偏愛のカレーライス

鴻上ヒロ

俺の偏愛

「おい西谷、お前やっぱこだわり強いタイプだろ」

「なんですか? 急にそげんこと言うてから」


 普段より長めの昼休憩。俺は、先輩に捕まってしまった。俺はこの人のことが、苦手だった。なんかズケズケと色々言ってくるし、そもそも目つきが少し怖いし、スーツもなぜそれを選んだのかと問いただしたいような派手めな色だし。

 いくら風俗のボーイだからって、柄シャツに赤はないだろ赤は。

 しかも接客業なのに、髭だ。

 以前は、風貌に合わせて服を選んでいるのだと思っていた。ボーイもキャストも、みんな口を揃えて言うのだ。マネージャーはイカツイからなあ、と。


 そんな先輩は俺の返事を聞いて、快活に笑っている。


「そういうとこだよ、いいか? 東京に来た地方の奴はな、だいたい東京に染まるもんなんだよ」

「はあ、ばってんそげんこつ人それぞれやなかですか」

「多少方言が残るのはわかる。地元は大事だしな。だけどお前のは濃すぎるんだ」

「まあ、おばあちゃん子でしたからねえ、俺」

「敬語にまで方言残る奴は珍しいぞ? お前何年こっちにいるんだよ」

「え、大学からやけん……7年ですね」


 福岡の県立高校を出て、東京の大学に入ったのが懐かしい。結局、大学に馴染めずに三年で中退し、職を転々として去年この業界に入ったのが、昨日のことのようだ。

 俺は別に地元愛が強いとは、自分じゃ思っていない。標準語だって、喋ろうと思えばイントネーション以外は多分喋れるんだ。


「そういうとこがこだわり強いって言うんだよ」

「ですかねえ……」

「昼飯カレーがいいんだったよな? そこにインドカレー屋があるからそこでいいな?」

「インドカレー……ですか」


 俺は、苦い顔をしてしまったと思う。先輩が俺の顔を見て、顔を顰めているからわかる。

 インドカレー。

 昼飯にカレーというのは、俺が言い出したことだ。店を出るときに先輩に捕まり、「何食いたい?」と言われ、腹に従ってカレーと答えた。

 それを汲んでくれたのはありがたい。


 だが、違う、そうじゃない。


「インドカレーは不服か?」

「先輩、俺カレーば食いたいっち言いましたよね」

「だからインドカレーなんじゃないか」

「普通、カレーば食べたいっちときにインドカレーはなかでしょうよ」


 俺の言葉に、先輩はますます顔を顰めた。その顔を見ていると、なぜだか無性に言い負かしたくなってくる。

 カレーとインドカレーは別物なのだ、と。

 カレーと言えば日本式カレーライスであり、インドカレーはあくまでもインドカレーなのだ。そこのところを誤解されては困る。


 ついムキになって、俺は先輩に滔々と思っているがままを語ってしまった。

 先輩は肩を竦めて笑っている。こういうところも、前はどうしても苦手だった。こっちは真剣なのに、「はいはい」と子供を見るかのように笑うのだ。


「やっぱりお前、こだわり強いよな。偏愛タイプだ」

「いや先輩がおかしいんですって、カレーとインドカレーは別ばい」

「じゃあどういうカレーがいいんだ? シティカレーか? 喫茶店のカレーもいいよなあ」

「は? シティカレー? それもよかですけど、よかですけど!」


 シティカレー。具がゴロゴロとしておらず、ルーに溶け出しているタイプのカレーだ。喫茶店カレーなんかは、だいたいこれだろう。

 というか、世のカレー屋というのは大方これだ。例の大手チェーンも、トッピングをしなければシティカレー。


 だが、違うのだ。

 やっぱり、この先輩とは好みも合わないらしい。


 俺は、小さくため息を吐いた。


「じゃもうよかですよ、ココイチ行きましょうよ」

「ダメだ、お前が完璧に満足するカレーを探すぞ」

「はい?」


 まただ、また始まった。

 俺のことを偏愛主義だのこだわりが強いタイプだのと言うのに、この人はいつもこうだ。こっちが妥協しようとすると、頑なになる。ココイチも俺は好きだ。野菜をトッピングすれば、たちまち俺の好みのカレーに近くなるから。

 だが、こうなった先輩は止まらない。

 ココイチの野菜トッピングは確かに、俺の好みドンピシャではない。


「休み時間終わっちゃいますよ」

「知るか、俺は探すぞ」

「はあ……わかりました」

「じゃあ、結局どんなカレーが好みなんだ?」

「まずポークやなくビーフです」

「おう」

「サラッとしてるのはいけんとです。家んカレーのごたドロッとしとうルーがよかです」


 先輩がスマホを片手に、メモをしている。仕事ではメモを取れと一度も言ったことがないのに、こういうときばかりは熱心にメモをしている。

 この人も十分、色々偏っていると思う。


「具材はなんでんよかですが、ゴロッとしよるんは必須ですね。だけど野菜だけゴロゴロというのは違います。肉もゴロッとしとってほしかです。あとピーマンとか茄子とかは気分やなかですね。夏野菜カレーはまた別物です」


