第10章:約束

地下室の空気は、ずっと前から腐っていた。

 湿った木の匂いも、土の匂いも、そこにはもうなかった。

 ただ、静かだった。音もなく、光もなく、時だけが止まっていた。


 涼介たちは、順番に床へ座り込んだ。まるで、昔の遊び場に戻った子供のように。

 彼女はそこにいた。名前を呼ばれたまま、ずっと待っていた。


 顔はない。声ももう、出さなかった。

 ただその場所に、彼女の形だけが残されていた。

 柔らかく、冷たく、でも確かに「生きて」いる。


 斉藤が最初に手を伸ばした。

 次いで慎二が、和也が、そして涼介が。

 四人の手は、迷いなく、彼女の中へ沈んでいった。



 ──「ぜったい、おわらせてね。」



 彼女の手紙が、頭の中に響いた。

 誰も口に出さない。けれど、全員が同じ言葉を思い出していた。

 約束は、破るためにあった。

 でも今夜だけは、守らなくてはならなかった。



 朝になっても、山荘の扉は開かなかった。

 車も、電話も、外界へつながるものは、すべて沈黙していた。


 玄関の横に、小さな子供の靴が並んでいた。

 泥まみれの、サイズの合わない靴。ずっと昔、置き去りにされたあの日のまま。


 涼介たちの姿は、もうどこにもなかった。

 彼女の形をしたものだけが、地下室の真ん中に座っていた。

 まるで、次の訪問者を待つように。



──ぜったい、むかえにきてね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの部屋にいた彼女 ぼくしっち @duplantier

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