終章

その手に握るものは

 冬の陽がステンドグラスを通して、床に優しい模様を描いていた。グランドン王国女王の居城エルデンリッジの一角に、ひっそりと設けられた一室がある。それは女王エリザベスが家族や親しい臣下たちと心安らぐ時間を過ごす部屋である。


 部屋の中心には八角形の大きな卓が鎮座している。金属細工の名工が代々守ってきた鍛金技法で作られたもので、縁にはグランドン王家の紋章である金獅子と白薔薇が浮き彫りにされている。

 光の加減によって陰影が柔らかく浮かび、王家の威光とともに、どこか温もりをもたらしている。


 ここにはエリザベスの孫とひ孫、そしてライオンの姿があり、にぎやかな時間を過ごしていた。



「ああ、シャーロット様、そちらの帽子は晩餐用で……!」


 お茶を用意しているメイド服姿のクレアが声を上げる。


「あら、いいじゃない。今日はこれでいきたい気分なの」


 シャーロットは涼しい顔で返しながら、鏡の前で大きすぎる羽根付き帽子を傾けていた。七歳とは思えない気品である。


「へへーん、かっこつけちゃって」


 一方、こちらはお洒落には今のところ無頓着なジョージだ。彼は獅子の毛をいている女性に近づく。


「ヘクター。僕にもやらせてよ」


「まあ、ジョージ。あなた、この前レオの毛を逆撫でして吠えられたばかりじゃない」


 ヘクターが笑顔で五歳になった甥っ子を諭すのだが、早くもジョージはその手からブラシを奪い取る。レオンハルトが慄然とした面持ちで小さな理容師の手並みを見守った。


「ジョージが悪戯いたずらしたら食べちゃっていいのよ、レオ」


 ハロルドは片膝をついて、こわい発言をするシャーロットの帽子を直していた。巨漢が姪っ子の顔の高さに合わせてかがむその様は微笑ましくはあるのだが、左の袖はひらりと揺れる。彼の左前腕は、もう無い。


「ハル。左手、まだ痛む?」


「もう大丈夫だよ、ありがとう。少し不便なだけさ。……それより、その帽子なら王侯狩猟会セレスティアル ハントでかぶっても似合いそうだね」


「もちろん、それも考えていたわ」


 シャーロットは得意げだ。


「陛下、お飲み物を……」


 クレアが女王の元へ茶杯を差し出す。


「ありがとう」


 部屋の中央に鎮座する八角卓オクトグラに座るエリザベスは微笑みながら銀縁のカップを受け取った。御年九十歳、白銀の髪を優美にまとめ、天使のような微笑みを浮かべながらも、その目には国を見つめ続けた鋼の意志があった。

 女王は忠実な臣下に訊ねる。


「ところでクレア……。例のものは持ってきてくれたかしら」


「はい、仰せの通りに」


 クレアは自ら持参した荷物の中から年季の入った木箱を取り出し、それを仰々しく持ち上げた。その場にいた者は彼女の行動に釘付けになる。


 エリザベスの声が柔らかくも厳かに響いた。


「ハロルド、それから皆も。こちらへ来て、席につきなさい」


 部屋にいた者達は「なんだろう?」と思いつつも順次、既にお茶が配膳されている八角卓へ腰かけていく。レオンハルトもいている席にあがろうとすると、シャーロットにダメとしつけられてしまい、渋々エリザベスの隣に回った。

 そんな獅子のたてがみを優しく撫でる女王の目の前に木箱が運ばれてきた。


 クレアが丁重に箱を開き、緩衝材の中から取り出したのは――特殊な素材と魔法の刻印が織りなす美しい義手だった。


 義手の指には関節があり、魔力で制御される魔導線が淡く青白く輝いていた。掌の中心には、淡い緑色の結晶石マナスフィアが埋め込まれている。


「うっわあ」


 ジョージは思わず歓声を上げた。「ハル! それ、つけるの⁉ かっこいいなあ」


「わわ、ジョージ様、卓に上がっては危ないですから」


 クレアがあたふたしてジョージを下ろすが、年少の王子はおかまいなしにはしゃぎ続けた。


 だが、義手を見下ろすハロルドの顔には、喜びや期待ではなく、どこか影が落ちている。


「……これは、王立工廠アークフォージで?」


「はい。陛下の特命で、半年かけて製造したものです。装着者の脳波に反応し、細かい動作を補助します。企画段階からアルメギル、つまり神の力を持つ腕と名付けられ……」


「ありがとう、クレア」


 ハロルドは、ゆっくりと義手に触れた。指先が金属の甲に触れると、その表面を青白い光が静かに走る。


 しかし彼の目は義手ではなく、どこか遠く――過去を見ていた。


「おや、ハロルド。どうかしましたか?」


「……手首のない者を見た」


 ぽつりと、低く静かな声が落ちた。


「老人だった。彼は――ずっと僕を見つめていた。恐れているようにも、怒っているようにも思えた」


 クレアは焦った。「ハ、ハロルド殿下。何もこのような場所で……。幼子もいらっしゃるのですから」


 だが、ハロルドは止まらなかった。「あれは……資源と利権を求めて群がった僕達西方社会オクシデントの人間が行った非道だった。でも僕らはそれを知らないまま恩恵だけを受けとり、発展してきた。王立工廠も、アイゼンホーク社も」


