第32話 第3章 ロックにさほど知能は要りません。要るのは根気と感情です(12)

 ステージに足を踏み出した瞬間、照明の熱が体を包んだ。息が詰まるくらいの眩しさ。客席は暗くて、誰の顔も見えないけど、それでも分かる。みんな、こっちを見ている。


『ドクッ、ドクッ』と心臓が高鳴って、今にも外に飛び出しそうだ。そんなわけないのは、分かっている。でも、どうしてもそう思ってしまうくらい、爆音で脈を打っていた。


緊張をほぐすために、マイクを握りぎこちない挨拶をした。観客の反応はややウケだった。お世辞にもうまい挨拶じゃなかったが、


 横を見ると、南川さんが静かにチューニングを確認している。東ノ宮さんはスティックをくるっと回して、いつもみたいに軽く天井を見上げた。西郷さんはベースのボリュームを整えながら、深く深呼吸していた。ノースさんは、キーボードに手をつけながら俺にだけ分かるくらい小さく頷き、それを見ていた東ノ宮さんは真剣な表情で、ドラムスティックを上に掲げて始まりの合図をした。


 東ノ宮さんのドラムが『タン、タタ、タン』と鳴り、その心を蹴飛ばすような、強くて優しいリズムに西郷さんのベースの重低音が重なり、二つのリズムが交わり一つの大きなリズムになった。


 そのリズムに、南川さんの力強いが精密なギター音とノースさんの繊細だけど芯のあるキーボード音が静かにドラムとベースの音に重なりシンフォニーを奏で始めた。このアルペジオに、何度も歌声を合わせたことを覚えている。


 握ったマイクを口元に移動させ、俺はそっと息を吸った。そして、腹の底から静かなエネルギーを出すように声を喉奥から響かせた。



【1番 Aメロ】

誰も知らない ページの奥に

今日投げつけられた言葉を書いてきた


冷笑も 無視も 叱責も


薄汚れた字で まだ消せない


 今までの人生で経験したことない不思議な感覚だ。頭で考える前に歌詞が、勝手に出てくる。心が、それに追いついていく感じだ。路上ライブをした時よりも、次に自分がこの空間に響かせるべき言葉が分かった。何度も練習して、失敗して、練習した成果が早くも実感できた。


【1番 Bメロ】

読み返すたびに 胸がざわめく

それは、心に向き合った証だ


 サビに入る前の短い間奏には、挨拶をしていた時よりも視界が鮮明に開けていた。客席の暗闇の中で、何人かが小さく揺れているのが見える。身体を音に任せている。それが、嬉しかった。その嬉しさが、胸の高鳴りを倍増させ、腹の底から声を出す力をくれた。これからサビだ‥。


【サビ】

憂鬱から生まれたノートに

書いた乱暴な言葉が涙を唆る

だけど 誤字だらけのこのノートが

今度は未来の道標に変わっていく


 サビ中は、ギターとキーボードが一斉に重なって、音のうねりが広がった。気づけば、東ノ宮さんのドラムが以前よりも力強く、でも心地よく響いている。まるで「いけいけ」と背中を押してくれているみたいだった。心地よい間奏が終わり、今から2番が始まる。


【2番 Aメロ】

違いだらけの毎日から


産まれた霧が心の窓を覆う


カビが生えたカーテンから


差し込む光が一番まぶしく見えた


 客席に、手拍子が起き始めた。誰かが、歌に応えてくれている。ライブハウスの空気が、確かに熱を帯びてきているのを感じた。それに伴って、体が熱を帯びて汗が噴き出してきた。額から熱い汗の雫がこぼれ落ち始めた。


【2番 Bメロ】

飛び出したいと思った

あの日の僕は嘘じゃない


 色んな音が響き渡るライブハウスの中で南川さんのギターの音がはっきりと聞こえた。チラッと南川さんの方を見ると向こうもこちらを見ていて、ニヤリと笑いながら軽く『コクリッ』と頷いた。それだけで、『今のこの感じ最高だよ!』と言われているようだった。


【2番サビ】

劣等感から生まれたペンで

描いた世界が今日の僕を作っていた

涙のインクが漏れたこのペンが

今度は未来の輪郭線を描いていく


 2番のサビを歌い終えた瞬間、喉の奥がヒリついているのに気づいた。短い間奏の中で呼吸を整えて、頭をクリアにした。ただ、喉に残った熱とその余韻が、自分の体をまだ包み込んでいる。底から生まれた高揚感が、胸の中でずっとざわついている。

 

 心臓がずっとバクバクしている。これが、ライブなんだ。生きている音の現場なんだ。ここだけは、論理よりも感情で答えを出した方が正しい気がした。だから、感情剥き出しの自分を出しても良いんだと自分に言い聞かせて、言葉に感情を乗せた。


【ブリッジ】

何度も書き直して

ぐちゃぐちゃになったページが

鏡のように心を映した


 その部分を歌っている時、なぜか自然に目をつむっていた。自分の声が、自分の心から出ているのを、ちゃんと感じていた。ラストサビへ向かう転調の瞬間、バンド全体の音がグワッと盛り上がり、観客の空気も一気に引き込まれる。ここが一番の見せ場になる。ここまで来たら、死んでも歌い切ってやる。


【ラストサビ】

悔しさをノートに書いた

紡いだ言葉が涙を唆る

誤字だらけのこのノートに

涙のインクで描いたのは

変わっていく僕の未来だ

笑っている僕の未来だ


 全部を出し切って爽快感と達成感が全身を覆った。途切れ途切れになる息を無理やり、抑えて『聞いていただき、ありがとうございました!』と大きな声で挨拶をした。そして、会場から拍手が聞こえてきた。その音はだんだん大きくなり、さっきまで響いていた曲の音よりも大きくなった。会場中の人の視線がこっちに向いている気がした。


 『はぁ‥はぁ‥』と息が途切れ途切れになって、ずっと苦しくて、まだ頭の中がぼんやりする。体力がないのもあるだろうが、全部を出し切った証拠だ。ステージ裏に戻ると、西郷さんが俺の背中をどん!と叩いてきた。


「よっしゃぁぁ藤田!!やったじゃん!!大成功だ!!」


「は、はい……」


 気の利いた言葉なんか出てこなかった。ただ、息が切れて、口が乾いて、体のどこかが燃えている感じがずっと続いている気がしていた。


「藤田ボーイの全力の声と私の音楽を合わせることができて嬉しいよ」と、ノースさんは、肩を軽く小突きながら言ってくれた。


 東ノ宮さんはタオルを俺に渡しながら、「よかったよ。藤田くんの歌声すっごく良かった!」と自分も汗が滲む顔を拭きながら言ってくれた。呼吸を整えて、返事をした・


「あ、ありがとうございます。東ノ宮さんのドラムの音が初めに聞こえた瞬間になんだか、行ける気がしました」


「ふふふ、嬉しいこと言ってくれるね。このこの!」


 そう言いながら、さっきのノースさんと同じように、東ノ宮さんは肩を小突いてきた。


 南川さんは、ギターの弦を巻き終わるとながら、ちょっとだけ笑った。


「ふー、初ライブでここまでできたら、もう立派な“ボーカル”だよ。藤田くんを誘って本当に良かったって思ったよ。次もよろしくね」


 その言葉を聞いた時、良い意味で心に深く刺さった。“ボーカル”たぶん、それを今まで自分に言っていいか、迷っていたのだと思う。でも今この瞬間からは言ってもいい気がする。俺は、ロックン・ロール部の、ボーカルだと。


 今まで感じたことない、この炭酸水のように自然と湧き上がるような感じが自信ってやつなのだろうな。

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