センス・オブ・ワンダー - 濃尾
濃尾
センス・オブ・ワンダー - 濃尾
センス・オブ・ワンダー - 濃尾
1
それはある日、ある小さな神経生化学ラボで突然起こった。
「ロゴス」なき世界。
そこにあるのはただ「センス」だけ。
「なんとなく」「いい感じがした」「ふと考えついた」。
直感だけが存在し、合理的説明は後付けさえできない。
AIを凌駕する人間の直感。AIによる分析は不可能だったが、なぜかうまくいった。
「技術者」トムはアーンドクロサンドを設計していた。
アーンドクロサンド――太陽系外へ通じる、地球側のポータル。
虹色に脈打つリングが虚空に浮かび、空に不思議な影を落としている。
「すごいな。いいよ! わかる!」
脇を通る同僚が笑顔で肩を叩いた。
トムはうなずきつつも顔を曇らせた。
オレもそう思う。…でも、これが動く理由が本当にわからない。気持ち悪いくらいだ。
彼の手が触れるたび、リングの表面がイカの皮膚のように色を変え、かすかな振動が響く。
トムは目を細め、胸のざわつきを抑えきれなかった。
物理学、工学、化学――すべての自然科学が築いた学問的合理性に基づく創造性は崩れ去った。
生み出された創造物は、微視的レベルから巨大なストラクチャーまで、生き物に似ていた。
イカの色素胞のように、触れるたびに色を変える塗料。
ロケットエンジンを超える脈打つ動力源。
エネルギー源不明の装置さえ作られた。
すべての機序は不明だ。安全対策もできないが、なぜかうまくいった。
やがて人間はこの世界に慣れ始めた。
それから7年。
地球の文明は「アフター」以後と「アフター」以前に分けられるようになった。
いまや「アフター」以前の文明の産物は、博物館にしか存在しない。
いや、「アフター」以前の産物だけで暮らす選択をしたコミュニティも、細々とだが存在した。
彼らは奇異の視線にさらされ、蔑まれ、観光資源と化した。
山間にある一つの集落。
その入口には、風化した看板に堂々と「知る喜び」と刻まれていた。
「いいか? 今の『直感文明』は人間を堕落させた! 心に巣くう悪魔の仕業だ!」
年老いたサーゴ師が、埃っぽい図書室の教壇で若者たちに叫んだ。
「サーゴ師、『悪魔』の存在を証明してください!」
一人の若い女性が鋭く問い返す。
「むっ! 良い質問じゃ! 非存在の証明は原理的にできん! 『悪魔』とは暗喩じゃよ。人間の愚かさのな! だから我々『真実の探求者教団』は教えを守らねばならん! 『優れたデータこそ命!』」
「『優れたデータこそ命!』」
皆が声をそろえて復唱した。
その夜、教団の集落で、人影が消えた通りを暗い影が走った。
正面ゲートを避け、闇に紛れた少年が息を切らす。
「いつまでもジジイ共のご託を聞いてられるか! オレは直感に従う!」
彼は街の灯りへ向かって駆け出した。
「アフター」以後の人間生活は、「アフター」以前の人間には奇妙に映った。
人はまるで細胞小器官のようだった。ある場所、あるタイミングで、ぴたりと収まるべき場所に収まる。
活動範囲は地球外、太陽系外まで広がった。
人間は「生きるために知る」ことから解放された。
いまや誰もが、何も知らなくても生きていける。
2
『直感文明』に憧れて集落を抜け出した少年は、都市生活者になっていた。
彼の名はサム。
今、サムは浮遊ドームの支柱を調整している。
「うーん……」彼の顔が険しい。
「よう! サム! 腹でも痛いのかい?」
同僚のルティが近づいてくる。
「違うんだ。ここの支柱、どう思う?」
サムが指さす支柱は、触れるたびに微かに震え、色を変えた。
「ええ? ……いいね! これはうまくいくよ!」
ルティが笑う。
「どうして?」
サムが食い下がると、ルティの顔が一瞬曇った。
「どうしてって……お前、変だぞ。帰って寝ろよ」
ルティは背を向け、サムは背筋に冷たいものを感じた。
彼の胸に不安が広がった。
3
直感文明の崩壊は、少しずつ広がった。
最初は些細な事故だった。
塗料が突然黒く変色し、壁が溶け出した。
動力源が脈打つようにうなり、小さな爆発を起こした。
人々は笑って済ませたが、事故は増えていった。
「原因」という概念は、誰の頭からも消えていた。
人間の直感が、作用不良を起こしたのだ。
決定的だったのは、スカイアイランドの連続落下だ。
空を覆っていた巨大な島が、轟音と共に傾き、地面に叩きつけられた。
破片が空を舞い、海に沈んだ。
誰にも原因はわからない。
人々は直感的に「何か変だ」と気づいた。
それがパニックになるのに時間はかからなかった。
「知の宝庫」であった場所が顧みられなくなり、10年が過ぎた。
捜索隊が再発見した「アフター」以前のコミュニティは、15箇所にのぼった。
その中には「真実の探求者教団」もあった。
人間は科学的方法論を、AIから学び直すレベルに衰退した。
もう一度、最初からやり直しだ。
きっとうまくいくはずだ。
……私の直感では。
完
【あとがき】
月に一回ぐらいのペースで「降ってきた」小説のアイデア。
Xのスペースで音楽スペースを初めてからここ4か月、音沙汰ないので
「アウトプットが変わったのかしら?まあいいか」
と思ってたら、今朝、半覚醒の頭に降ってきた。
小さな作品だが出来ただけマシ。
センス・オブ・ワンダー - 濃尾 濃尾 @noubi
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