刀を自ら腹に突き刺さしたのだ」
顕定は息も絶え絶えに言う。
言いつつ、虚空に手を伸ばすと、骨でできた薙刀が、顕定の両手に握られていた。
「貴様だけでも、道連れにしてくれよう」
「笑止……」
為景は、腰に吊るした
銘は
佐渡の荒波を映し取った如き大乱れの刃紋が、ぎらりと光を放った。
「死ね!為景!」
先に仕掛けたは顕定、薙刀の長さを活かして切り掛かるも、為景はその切先を下段からの振り上げで切り払い、その勢いのまま距離を詰める。
上段に振り上げた剣先が勢いよく振り下ろされ、顕定の右腕を断ち落とす。ついで、手首を捻って打ち上げられた逆袈裟の一撃が、左手を切り飛ばした。
為景は刀を身体の左側面に沿わせるように構え、横一文字に刀を振り抜いた。
顕定の両足が断ち切られ、その太刀筋は両足に取り憑いていた道灌・定正すらも両断した。
──当方滅亡
その囁きを虚空に残して、道灌と定正は虚空に溶けて消え去った。
両手、両足を失った顕定は、口からはぼたぼたと、黒い血を流し、天を仰いだ。
その様を、為景は冷ややかに見下ろした。
「貴様が切り捨てててきた者達の痛み、今こそ思い知るがいい。さて顕定……」
為景は、顕定に歩み寄って呟く。
「残すところは首だけと相なったな」
そう言うや否や、為景は抜き打ちの一閃。
春日城の板の間に、管領の首が転がった。
管領顕定、二の舞を踏み一巻の終わり!
────どこからか太鼓が鳴り、真鍮の時計が回り出し、春日山城は消え果てる。
さてさて、時間と相成りました。
これにて御免仕る!
拙いながらもご清聴頂きまして……
誠に!誠に!有難う御座りました!
────拍子木の音が響き渡り、語り部の姿がふっ、と消えた。
了
管領の首 @koheimaniax
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