触手 ─ふれて─
木目ソウ
第1話
夜、薬草をひろっていると、赤い衣服を着た少女がいた。
森の湖のそばにある大樹によりかかっていたのだ。
湖面に月明かりが反射するほど、美しい夜だった。
そして、少女はつまらなさそうに、おのれの手首をみていた。
こんな時間帯になぜ?
そう疑問におもった私は、彼女に声をかけることにした。
「どうしてアナタはここにいるの?」
少女は返答したが、言葉はたどたどしく、理解がむずかしかった。
だが、現地の言葉で「迷子」を意味していることは、かろうじてわかった。
少女はこの辺りに住む子ではなさそうだ……。
政府の目から逃れやすいこの森は、よく、奴隷商の通行口として利用されている。
時々その奴隷が逃げ出し、私の村で保護される事があるのだが、この子もその一部だろう……。
だからこの森は神隠しの森とも呼ばれる。
どこかの町で消えた子が、ふたたびフッとここで現れることがあるから……。
あるいは逆もある。
この森に逃げこんだ子供が、そのままどこかで朽ち、もう現れないということだ。
食糧がすくない森だし、時には霧もでるし、仕方のないことかもしれない。
「わかった……私の家にきてはどうかしら? 温かいスープを振る舞うことならできる」
私の問いにたいし、少女は現地の言葉で、おどおどとたずねた。
なぜ、私がここにいるのか?
どうやら警戒しているようだった。
私は説明した。
この森には薬草となる草が自生していて、月明かりの時間帯のほうがより活性化する。だから今集めている最中なのだ、と。
赤い服の少女は話を聞いていないようだった。汚れた目を地にさまよわせている。よくみれば、少女の手持ち品だろうか、一冊の絵本がおちていた。王子様とお姫様が、仲良く手をつなぐイラストが表紙の物だった。
(故郷のことでも思いだしているのかしら)
「ともかく、夜、こんな場所にひとりでいると風邪ひくわよ?」
少女はこたえることなく、服のポケットから、色あせた、一枚の写真をとりだした。
霧がわずかに辺りをおおいだした。
ランタンを灯した。
少女の影が灯りに照らされながら、霧に沈んでいく。
少女は私に写真をわたした。
その時、一瞬ふれあった少女の指の冷たさにおどろいた。見た目の飄々とした雰囲気からは想像つかなかったけど、よほど衰弱し、体温がうばわれているようだった。
(好都合かもしれない)
写真は……どこかの古城が映されていた。
色のない写真で、縁の欠け方や日焼け具合で、かなり古いものだとわかる。
少女に目で写真についてたずねると「旅人の落し物」と返答がかえってきた。
「このお城の詳細について知りたいの?
私はお城について詳しくないから……村には、本を貸し借りできる場所があって、そこにいけばなにかわかるかも」
少女はぼんやりしていた。
その横顔は、どこか花のようで、美しい。
もしかしたら、この子は貴族層に売られる予定の奴隷だったのかもしれない。
奴隷の服にしては、この赤色の服は、仕立てがよく、質の良い物でつくられている。
低価格の奴隷にはおもえなかった。
そして、赤は警戒色であると同時に、獲物を色香で惑わせ、誘引する力をもっている。
この服と少女の美しさは、富裕層の男を満足させる力をもっている……。
解剖すれば、美しさの源泉に触れられるかもしれない。
ふと、少女が私に手を伸ばしていることがわかった。
そう、結婚する新婦が指輪をさずかろうとするように。
だが、あいにくなことに霧はさらに強くなっていた。
だから、少女の体は霧にかくれて、うっすらとぼやけていた。
ほんとうにそこにいるのか、目をつむれば、消えてしまいそうなほどに、この少女の存在は危うかった。
つかまえておかなくては。
笑っているような、泣いているような、冷たい風が吹いていた。
わずかな雨もまじっていて、とても冷たかった。
私まで迷子になる前に、早く家に帰らないといけなかった。
「結婚式ごっこがしたいのかしら?」
大樹の根元に放られた一冊の絵本の内容は……詳細はわすれてしまった。でも、たしか、結婚のため、お姫様を王子様がむかえにくるような、そんな感じだった気がする。
少女は私を警戒しているようだけど、一緒に遊べば、私の家に連れ帰ることが出来るかもしれない。
そうすれば。
サンプルを手に入れる事が出来る……。拾い物だから、薬の実験に失敗してもだれにも恨まれない。世間の目を気にすることなく、好きなだけ薬の反応をたしかめることができる。これは神様が私に与えてくれたチャンスなのかもしれない。薬売りとして、満足のいく成果をあげられなかった私を救済する、神のやさしい施しなのだ……。
私は彼女の手をにぎった。
とても冷たいその手は、触れていると、とてもここちよかった。
まどろみに、痛みをわすれるほどに。
だから、霧にまみれて、手首からドクドクと血が溢れていることに気づかなかった。
(え……なぜ血が?
これは、私の血? それとも少女の血?
どちらにせよ、なぜ血がでているの?)
手首を細長い針のようなものが貫通している──そう認知した時には、私の意識はもうなかった。
殺さずに麻痺させるのは、捕食者の美食家としての意識の表れだ。長く鮮度を保てば、長く食事を楽しむ事ができる。そして優秀な狩人は獲物に恐怖をあたえるようなバカはしない。血が汚れて味が落ちてしまうことをよく理解しているからだ。
その大型の木に擬態した稼働型巨大食肉植物は、とらえた獲物を麻痺させ終わると、触手ごと地中にしまいこみ、根に絡ませた。その後、土を傷つけないよう、ゆっくりと移動を開始した。
その生命体は大きすぎて、俊敏ではなく、狩りにむかない。だから、獲物である人間を誘い込むため『庇護欲をかき立てる存在』に触手を擬態させていた。
そして、とらえた獲物をもとに、ふたたび擬態先を模造する……。
そう、この森は神隠しが発生する森。
消えた子は、またどこかで、あの時の姿のまま、現れることがある。
触手 ─ふれて─ 木目ソウ @mokumokulog
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