 ジョージが、ぽかんと口を開けて見上げていた。シャーロットは大事なことだと察して押し黙った。子どもにはまだ理解しづらい社会の現実。(なお、王位継承順位の低いユアンやハロルドなどはアイゼンホーク社の株を個人保有している。)


「人の手で、希望も未来も、簡単に断たれる」 ハロルドは、自らの左腕を一瞥した。「一度奪ったものは返すことができない。僕にこれを扱う資格はあるのか」


 グルル……。レオンハルトは何かを言いたげであったが、エリザベスに鼻先をトントンされたので、黙った。


「ハロルドや。あなたのその手が何を握るかは、あなた自身が決めることです。この義手は、破壊にも、癒しにも使える。人々はそれを見て、自ら問うことになるでしょう。人が持つ力とは何か、と」


「それは分かっているよ……」


「あなたは、自分だけが傷を知っているとでも? あなたが苦しめば、誰かが喜ぶとでも? あなたが手を差し出さなければ、何かが正される?」


 女王の声に怒りはなかった。けれど、凍てつくような威厳がそこにあった。


「罪を忘れてはいけません。けれど、自分が罰を受けることで帳尻を合わせようとするのは、それは『赦し』ではなく『演技』です。あなたはプルーアにおいて大国の傲慢を知った。けれど、だからこそ使いなさい。その手を。もう一度、誰かを守るために」


 ハロルドは返す言葉を失っていた。


 重ねた年月の中で、数えきれぬ戦争と、平和と、裏切りと和解を見てきた老女王の声は、柔らかくも揺るがなかった。


「私はあなたにその選択を託します。女王としてではなく、一人の人間として」


 ハロルドは目を閉じた。そしてゆっくりと、右手で義手アルメギルに触れた。手甲に施された結晶が緑の光を放ち、わずかに指が動く。ジョージは「うわっはあ」と大喜びだ。


 緊張した空気がそれで緩和され、楽しいお茶の時間となった。クレアがオーブンで焼き上がったばかりのスコーンにクリームとジャムを添えて運んでくると、シャーロットもたちまち歓喜の声を上げた。


「あれぇ、ヘクター。スコーン食べないの?」


 シャーロットにとっては叔母にあたるヘクターに話しかける。若い叔母は手元のタブレットから顔を上げて微笑んだ。


「うふふ。友達からメールが届いたのよ」


「男の人?」


「そう見えなくもないかな。でも可愛い女の子よ」


「グランドンに来るの? わたしも会いたいな」


 クレアの赤毛がぴくんと跳ねる。


「じょ、冗談ではありません。あのような者をシャーロット様に合わせるなど……きゃああっ」


 突然クレアが悲鳴を上げた。何事かと思えば、ジョージがハロルドの義手を抱えて彼女の腰をつついていたのだ。呆れるエリザベスに忖度そんたくしたのか、レオンハルトが直ぐに義手をジョージから取り上げる。

 それを受け取ったハロルドが左腕に装着すると、義手はまるで生まれた時から共にあったような自然の挙動をみせた。


「僕にも紹介してほしいな、ヘクター。なんだか不思議な運命を感じるんだ」


「まぁハル。今度はヘクターのお友達に手を出すつもりね! せっかくわたしがあなたのことを、今度の狩猟会の相手に誘ってあげようと思ったのに」


 ぷんぷんと頬を膨らませるおませな姪に困った叔父が、義手で頭を掻きながら言い訳を繕う。


「そうだ、その子も誘ってみんなで行こう。きっと楽しい思い出になると思うよ」


「とても素敵なアイデアね、兄さん。でも彼女、あまり時間がないみたいなの」


 ヘクターは再び手元のタブレットに視線を移した。そこにはメールと共に写真も添付されている。

 船着き場で今から船に乗るところを自撮りしている写真だ。


「ね、レイ……」





(第四章へつづく)

 https://kakuyomu.jp/works/16818792435532023656


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機罡戦隊ーきこうせんたいー3 女王エリザベスと獅子の試練 あおくび大根 @aokubi

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