第5話:最後の手紙は、ポストに眠る

 数日後、春の風が少しだけ夏の匂いを含みはじめた頃、ひかりは祖母の家の縁側に座っていた。

 目の前には、変わらずそこにある赤いポスト。長年風雨にさらされ、錆びたその姿はどこか懐かしく、そして誇らしげにも見える。


 祖母が綴り続けた手紙。

 送られなかった言葉。

 それでも、その想いは、時間を超えて誰かに届いた。


 ——今度は、ひかりの番だった。


 机の上には、一通の手紙が置かれている。

 差出人は「安西ひかり」。

 宛名には、ただひとこと——「Y.K 様」。


 その中に綴ったのは、祖母の代わりに伝えたかった感謝の言葉と、あの日ベンチで交わした静かな会話、そして自分の気持ちだった。


『祖母は、あなたの手紙をきっと毎週、楽しみに待っていたと思います。

 届くはずのない言葉に、何度も心をほどかれていたのだと、今ならわかります。

 あなたの言葉が、祖母の時間を温かく支えてくれていたこと。

 それを、心からお礼申し上げます。』


 書き終えたとき、不思議と胸の中にあった重たいものがすっと軽くなっていた。


 ひかりはゆっくりと立ち上がり、赤いポストの前に立った。

 錆びた投函口は、音もなく、静かに開いた。


 封筒を中に入れると、軽い感触とともに、手紙はポストの底に吸い込まれていった。


 郵便配達が来るわけでもない、古いポスト。

 でも、きっとこのポストは、ただの箱ではない。

 祖母と誰かの想いを繋げてきた、優しい「通り道」だったのだ。


「……これでよかったんだよね、おばあちゃん」


 声に出すと、風がふわりと頬を撫でていった。

 まるで祖母が「ありがとう」と返してくれたような気がして、ひかりは微笑んだ。


 それからの数日、赤いポストに新しい手紙が届くことはなかった。

 きっと、あの人にとっても、あれが最後の返事だったのだろう。


 それでいい。もう、言葉は届いたのだから。


 東京に戻る日の朝、荷造りを終えたひかりは、ポストにそっと手を添えた。


 「この家は、もうすぐ取り壊される。でも、このポストだけは残しておいてほしい」と、町の職人さんに頼んである。

 今は使われなくなったこの小さなポストが、これからも誰かの“記憶”を受け止めてくれるような気がしたからだ。


 駅に向かうバスの窓から、赤いポストが一瞬だけ見えた。

 春の光を浴びて、それはまるで、何かを見送るように静かに佇んでいた。


 ——最後の手紙は、たしかにポストに眠った。

 けれど、言葉はそこからまた、誰かの心へと旅立っていく。


 それを信じられるだけのやさしさが、ひかりの中にはもう、確かにあった。

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最後の手紙は、ポストに眠る るいす @ruis

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