 この点が、ココイチが俺の好みに完全に当てはまらないところだ。野菜がゴロゴロしているのはいい。すごくいい。

 だけど肉! 肉がないんだ。


「具のこだわりが強いな……ああ、辛さは?」

「辛いほうがよかばってん、激辛はいけんと思います」

「まあ旨味が感じられにくくなるからな」

「はい」

「まとめると……辛口のお家カレーみたいなことか」


 雑にまとめられてしまったが、間違ってはいない。

 頷くと、先輩は「よっしゃ」と言って歯を見せた。迷惑客が裸足で逃げ出すような屈強な体格をしているのに、笑うと子供っぽいのが前は苦手だった。


 少しして店を見つけたらしく、先輩が「ついて来い」と歩き始めた。後ろを歩くと、先輩の広い肩幅がよくわかる。イカツイスーツが、本当によく似合っている。

 こういうところも、前は苦手だったのだ。


 しばらく歩いて辿り着いた店に入ると、スパイスの芳醇かつ刺激的な香りが鼻腔をくすぐった。カレー屋に入った瞬間のこの香りと、そこに混ざるライスの少し甘い香りがたまらない。

 二人がけのテーブル席に通され、水を飲む。周囲にも何人かの客がいるようだったが、ランチタイムということを考えると少なく感じる。

 あまり繁盛店ではないらしい。


「ほらな?」


 先輩が、なぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「店で食うカレーはインドカレーかシティカレーなんだよ普通」

「いいやおかしかですよ、みんな田舎カレーで育っとうとやなかですか? そいがなして外食やと通ぶったり都会派ぶったりしようとですか」


 そうだ。

 都会に来た途端に方言を恥ずかしがる地方民も、外食にした途端に家で作る好みのカレーとは違うカレーを食べようとする人たちも、どうも気に食わない。

 先輩だって、そうだと思っていた。

 この人も東京出身じゃない。関西出身だ。

 それなのにすっかり方言は抜けている。それが気に食わなかった。


 カレーが来るまでの間、俺は先輩と以前話したときのことを思い出した。あの日は、先輩の希望でインドカレーを食べていたのだ。

 なんで関西出身なのに東京の言葉で話すのかと問うと、彼は笑って答えた。俺は都会肌だからな、と。聞くと神戸出身らしい。

 それからスーツに関しても良い機会だからと聞いてみると、彼はまた笑ってこう答えた。赤が好きだし、赤って気合が入る色な感じがして仕事にはいいんだよ、と。


 そのときの会話で、ずっと先輩のことを勘違いしていたのだと気づいた。


 今目の前で、右手でプライベート用のスマホを弄りながら、左手で仕事用のスマホを弄っているこの先輩は、人に合わせているわけじゃない。ましてや見た目のイメージ通りの服を着ようというのでもない。

 髭も、シャツの柄もスーツの色も、言葉遣いも、全ては彼の偏愛なのだ。


「お、来たぞこれだろ、お前の偏愛するカレーは」


 店員が運んできた皿に乗っていたのは、カレーライスだ。至って普通のカレーライスという見た目だが、これだよこれ。俺が愛するカレーライスはこれなのだ。

 ルーは黒ではなく茶色。見るからに具がゴロゴロとしているが、具のラインナップは決して奇をてらってはいない。じゃがいも、人参、玉ねぎ、コロッとした大きめの牛肉だ。スプーンで掬い上げてみると、ルーに肉の筋が浮かんでいるのが見える。

 思わず、涎が出そうになった。


「肉や野菜をしっかり溶かした後、別で野菜を入れてますね」

「どうなんだ? そういうカレーは」


 先輩の言葉を聞きながら、スプーンで掬ったルーと米を口に運び入れる。すかさず大きな肉を口に放り入れると、思わず笑いそうになってしまった。

 まず感じたのは肉や野菜の甘みだ。ピリッとしたスパイスは後からじんわりときいてくるが、決して主張しすぎることはない。後味と辛さを演出しているに留まっており、これのおかげで次の一口へのスプーン運びが思わず軽くなる。

 肉もしっかりとした食感があり、柔らかくも食べごたえがあるし、旨味も消えていなかった。思った通り、後から入れているのだ。


 正直、めちゃくちゃうまい。


「うまいです」


 俺が言うと、先輩は「そうか」と歯を見せて笑い、カレーを食べ始めた。一口食べた瞬間、彼の目が見開かれた。


「まじでうまいなこれ」

「ね? インドカレーやなくてよかったでしょ?」

「まあでも俺はインドカレーも好きだけどな」

「知ってます」


 彼もまた偏愛家であり、思考も嗜好も偏っているのだ。過去に付き合った女性の写真を見せてもらったことがあるけど、どの人も似たようなタイプだった。

 そのことにチクリと胸が痛んだし、思い出している今も痛むが、カレーが美味いから中和されている気がする。


 苦手じゃなくなった先輩の笑顔を見ながら食べるカレーは、なんとも甘く辛いな。

 どうして先輩は、カレーにはこだわりがないんだ。


 あーあ。

 俺が偏愛家じゃなけりゃ、こんなに苦しい思いをすることはなかっただろうに。


 だけど、偏っていて良かったのかもしれない。俺がずっとこういうカレーが好きなように、きっと先輩のこともずっと好きなんだろうから。

 互いに互いの色に染まることがない偏愛家同士の、この関係が、今はたまらなく心地よいのだから。


「先輩、明日はラーメンば食べましょう」

「どうせまた豚骨だろ?」

「当たり前ったい、細麺硬めの豚骨以外は認めませんけん」


 そう言うと、先輩はまた笑った。


「いや明日は一人で食え。俺はラーメンは断固醤油。それ以外は認められない」

「先輩も十分偏ってますよね」

「こればかりは譲れん」


 なんだかおかしくなり、俺は声をあげて笑った。

 それからまたカレーを貪るように食べ、思った。


 やっぱり、偏っていなければ苦しまなかったかもしれないけど、偏っていてよかった。




 ――終――

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偏愛のカレーライス 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

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