時をはかる方法

snowdrop

陽だまり

 春が訪れたはずなのに、今年は落ち着かない天気が私を苛立たせる。晴れた日には初夏の陽光が降り注ぎ、河川敷公園の桜並木が淡いピンクに染まる。けれど翌朝には冷たい風が雪を運び、窓辺を白く染め上げる。片付けたダウンジャケットを引っ張り出し、花粉に黄砂がまじる風から避けようとマスクする日々が続いた。

 季節の気まぐれに振り回されながらも、日中の遊歩道はにぎわっていた。子どもたちの笑い声が風に混じり、屋台から漂う焼きそばの香りが鼻をくすぐる。私はペットボトルを片手に、宴会で盛り上がる人々を横目にベンチへ歩み寄る。木の座面が冷たく、背中に桜の枝が影を落とす。

 桜を眺めていると、花の数を数えたくなる気持ちが湧いて、昔の記憶がよみがえる。小学一年生のころ、同級生宅の縁側で彼と出会った。おばあさんに抱かれ、縁側の木目に寄りかかって眠る姿は天使そのものだった。障子の隙間から光が漏れ、彼の頬を照らす。静かな寝息が耳に届いていた。

 五年生になると、彼が新入生として学校にやって来た。週末は同級生宅の狭い居間でテレビゲームに夢中になる。埃っぽいカーペットに座り、コントローラーを握る手に汗が滲む。「ここでジャンプして」と私が叫べば、「敵が来るよ」と彼が笑って返す。

 ゲームの音に混じって時間が流れ、負けると「次は勝とうね」と肩を叩き合う。勝ったときには歓声を上げ、ハイタッチで掌が熱くなった。思い出せば、感触が指先に蘇ってくる気がした。

 冬が来ると、クリスマスを一緒に祝った。イブの夜、甘いクリームのケーキを食べながら、包装紙を破る音に笑い合う。交換した小さなプレゼント――手のひらサイズのクマのぬいぐるみを、私は今も机の引き出しにしまっている。時々取り出しては、指でふわふわした毛並みを撫でている。

 卒業が近づいたある日、校庭の騒ぎの中でふと尋ねた。

「誕生日はいつ?」

 彼は目を細めて笑い、「四月だよ」と答える。

 私はポケットからメモ帳を引っ張り出し、「一が二つ並んで覚えやすいね」とつぶやきながら鉛筆で書き込む。

「いつか何か贈りたいから」と笑った。

 彼が首をかしげる姿が愛おしかったのを覚えている。そのメモ帳はいつしかなくしてしまい、記憶の隅に消えていった。

 年月が流れ、ある春の日曜日。新新聞を広げた指先に、彼の名前が飛び込んでくる。おめでた欄の小さな文字をそっとなぞると、胸の奥が温かくなった。誕生日を忘れていた自分に気づき、急いで御祝儀袋にお祝いを詰める。

 同級生宅の玄関でチャイムを鳴らすと、おじさんが照れくさそうに顔を出した。

 お祝いの言葉とともに手渡し、「そういえば、誕生日は四月でしたよね」と尋ねる。この機会を逃せば次はないと思った。

「十一日だよ」

 穏やかに返ってくる。

 一が二つ並ぶ日付が頭に浮かび、翌年の春、A5ランクの牛肉を包んで贈った。

 包みを開ける彼の笑顔を思い浮かべ、郵便局のカウンターでそっと息をつく。

 今春、彼の子どもが小学一年生になる。あの縁側で眠っていた小さな彼が親になった事実に、心が静かに震えた。

 私はベンチから立ち上がり、桜並木を見上げる。咲き誇る花が風に揺れ、淡い花びらが一枚、また一枚と空へ舞う。耳に届く川のせせらぎと遠くの笑い声が、過ぎた時間と新しい季節を響き合わせる。

 桜を見ながら、昔読んだ詩が胸に浮かんだ。


 ひとは行くところがないと

 花のそばにやってくる

 花は 咲いているだけなのに

 水は ひかっているだけなのに

 花のかずを かぞえるのは

 時をはかる方法


 空へと手を伸ばし、舞う花びらを指で掴む。彼の子どもがランドセルを背負って歩き出すこの春に、私は目を閉じて祈った。新しくはじまる季節に、幸せが訪れますようにと。





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